能登地震

 

 1月1日、元旦にとんでもないことが起きてしまった。能登半島地震だ。マグニチュード7.6、震度7を記録した。テレビでは、その夜ずっと火の海となった輪島の街が流されていた。

 

 私が一番気になったのは志賀原発だ。2011年の東日本大震災以降、停止したまま。停まってから12年も経っているから使用済み燃料の温度もだいぶ下がっている。プールの水が抜けない限り大丈夫だろうと思った。でも運転中だったら、おそらく日本は終わっていただろう。
 志賀原発は川内原発と違う型の沸騰水型原子炉だ。70気圧、280度の水が循環する。配管には何トンもの荷重がかかる。何といっても70気圧だ。地震の揺れで、少しでもひび割れができたなら、風船が弾けるように一気に水が噴き出して大規模に破断する。
 水が抜けたら、空焚きになって炉心溶融(メルトダウン)に至る。そして爆発!

 

 実は昨年2023年3月、この志賀原発の活断層に問題なしと規制委員会は判断している。地震の1カ月前の11月28日には、経団連の戸倉会長がこの原発をわざわざ訪ね、「早期の再稼働を期待したい」と発言し、圧力をかけていた。まさに再稼働目前だった。運が良かったというほかない。

 

 揺れの中心、珠洲市にも原発話があった。北陸、中部、関西の電力三社による共同事業として浮上していた。住民の強い反対運動でようやく2003年に凍結となったが、これが稼働していたら確実に日本は終わっていた。
 放射能の9割が太平洋に飛んだ福島事故と違い、能登半島発の放射能は偏西風で日本の陸地を覆う。東京まで十数時間で届いてしまう。
 政府は混乱を嫌い、簡単には発表しないだろう。ようやく避難が始まるのはかなり被曝した後。
 悲惨なのは能登の住民。60カ所もの土砂崩れ、無数の家屋の倒壊に放射能からの避難なんて無理。10日経っても孤立した人が3000人を超えていた。濃い放射能を散々浴びてから遅々とした避難が始まることになる。

 

 こうして福島とは比較にならないほど多くの人が被曝し、やがて日本の中部以北は無人の地となる。
 川内原発のすぐ近くには、甑断層、甑海峡中央断層が伸びている。国の予測では、マグニチュード7.5。断層がもっと原発側に伸びている可能性もある。川内は加圧水型で157気圧。空焚き30分で炉心溶融と報告したのは九電だ。

 

 地獄は、足元に大きく口を広げている。それでも原発を動かすというのは、余りにも吞気。言葉を変えるなら大間抜けだ。

 



2013年、国の地震調査委員会が、それまでの九電評価の活断層を「余りにも酷い」とのコメント付きで大幅に見直した。

九電M6.8→国M7.5となり、さらに原発よりに伸びる可能性も指摘した。その決着はついていない。


あれから30年

 

東京からUターン
 ちょうど30年前、私の暮らしは大きく変わった。92年8月、東京からUターンしたのだ。35歳だった。
 東京時代、仕事の移動には地下鉄を使っていた。客先に訪問予約を入れるから、渋滞のない地下鉄は所要時間が読めて便利だった。だが、月に1回くらいだろうか、「人身事故」が起こり大幅に遅れた。「事故処理が終わり次第、運行を開始する」とアナウンスは続いた。やれやれ、スケジュールが狂ってしまう、と迷惑がったものだ。同乗の誰もが、またかという顔をし、時計を気にした。
 そのうち、「人身事故」が飛び込み自殺であることがわかる。事故処理とは、バラバラになった遺体の回収作業だ。東京で仕事をするということは、人の死を何とも思わなくなることだと気がついた。
 Uターン後の95年には、地下鉄サリン事件が起こった。電車内に猛毒のサリンが撒かれ、16人が死に、6300人が負傷した。オウム真理教の仕業だ。東京の地下鉄の通路では、虚ろな眼をした幾千幾万もの人の群れが、憑かれたように真っすぐに進んでいた。事件を耳にしたとき、人の生き死にに麻痺した東京で起こるべくして起きた事件だと思った。
 人の死に麻痺するどころか、自然のかけらもない、人工物だらけの東京で、まともな子育てなどできるはずがないとUターンしたわけだ。
 もちろん、理由はそれだけではない。歳を取れば取るほど新しいことには億劫になる。40歳を過ぎたら東京から抜けられなくなると思った。

 

デビュー作は『滅びゆく鹿児島』
 Uターンして1年半後、94年4月27日、鹿児島市泉町に事務所を借り、南方新社を設立した。かといってすぐに本が出せるはずもない。
 1年余り後の95年7月に、デビュー作『滅びゆく鹿児島』を刊行する。取り上げた問題は、農薬汚染、埋め立て、川内原発、8・6水害を機に破壊されようとしている石橋、子供不在の教育、男尊女卑、公営ギャンブル、行き場のない農業、奄美の文化と経済である。
当時、鹿児島の一番店、天文館にあった春苑堂本店の湯田店長が一気に150冊を仕入れ、入口すぐの一番目立つところに平積み4面、塔よ倒れよ、というほど高く積み上げてくれた。これは今でも鮮明に覚えている。
 湯田さんが、特に本の内容に共鳴したわけではない。鹿児島に新しい出版社が登場したことを祝ってくれたのだ。
 「これで反権力の南方新社で決まりだな」とも言ってくれた。別に反権力を謳ったわけでもなく、当たり前におかしいことはおかしいと言いたかっただけだ。
 初刷りの4000部があっという間に完売したことで、私の言いたいことが独りよがりではなく、出版を続けていけるという自信になった。
 第2弾は、同年12月刊行の『かごしま西田橋』である。何の根拠もなく6000部を刷った。これが完売した時、西田橋は残ると思ったのだ。ところが翌96年の2月には西田橋の解体が開始し、大量に売れ残った。
 売れ残りは販売期間だけが原因ではなかった。本を売らなければならない私自身が、保存運動に突っ込んでしまったのだ。

 

1996年2月21日、西田橋に削岩機
 8・6水害では、甲突川五石橋のうち、新上橋と武之橋が壊れた。水害に耐えた玉江橋に続いて高麗橋が解体されたのは95年2月18日。5月からは最後の西田橋保存に向けて県民投票条例の署名運動が始まった。法定数を大きく超える4万3958筆が集まり、臨時県議会へ。11月10日の最終本会議の結果は、なんと50対1で否決。共産党議員1人だけの賛成だった。
 舞台は、県指定文化財である西田橋の現状変更を認めるかどうかを決める県文化財保護審議会に移る。ここはさすがに解体反対が多数を占めたが、11月27日にまとめられた結論は、県土木部の強引な主張で両論併記となってしまう。万事休す、だ。
 だが、どうしても諦めきれなかった私は、12月、世論調査を企画した。鹿児島大学政治学教室の平井一臣教授に相談し、無作為に抽出した1118人を対象に電話。結果は「県民投票すべきだった」が50.4%。「県民投票は必要なかった」は16.5%。「解体に反対」49.2%。「解体に賛成」44.6%。
 これをきっかけに、あくまで西田橋の現地保存の道を探ろうと、2月12日に市民集会とデモを実施。800人が参加した。
 2月17日からは私を含め4人のメンバーが無期限のハンストに突入した。極寒の中、西田橋のたもとにテントを張って泊まり込んだ。北畠清仁氏のハンスト突入宣言文は格調高く、今読んでも震える。
 だが、県当局は日程を変えることなく2月21日、解体に向けて削岩機を打ち込んだ。
 ハンストは、24日には自主的に解いたが、やりきれない思いは残った。
 それにしても、この石橋保存運動はよくぞここまでというぐらいに広範な支持を得ていった。私が関わったのは、最後のごく一部分である。
 運動を牽引していった都築三郎(故)、松原武実、芳村泰資、浜田美樹、石澤美智子、木原安姝子、児玉澄子(故)、西村輝子(故)、松基、萩原貞行の各氏の名前は忘れられない。


 その中から8・6ニュースが生まれ、今でも続き、南方新社と同じ30周年を迎える。
 利権政治と事なかれ主義の横溢する鹿児島で、8・6ニュースは、未来と真実を求める者たちの夜道を照らす灯火なのである。

 


解体直前の高麗橋上に陣取る市民(『かごしま西田橋』より。撮影:樋渡直竹)

 


西田橋解体直前のハンスト。後ろ姿だが、萩原、橋口、久保の各氏が写っている

 


在りし日の西田橋(『かごしま西田橋』表紙カバー)


2023.10.23 鹿児島県議会での意見陳述

 

請求代表者 向原祥隆が意見陳述します。

 

 最初に議員の皆さんに聞いてほしいことがあります。


 十月四日、私たちは五万人の署名を携え県庁に訪れました。このとき、なんと、担当の地域政策課から裏口の通用門から署名を搬入するように要求されたのです。私たちは唖然としました。五万人の心に裏口から入れと要求したのです。こんなことがあるのでしょうか? 皆さん。
 知事が重く受け止めたはずの署名、五万人の心に、知事に直接触れてほしい、私たちはそう願い、九月の頭には知事に直接受け取ってほしい旨、申し入れしました。ところが、当日現れたのは知事でも副知事でもない、部長でも課長でもない、技術補佐の方でした。

 

 私たちはこの臨時議会の前に、知事と議会各会派に意見交換会を申し入れました。自民党の長田さん、公明党の松田さん、県民連合の福司山さん、共産党の平良さん、そして無所属の岩重さん。すぐにお返事をくださいました。あらためて感謝します。
 ところが地域政策課は、先の知事の署名受け取り、この意見交換会の申し入れ、両方とも一切返事がありません。待ちかねた私たちが、直前に電話を入れてやっと回答が聞けた有様です。
 県民に対する敬意が、みじんもない。本当に驚きました。

 

 本日、知事は、公約に掲げた県民投票に否定的な意見を発言されました。知事は二〇二〇年の知事選挙で「県民の意向を把握するために、必要に応じて県民投票を実施する」と公約し、当選しました。ところが、去年の十二月、専門委の意見が集約できない場合、県民投票を実施すると変えました。県民の意向把握と専門委の意見集約とは次元が違います。後からの、すり替え、です。
 そして最終的に本日、公約に掲げた県民投票に否定的な発言。明らかな公約違反です。これは先の地域政策課の対応とつながるものです。県民に対する爪の先ほどの思い、敬意がないから、公約を破っても平然としていられるのです。

 

 県民に対する約束、百三十万人有権者に対する約束を破った。知事は県民を騙して職を得たことになる。私の多くの知人が、県民投票の言葉を信じて投票しています。この県民をないがしろにする行為を、県議会は放置していいんでしょうか? 放置することは同調したことを意味します。議会も、きちんと筋を通してほしい、そう願います。

 

 原発には様々な問題があります。今日は二点だけ申し上げます。
 二〇一一年の東日本大震災で、ついに福島第一原発が爆発しました。一度あったことは、二度目もある。当たり前のことです。今日の知事提案でも、何回も「安全を前提に」とありましたが、福島事故以前もそうでした。このまま原発が動き続ければ、大事故は必ず起こります。起こらない理由はないからです。福島の放射能は、九割が偏西風で太平洋に飛んだ。川内原発が大事故を起こせば南九州三県は数日で壊滅します。さらに、偏西風によって九州・西日本は大規模に汚染されます。
 もう一つ、川内原発の使用済み燃料です。数年のうちに敷地内のプールは満杯になります。二十年延長のわずか数年後に、この核のゴミ問題が噴出する。分かり切っているこの重大問題を、九州電力は一切明らかにしていません。

 

 こうした数々の問題点に、寿命を超えた老朽原発は拍車をかけます。寿命を超えたペースメーカーを体に埋め込みますか?皆さん。寿命を超えた飛行機に乗りますか?原発も同様に命に係わる機械です。さらに、二十年の運転延長は、生まれたばかりの赤ん坊が二十歳になるまで拘束する大問題です。
 多くの県民が署名に賛同したのは、とてつもなく危険な原発が、寿命を超え、さらに長期間運転する重大問題を、今一度立ち止まって判断したいという意志表示なのです。

 

 以下、民主主義と原発について四項目述べます。

 

 第一に、政策決定の構造について。危険性を主張する専門家と、安全だという事業者の双方がいたら、通常行政は安全側を選択します。だが原発の場合だけは違う。危険性を唱える専門家の意見は無視され続け、その結果、利益を追求する電力事業者のやりたい放題になってきた。全く信じられない話です。

 

 第二に、直接請求制度について。県政は通常間接民主主義によって運営されています。だが、ここにわざわざ、地方自治法七四条として、住民の直接の政治参加を保障する条例の直接請求の制度が盛り込まれています。これは、厳しい法的要件を達成し条例が請求されたなら、それを成立させることを前提にしています。

 

 第三に、知事と議員は主権者である県民の意志の代弁者であること。

 憲法では国民主権が明示されています。県政の主権者は県民です。そして、県民投票は主権者である県民の意思であることが今回の署名で明示されました。県民の意思の代弁者である知事、議員が、県民の意思を無視して、県民投票条例に反対することは許されません。自らよって立つ選挙民の意思を無視し、ないがしろにすることになるからです。

 

 第四に、今回の臨時県議会は、まさに我が国と鹿児島県の民主主義が問われているということ。今回初めて、県民投票によって川内原発の二十年延長について自ら選択したいと主権者である県民が意思表示しました。県民の意思を専制国家のように無視するのか、それとも主権者の意志として尊重するのか。まさに民主主義が問われているのです。

 

 最後に申し上げます。五万人の署名が集まったわけですが、これには厳しい条件がついています。対面で、しかも二カ月という短期間。これがもっと緩やかだったらもっと多くの署名が集まったと思います。私が個別訪問した場合は八割の方が応じてくれました。単純に計算したら百万人近くが県民投票をやろうと判断をされたはずです。これは議員の皆さんの有権者です。

 

 今回の県民投票条例の請求は、二十年延長に賛成、反対を求めるものではありません。県民投票の実施を求めるものです。県民投票をしない理由はありません。もちろん、県民投票を実施するにあたっては、賛否両論の説明会の実施などが不可欠でしょう。県民投票はもともと知事が言い出したこと。知事の〇×二者択一否定論は、いまさら何を言っているのか、と言うほかありません。

 

 若い方も大勢署名に応じてくれました。積極的に署名を集めた若い方もいます。この若い声を否定し、無視することは鹿児島の未来を潰すことです。何を言ってもダメなんだ、そういう失望を与えます。この鹿児島の未来を若い県民と一緒に作っていくために、歴史に残る誇り高い選択を期待します。

 

 以上をもって意見陳述を終わります。ありがとうございました。

 

2023.10.23臨時県議会初日朝の県庁前集会

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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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