尊い犠牲

 

 8月15日は終戦記念日だった。コロナで規模が縮小されたとはいえ、日本中、いたる所で、戦没者追悼の式典が催された。
 新聞テレビで、関連する報道がなされたが、腑に落ちない言葉に接するはめになった。
 一つは、「今日の繁栄は、尊い犠牲の上に築かれたもの」というもの。
 歴史は連続するので亡くなった先祖はみな尊いのだが、戦没者は特別に尊いとでもいうのだろうか。戦争に負け、残されたのは焼け野原だ。そこから産業を興し、村々で食べ物をこさえたのは戦没者ではない。
 戦没者が繁栄の土台になったというこの言葉は、全く意味が分からない。
 でも、「忠心より敬意と感謝の念を捧げます」と続く言葉で、意図することが分かった。普通に働いて死ぬより、国のために死んだ兵隊さんは偉い、ということなのだ。
 来るべき日中戦争か、第3次世界大戦に備えて、国のために死ぬ若者は偉い、と今から刷り込もうという魂胆なのかもしれない。いずれも、全国戦没者追悼式での安倍首相の言葉だ。
 戦没者を褒めたたえることは、現役の自衛隊員、ひいては戦争への礼賛につながる。
 もう一つ。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」。これも安倍首相の言葉。不戦の誓いというやつだ。これは、カモフラージュに過ぎない。
 安倍首相は、アメリカから戦闘機やミサイルをじゃんじゃん買い、奄美や馬毛島の軍事基地建設に血眼になっている。九条を骨抜きにする憲法改正にも熱心だ。
 軍隊を持たないという日本国憲法の公布は1946年。だが、1950年、朝鮮戦争勃発とともに自衛隊の前身警察予備隊がGHQによってつくられた。日本から朝鮮半島へ移動する米軍の後方部隊としての位置づけ。
 51年、サンフランシスコ講和条約で独立の回復とともに日米安保条約締結だ。以降、冷戦の終結でソ連から中国へと仮想敵国は変わるものの、いつも自衛隊は戦争好きなアメリカの軍事戦略の駒としてあった。
 先の知事選で「九条実現」を掲げた横山ふみ子さん。そう、九条は一度だって実現していない。それにしても九条は美しい。
 「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。」


住み着いた謎の獣

 

 6月末は結構忙しかった。知事選に立候補して下さった横山さんの応援であちこち出向いていた。

 普段は外に出ているときに会社から電話が鳴ることはない。長い時間をかける本作りの仕事で、緊急の要件なんてほとんどないに等しいからだ。

 だが、その日は違った。大変なことが起きている、とスタッフの坂元からの電話。2階に積んである布団の真ん中に糞が乗っかっている。廊下には水たまり。それが、酷いにおいだから多分尿だ。電話の興奮した口ぶりから大変さが伝わってくる。

 いつか台所に置いた魚を音もなく咥えて行ったネコだろう。会社に帰ってから、棒を片手に70坪とけっこう広い室内を隈なく回ったがネコはいない。その日、きちんと戸締りして入ってこないようにした。

 だが、翌朝も事件は起きた。また布団の真ん中に糞が置かれていたのだ。廊下の隅っこにも、これまた大量の糞。尿もあちこちに撒かれ、玄関のスリッパは食いちぎられて、20mほど離れた別な部屋に放り出されていた。

 スリッパに残された噛み跡を見ると、キリの先端で突いたようになっている。

 何だ、これは!ネコではない。イタチだ。夜行性のイタチが会社に住み着いてしまったのだ。昼間は、ほとんど本の在庫置き場と化した会社のどこやらに息をひそめ、夜になると我が物顔で走り回っていた。廊下に残されていた糞を見ると玄関に置いてある鶏の餌を食べていることが分かった。

 縄張りを誇示しようと糞や尿をあちこちにして、おまけに酷いにおいがするのもイタチならではだと合点がいった。  なるほどね。今年の梅雨は雨が多かった。このイタチ君、たまたま開いていた玄関の隙間から雨を逃れようと入ってきた。そこには鶏の餌があった。こりゃいいや、お腹もすいていたし、ちょっといただこう。失礼、ちょっと上がります。広い廊下を過ぎて2階に上がると布団が積んである。なかなかいいお家だ。ずっと住まわせてもらおうか。他の連中が来ると餌を独り占めにできないから、あちこちにウンチとオシッコをして、俺の領土だと宣言しよう。昼間は人間がうるさいけど、本の隙間がいっぱいあるから、どこに寝ていようと見つかりっこない。楽園だ。わーい、わい。

 でも、こっちはイタチに事務所をくれてやるわけにはいかない。坂元が注文の本を段ボール箱から取り出そうとしたら、オシッコでびしょびしょの本を掴んでしまったと泣きそうになっていた。けっこうな損害だ。布団も3枚駄目になった。

 さあ、どうしよう?  こんなことに詳しそうな木下君にさっそく電話。「忌避剤があるよ」。ニシムタの在庫を買い占めて、あちらこちらに置いた。今度は戸締りせず、イタチ君が逃げ出せるように夜も玄関を開けておいた。

 あれから2週間、イタチの気配はない。忌避剤の匂いを嫌って、どうやら出て行ってくれたようだ。

 選挙とともに過ぎて行った怒涛の日々だ。


ややこしくなった知事選


 7月の知事選に、反原発候補を立てたいと、この間、市民運動および政党関係者が何回も会合(「実現する会」)を重ねてきた。  
 私は8年前の知事選挙に立候補して、20万518票の得票を得たが落選した。再び選挙に出るということは、会社を閉じることと同じである。自分が出ないのに誰かに頼んで出てもらうなど不謹慎だと思い、その会からは距離を置いていた。
 その「実現する会」に、横山富美子さんが、「少数票でいいから、原発のこと、九条の理念に照らしてみた軍事基地のことをきちんと伝えたい」と声を上げていることは耳にしていた。
 だが、会では元テレビアナウンサーのA氏と先に交渉していた。難航していた理由は、A氏の「県の経済を再建した伊藤祐一郎前知事を尊敬する」「川内原発1.2号機は古いのでダメだけど、新しい3号機増設はいい」という交渉時の発言。三反園の二の舞じゃないかと不安の声が上がる。だが、運動の分裂を避けようと、最終的にはA氏に決まった。その連絡を受けたA氏は、連絡の約束の時間が数分遅れたことから、辞退の申し出。私はこの最終の会議に要請がありオブザーバー参加していたが、ただ、事態の展開に息をのむばかりだった。
 一方、横山さんの方は、高齢のためか擁立はならず、候補者なしで解散となった。
 私は、横山さんが福島原発事故以降、3年間、月1回、東北地方で無料検診をされたこと、黙殺されようとしている放射能の影響を把握するため、東北と鹿児島の比較調査する疫学調査を開始されたことを知っていた。この献身的な無償の努力に、密かに敬愛していた。
 A氏の出馬辞退と「実現する会」の解散を受けて、信頼できる何人かに、横山さんの気持ちを無駄にできない、と声をかけた。その4日後の6月7日(日曜日)、「横山医師を知事にする1万人の会」が、80人以上の参加で産声を上げた。で、言い出しっぺの私は、後援会長!
 横山さんは、信念の人である。湾岸戦争後、国際紛争の解決の手段を国連が持つべきだと「世界医師の会」を自ら組織し、署名を携え、単身国連に乗り込んだ話も最近聞いた。憲法九条を7カ国語に翻訳し、世界中に広める活動もした。知れば知るほど横山さんのすごさを思い知る。
  発足会でのあいさつで、横山さんは、今回の知事選に誰も出なかったら、一人で出るつもりだったと述べられた。
 翌8日(月曜日)、出馬表明の記者会見。
 だが突然、新たな展開が起きる。辞退したはずのA氏が、二日後の10日、出馬表明。ビックリだ。前回、三反園を一生懸命推していた人が担いでいた。うーむ……。
 で、A氏マニュフェスト。馬毛島軍事基地反対、1、2号機運転延長反対、3号機は白紙撤回ではなく「3号機増設は、県民の理解が得られない今、やるべきではありません」とやっぱり留保付きだが、一応反対。
 候補者の中身はまるで違うんだけど、有権者には同じに見えるかもね。また辞退してくれないかなー。これは独り言。


プロフィール

南方新社

南方新社
鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

南方新社サイト

カテゴリ

最近の記事

アーカイブ

サイト内検索

others

mobile

qrcode