島津家本4連発

 

 このところ、田んぼ話が続いていたが、ちゃんと本づくりの仕事もしていますよ! と言うか、仕事が立て込んで、にっちもさっちも首が回らんという状態なのです。

 

 なんと、島津家関係の歴史ものが4連発、集中して舞い込んでいる。

 

 1発目は、『鹿児島市の歴史入門』。『奄美の歴史入門』をものにした小学校の校長先生の作だ。奄美の方は、順調に売れ続けて、小社の経営を助けるロングセラーの一つとなっている。
 この鹿児島市は、なんといっても島津四兄弟の父・貴久が拠点を構えた時から南九州の中核となっていく。


 ほうほうと頷きながら編集を進めていたら、2発目『島津四兄弟』の原稿が舞い込んだ。秀吉の朝鮮出兵で蛮勇を振るい、かの国の人々に鬼シーマンズと怖れられた二男・義弘の話は聞いたことがあるだろうか? これは知らなくても、義弘の関ケ原敵中突破は有名だ。いまでも、当時を偲んで妙円寺参り、なんていうのが行われているくらいだもんね。


 長男・義久は九州制覇を目前にしながら豊臣秀吉に敗れ、髪を剃って川内太平寺で降伏した。
 三男・歳久は、秀吉との抗戦を主張したとかで秀吉に恨まれ、後の梅北の乱にかこつけて切腹させられている。
 四男・家久はいくさ上手。沖田畷の戦いで、5千の手勢で3万の龍造寺隆信軍を撃破した。「釣り野伏せ」というやつだ。あーもう駄目だと負けたふりしておびき寄せ、伏せて隠れていた両側から一気に鉄砲を撃ちかけるという、ちょっとせこい戦法と言えば言えなくもない。


 こんな話だけでなく、島津家の土台を固めた四兄弟のすべてが網羅されている。
 著者は、大学卒業後、会社に勤めながらコツコツと『島津国史』『旧記雑録』といった史料を読み込んで一冊にまとめ上げた。いや、頭が下がる。


 ふむふむと編集していたら、3発目『島津忠久と鎌倉幕府』だ。島津家初代・忠久は、源頼朝の愛する丹後の局が正妻政子の嫉妬を逃れてたどり着いた、大坂住吉大社の石の上で、雨の中、生まれたことになっている。いやいやそれは全くの作り話で、実の両親はだれそれで、という話から始まって、鎌倉幕府の権力争いの中で生き延びた忠久の実像が詳細に綴られている。原稿用紙1000枚の労作だ。


 へーと唸っていたら、4発目『梅北一揆の研究』が、高名な紙屋敦之先生から届いた。秀吉の統一政権に異を唱えた一群の人々が、この鹿児島に存在したのである。


 4本で3500枚だ。読むだけで息が上がる。ふー。

 


ヒエ田んぼ


 7月10日、知事選の投票日。去年の投票日も田んぼにいたなあと思いながら、この日も田んぼの草取りに精を出していた。
 自分の田んぼじゃない。83歳のばあちゃんがやっている3枚上の田んぼだ。83とくれば、経験豊か。だけど、その経験があだになって、今年はひどいありさま。ヒエが一面芝生のように生い茂っているではないか。


 アイガモで米を作るとき、田植え後の最初の1週間が何より大事だ。
 カモに期待する最大の働きは除草だ。生えた草を食ってくれるというわけではない。カモが泥をかき混ぜながら泳ぎ回って、ヒエが生えないようにしてくれるのだ。

 

 だが、田植え後にすぐカモを放すわけにはいかない。根付いていなければ、苗は浮き上がってしまう。ちゃんと根付くまでの1週間、その間に田んぼの水が少なく、土が露出でもすれば、ヒエが一斉に芽吹いてしまう。
 田植えの後、何度か「ばあちゃん、土が見えてるよー」と電話で連絡していたのだが、その度に、「天気予報で雨が降るから放っておくよー」だった。

 

 それも理由があった。水が多すぎると、田植えすぐの小さい苗は水没する。水没したままだと苗が腐ってしまう。畦が壊れるのも怖いときた。
 結果、案の定、ヒエ田んぼだ。「ほうら、言ったこっちゃない」と悪態をついたが後の祭り。

 

 稲刈りのときに世話になる橋口さんに連絡すると、「ヒエはコンバインに負担がかかるんだよねえ。困ったねえ」とくる。

 

 なにせ83歳、このところめっきり足が弱くなって杖を突いている。これじゃ田んぼの草取りどころじゃない。バッタリ田んぼの中で倒れたら、起き上がれないかもしれない。
 ヒエも、子供のうちの今が勝負。「やれやれ」と呟きながら、ばあちゃん田んぼに入ったという次第。

 

 はじめは、丁寧に手で取って泥に埋め込んでいたが、1時間で3列しかできない。中腰の姿勢は、昔、中学の部活のしごきでやらされたスクワットと同じだ。太ももの裏がヒクヒクいいはじめている。こりゃあダメだ、というわけで、足で踏みつける作戦に転じた。ヒエを足で踏んづけて、泥の中に埋め込んでいくわけだ。往復2回も歩けば、かなりきれいになる。
 端から順にやるのもつまらない。気の向くまま、あっちを歩き、こっちを歩き、とにかく歩き回ること4時間。シトシト降っていた雨が土砂降りになってきた。終了。

 

 ばあちゃん曰く、「来年は無理かもねえ」。この谷で田んぼやってるのは、私を除いてみんな70代、80代だ。

 


モグラ戦記

 
 6月19日、田植えが終わった次の日曜日。この日はわが田んぼの合鴨君のための網張の日と決めていた。合鴨君が逃走しないように、田んぼの周囲をぐるっと網で囲うわけだ。
 平日は仕事が山と溜まっているから、呑気に田んぼに行くわけにはいかない。スタッフにばれたら、「仕事もせんで」と冷たい視線を投げられる。

 

 雨天決行。だが、早朝から大雨。おまけにゴロゴロ雷も鳴っている。カーボン製の支柱は雷を呼びやすいとビビったが、田んぼは谷間にある。まあ大丈夫だろう。というわけで、9時過ぎに田んぼに到着。


 日置や長島で時間80ミリを記録した大雨だ。溢れているんじゃないかと心配したが、パッと見る限り無事だ。排水口を除くと勢いよく水が流れていた。でも、ちょっと腑に落ちない。これだけ? ひょっとすると、と心配になって畦を細かく踏み続けている内にズボッ。空洞だ。露わになった洞に水がガンガン噴き出ている。やはり、水の出口は排水口だけではなかった。

 

 田んぼの水位が上がって、モグラの穴から入った水がどんどん土を洗いながら畦の反対側に流れ出ていた。穴の入り口は無事で、出口側から土が流れ出て空洞になっている。ほう、こうして崩れるのね、なんて感心している場合じゃない。


 慌てて、会社の隣の町内会長さんに助けを求めた。
 「土嚢袋、いくつか下さいな」
 モグラ穴の入り口を足で踏み固めて水を止めた後、空洞に土嚢を積む。よろよろしながら運んだ土嚢は8袋にもなった。
 あと、1時間発見が遅れていたら畦は決壊し、田んぼはむちゃくちゃになっていたに違いない。ほーっ。


 もう一つ幸運が重なった。用水路から水が来ていなかったのだ。ずっと上流で土砂崩れがあり、おかげで、こっちの田んぼへの水の取り入れ口が土砂で埋まり塞がっていた。
 大雨とともに用水路からも水が来ていたら、田んぼは溢れていたに違いない。越水も畦崩壊の呼び水になる。全く運がよかった。


 こうして午前中は畦の修理にすっかり時間をとられ、午後から網張と相成った。
 ここで、問題がまた一つ。上の田んぼの崖から、水が噴き出ているのを発見。またまた慌てて上の田んぼのモグラ穴を潰し、排水口の水の出を最大にした。


 モグラは生きるために懸命に穴を掘り、人間も生きるためにこれまた懸命に穴を潰して回る。この営みは、ずっと昔から続いてきたし、これからも続くんだね。

 

  

 

 



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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