雄性先熟

 

 

 事務所のある下田の山沿いの小径に、マルバウツギの白い花房と赤いヤマツツジの花が競演する季節がやってきた。薄暗い藪にはコガクウツギの白い花。

 


いっぱい花房をつけるマルバウツギ

 


赤いアクセントのヤマツツジ

 

薄暗いところが好きなコガクウツギ

 

 

 黄緑色にもくもくと萌え盛る山には、ところどころにシイが白い花を咲かせている。枝という枝に、これでもかと言わんばかりに花をつけるものだから、遠目にはカリフラワーのように見える。


 でも、木は人間を喜ばすために花を咲かすのではない。自分の子孫を残すための健気な行為だ。できるだけ際立つ色で虫を呼ぶ。

 ずっと不思議に思っていたのは、同じ種類の木々が、ほぼ同時期に花を咲かすことだ。てんでバラバラに咲いたのでは、違う遺伝子と交配できない。

 

 植物が話し合うと聞いたことがあるが、なんだかピンとこなかった。最近、ある種の化学物質を出して連絡を取り合っていると知った。花期が近づくと匂いを出す。そのかすかな匂いを嗅ぎ分け、一斉に花を咲かすというわけだ。

 さらに面白いのは、自家交配を防ぐ手立てだ。小学校の教科書なんかでは、花の模式図として、真ん中に雌しべが立ち、その脇に何本かの雄しべが立つ。これでは、虫たちが蜜を吸おうと花の奥に潜り込んだら、同じ花の花粉が雌しべに着いてしまう。人間で言えば、兄弟で子を作るようなもので、強い子はできない。


 だが、実際に花を見ると、雌しべと雄しべが同時に立ち上がることはない。たいてい雄しべが先に立ち、雄しべが枯れるころに雌しべが立ち上がる。雄性先熟という。逆の雌性先熟もある。

 これなら、ちょっと離れた別の木の花粉が運ばれて雌しべに着いてくれるというわけだ。なんて賢いのだと、うなってしまう。


 さらに徹底した種類は、雄花と雌花を別々に咲かせ、それぞれの花期をちょっとずらしたりしている。雄木と雌木を完全に独立させた種類もある。これなら、自家交配の心配はなくなる。

 

 話は戻る。ひとつの花の中の雄性先熟はほとんど知られていないのだが、南方新社からいくつも植物図鑑を出している大工園さんが気づき、種類ごとの雄しべと雌しべの成熟段階を網羅した『植物観察図鑑』を出した。3年前のことだ。画期的な図鑑だと、植物の専門家からたいそう評価を受けたのだが、その後はどういうわけか鳴かず飛ばずだ。

 

大工園認著『植物観察図鑑』

 

 でも、鳴かなくても、飛ばなくてもいい。

 日本で一つ、世界でもおそらく唯一の図鑑を出したということで満足するのが、出版道というものだ。

 

 


変わり者たち


 世の中には変わった人がいるものだ。

 

 日本で旧薩摩藩領の鹿児島・宮崎両県のみに見られる田の神を訪ね回り、1500体余りを写真に収めた医者がいる。『田の神石像・全記録』を小社から刊行したのは今年の4月のことだ。

 

 

 先日は、奄美赴任中のほぼ全ての土日に山野を駆け回り、800種ほどの植物の写真を撮影し、図鑑を出したいという県職員が来た。ただ闇雲に撮ったわけではない。すべての種の花を撮っている。花期は数日、長くても十数日と限られる。風の吹く日は花が揺れ、撮影できない。並の努力ではないことが分かるだろう。


 いずれも本業ではない。多忙な仕事の傍らで時間と金をつぎ込んで、まるで憑かれたように打ち込んでいる。
 そのおかげで本が作れるのだから、小社にとっては有難い変わり者と言える。

 

 今取り掛かっている本は、『写真でつづる アマミノクロウサギの暮らしぶり』だ。夜行性で深い森に棲むため、生態は謎に包まれていた。
 ねぐらを探し当て、夜ごと通う。そのうち春と秋に出産期があることを発見する。繁殖行動、繁殖用の巣穴での出産、授乳、父親の育児参加の様子と、子どもが育つまで追っていく。縄張りを示すマーキング。これは喉を木の幹にこすりつけていく。親子が互いの位置を確かめるための鳴き声発し、メスが気のあるオスにおしっこをひっかけるシーンもある。著者は、排尿ではないため放尿と名付けた。

 

 世界中で誰も見たことのない写真が目白押しだ。

 実は、これらを撮影したウサギのねぐらは、100メートルもある断崖絶壁の際である。おまけに夜は、夜行性のハブが活発に動き回る。まさに命がけの撮影なのである。

 

 奄美の希少生物の撮影で高名な常田守さんが本書に一文を寄せている。
 「今回、この本によって、多くのアマミノクロウサギの生態が明らかになった。人類の知らない彼らの生活が一つひとつ写真に収められ、この本で見ることが出来る。何と幸せなことだろう」

 

 この本の著者は、ほとんど毎夜、山に入っている。ウサギが外出から帰りねぐらに潜り込む夜明け過ぎに、彼も家路につき、ようやく床に就く。
 彼の本業はタクシーの運転手だ。一銭の得にもならないことに情熱を傾け、時には命さえかけていく。先に変わり者と書いたが、ひたむきな求道者というべきかもしれない。

 

 本を作るということは、けた外れの情熱を持つ彼らの人生の表現でもあると、あらためて気づかされた。

 

 

 


我こそは隼人2

 

 沖縄の「和」の文化に対比して、日本、とりわけこの鹿児島は「武」の文化と呼ばれることがある。床の間に沖縄では三線を飾るが、鹿児島では刀を飾るというわけだ。

 

 島津義弘の敵中突破や、明治維新、西南戦争を武器を手に戦った鹿児島の武士団から、外部には「武」の文化は理解されやすい。自分の先祖も一緒に戦ったと、勘違いしている人も多いが、8割近く、大半の庶民は、八公二民の強搾取にあえぎ、「武」の文化とは全く無縁だった。113の外城(郷)には、年貢を徴収し、庶民を常時監視する郷士が配置されていた。幾重にも階層化された武士団の秩序を守るため、物言わぬ兵を作る郷中教育が、士族の子弟には待ち受けていた。

 

 ナチスもびっくりのファシズム専制支配が貫徹していたと言っていい。そんな中で育まれた「武」の文化だ。

 

 考えてみれば、鹿児島の武士団は平安後期、鎌倉期から荘園管理や、島津氏の領国統治のために畿内や関東から配置され、いつの間にか、支配層として住み着いた者たちである。

 

 沖縄とて、大半の庶民は、三線どころか、どこからかやってきた沖縄士族を養うため、牛馬のごとく働いていたに違いない。

 

 そんな中で、ひときわ目を引くのが、鹿児島の田んぼのほとりに佇んでいる田の神像である。豊穣と子孫繁栄への祈りが凝縮されている。

 

 日本全国、あるいは世界中、どこの地にも、山の神、海の神がいた。鹿児島の田の神は山の神の化身と言われる。春に山から下りてきて田を見守り、秋になるとまた山に帰る。
 はるか昔から続く家族の営みと、人々が日々の糧を得るために流す汗を見守る田の神でもあった。
 中央政治に左右されることなく、他国を攻めたり、攻められたりとは無縁の、土に生きる庶民が作り上げたものである。この人達こそが隼人であった。

 

 徳之島のMA−T計画(原発ゴミの再処理工場)を追い払った島民集会の宣言文に「先祖伝来、苦難の歴史をのりこえてきて、今日この美しい徳之島を見るとき……未だ経験したことのないこの恐るべきたくらみを断じて許すことはできない」という一説がある。土と一体化した腹の座った強さにあふれている。
 原発や原発ゴミの最終処分場は、長く続いてきたこの土地での生存を脅かす、まさに「未だ経験したことのない恐るべきたくらみ」である。


 やはり、私たち鹿児島人がこのたくらみを追い払うことができるかどうかは、先祖への思いと、土への愛着を呼び起こすことができるかどうかにかかっていると思う。

 



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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