識者談話

 

 12月12日、広島高裁、野々上裁判長は、四国電力・伊方原発に停止命令を下した。
 甲子園で勝った球児たちの翌朝新聞を何紙も読んでいる姿が、テレビに映ったりするが、翌13日の私も、3紙に目を通す球児状態だった。

 

 面白かったのは、南日本新聞に載っていた「識者談話」だった。推進、反対、それぞれの立場から談話が寄せられている。火山が問題になったのだから、火山の専門家が登場すると思うでしょ。ところが、大阪大学名誉教授とあるから肩書は十分なのですが、あにはからんや原子炉工学の専門家でした。共同通信の配信記事だろうから、南日本新聞には責任はないのだが、なんだかトンチンカンな話である。

 

 そして、推進の立場からの原子炉工学名誉教授の談話には、吹き出してしまった。
 「阿蘇カルデラの火砕流が伊方原発を直撃するのは地理的にも想定できない」。あのねえ、火山の専門家が、直撃する可能性があると言ってるの。専門家が言ってるのですよー。
 「100キロ離れた住民の被害を認めたことも論拠が分からない」。あのねえ、放射能は100キロどころか地球を1周するの。2014年の大飯原発の差し止めを命じた福井地裁判決では250キロまで認めたのですよー。まるで、床屋談議、井戸端会議のレベル。推進側の余りの呑気さに、空恐ろしくもなる。

 

 

 火山の専門家といえば、鹿児島大学准教授の井村隆介さんがいる。桜島の北側の海は姶良カルデラである。2万9000年前に大爆発を起こし、南九州を火砕流が襲った。シラス台地は、その時の火砕流堆積物である。
 もちろん川内原発も襲った。
 井村さんは、数万年以内に必ず大爆発を起こすと、いろんな所で公言している。私には、こっそり「数万年というのは、2、3万年という意味だ」と語った。

 

 川内原発で福島級の事故が起これば、九州は壊滅する。九州1400万人が、墓も家も田畑も捨てた流浪の民になる。多くの人が被曝しやがて死ぬ。
 使用済み燃料の行き場のないことを考えると、このままでいくとあと100年は川内に核燃料が残ると想定できる。2万年の内に川内が火砕流に襲われるとすれば、九州壊滅の確率は2万分の100、つまり200分の1となる。川内原発の数学的な期待値は、被曝及び流浪の民7万人。火砕流単独の期待値、流浪80人をはるかに超える。

 

 「人ば殺して金儲け」「人ば殺して金儲け」と、川内原発ゲート前でお経のように繰り返していたのは、水俣の文子さんだった。


日経が植物図鑑の著者を紹介

 

 つい先週の金曜日、12月8日、朝から九州の植物大図鑑の注文、問い合わせの電話が続きました。日経新聞朝刊の最終面・文化面に、著者の平田浩さんが登場していたのです。

 

 45歳から植物画を描き続け、1500種を描き終えたときには39年が経ち、なんと84歳になっていた。まるで浦島太郎のようですが、平田さんは、植物を愛する人が座右に置く図鑑を残すことができたのです。

 

 「一心に描いていると、まるでペン先で植物が生き返ってくるような気がしてくる」と語る平田さんは、今も描き続けています。
 記事は、植物大図鑑『図解 九州の植物上下巻』誕生までのいきさつを紹介しています。

 

 

 

 

 まだ未購入で、購入をご検討の方には、下記注文票を付けておきます。
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注文票
書 名:『図解 九州の植物 上下巻』
セット数:定価1万8000円+税(  )セット
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山分けの論理

 

 南日本文化賞の副賞50万円の大半が、シロアリ退治費用に消えた。いくらも残らないお金の使い道として、みんなで美味しいものでも食べに行こうかと提案したら、現金の方がいいという。まったく、もう。
 育児休業中のスタッフにも分けたのだが、金額が少なかったためか「おこぼれに感謝」と返ってきた。おこぼれではなく、山分けの一山だったのに。「おこぼれ」と「山分け」は、天と地ほども違う。

 

 山分けといえば、懐かしい思い出がある。私は小学校の4年まで市来に住んでいた。吹上浜の北端に位置する広い砂浜が格好の遊び場だった。打ち寄せる波と競争しながら、砂の船を作ったものだ。

 

 そんな時、地引き網が始まることがあった。小さい舟が網を沖にぐるりと入れていく。その網の両端の綱を引いていくわけだ。
 引いているのか、ぶら下がっているのか分からないような小学生も、引き手に加わった。手で直接引くわけではない。紐の片方を腰に巻き、もう片方の紐の先に結んである拳くらいの石を引き綱に絡めて、波打ち際から後ろ向きに海岸を上っていく。かなり上の、綱を丸く束ねてあるところまで引いたら石をほどき、波打ち際まで戻って石を絡め、また、後ろ向きに上っていく。繰り返している内に、やがて網が見えてくる。

 

 大人たちも緊張するときが来た。大きい魚が脱出しようと走り回り、飛び跳ねる。網と砂地の間に隙間があれば、そこから逃げてしまう。そうはさせじと隙間を埋めていく。最後の詰めだ、息が抜けない。引き手にも力が入る。ついには袋状の網に、魚がいっぱい入って引き揚げられる。

 

 それから獲った魚の分配が始まる。砂の上に人数分、同じくらいの大きさの魚の山が作られる。男も女も子どもも関係なく、一山ずつ持って帰るのだ。
 1匹だけ入ったタイとか、どでかいエイといった特別な魚は、舟や網の持ち主であろう、彼らの特典だった。
 いずれにしろ、この時「山分け」というものを知った。この一山の魚が母の手で料理され、一家の夕餉を飾ったとき、何とも誇らしく思ったものだ。小学生にして、気持ちだけは一人前の海の男になっていた。

 

 もし、働きに応じて配ろうとすれば若い青年など、子どもの何倍にもなっていたはずだ。でも、そんなに食べられないし、冷蔵庫などなかった頃だから腐らせるだけだ。
 「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という分配の理想形を、大人になってから教わるのだけど、海辺の村では、ずっと昔から当たり前のようにやられていたことだった。



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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