ミツバチ分蜂

 

 車を運転するときラジオをつける。最近、やたらと「当社はSDGsに取り組んでいます」というCMが耳につく。
 国連が決めたもので、日本語では「持続可能な開発目標」というらしい。17の目標は、「貧困をなくそう」「クリーンなエネルギー」とかで、いいんじゃないの、なのだが、「開発」がついているところが味噌で、これまで地球をボロボロにしてきた「開発」を免罪する、新しいスローガンじゃないかと、ひねくれ者の私は感じる。


 気に入らん!と初めて聞いたときから思ったのだが、何度も聞かされたらイライラしてくる。
 人々のささやかな暮らしを、持続可能どころか、ぶち壊しにするのは原発と戦争だ。


 まさか、設計寿命を超えた川内原発の運転延長をもくろむ九電は言っていないよな、とホームページを開いたら、「豊かな地球を守るため」原発でCO2を抑制していると、おお威張りだ。軍拡にひた走る岸田首相は、安倍前首相が立ち上げたSDGs推進本部の本部長だ。こりゃだめだ。
 世のため人のためと、ラジオCMになけなしの金を払う鹿児島の中小企業があわれに思えてくる。この世の中、訳の分からないことばかりだ。

 

 人間の社会とは違って、生き物の世界では純粋な喜怒哀楽を味わうことができる。


 4月末、会社で飼っている採卵用の鶏11羽が全滅した。狸に襲われたのだ。初日が2羽、次が6羽、また1羽、1羽、そして最後の1羽がいなくなった。黙って食われるままにしていたわけではない。その都度、何回も鶏小屋の周りを点検し、侵入可能なところを金網で塞ぎ、板で補修した。

 

 最後の1羽になったとき、会社のスタッフからは、いっそ放し飼いにしたら、という提案もあった。聞く耳を持たない私は、唯一の進入路と見た入口扉の前に、ブロック2個入れたコンテナを置き、鍵もつけた。今度こそ大丈夫、安心していいよ、と残った1羽に声をかけたその夜、重いコンテナをどかし、扉をこじ開けられてしまった。

 狸との知恵比べ、完敗だ。すっかり自信をなくした。ガックリ。

 

 肩を落としながらの出勤が続いたが、数日後、うれしい出来事が。
 会社ではニホンミツバチを飼っている。雨上がりの午後、ものすごい数のハチが、ブンブン巣箱の周りを飛び回り始めた。ひょっとして、と思ったら、まさにその通り、分蜂が始まったのだ。2000匹ほどか。巣箱の近くの木の幹に蜂玉を作った。

 網で捕獲。新しい巣箱に入れたら、気に入ってくれて、今ではすっかり定着している。2群れになった。

 

ブロック2個入れたコンテナをどかし、扉をこじ開けられた鶏小屋

 

新しい群れが巣立ったニホンミツバチの巣箱


朝から焼酎

 

 朝から焼酎。なんともいい響きだ。毎日こうなら確実にアル中、病院送りになってしまう。年に一日だけと決めているのが、有機農業の秋の収穫祭「生命のまつり」だ。今年は11月20日に開催した。35回目を迎える由緒ある祭りだ。

 

 私が参加したのは1996年、鹿児島にUターンして南方新社を始めた頃だ。サラの赤星さんに誘われた。
 最初は、真面目に本を売っていたが、いつの頃からか、本売りはスタッフに任せて、焼酎の番に役目が固まった。

 

 祭りは10時から始まる。その30分前に実行委員を中心にした集まり「朝のまつり」がある。そこで鏡割りがあり、みんなで朝酒をもらう。鏡割りの樽には焼酎3升を水で割って入れてあるから実行委員の朝酒くらいでは大量に残る。それを来場したお客さんに振る舞うわけだ。

 

 あるとき、樽に柄杓が掛けてあるだけなのに気が付いた。焼酎が満々と残っているのに誰も飲もうとしない。もったいない話だ。良識ある市民は誰かの許可を得ずに黙って飲むことに慣れていない。通りがかりの人に、「どうぞ」と声をかければ、ほとんどが「貰おうか」ということになる。かくして「焼酎の番」という係が生まれた。昼前には空になるのだが、私もいただくから、そのころには結構回っている。

 

 焼酎を飲んで怒る人はいない。みんな笑顔だ。焼酎代は4000円ほどだろうか。それで、何百人もの笑顔が生まれるなら安いもの。

 以前、小学校低学年の男の子が焼酎を貰いに来た。駄目だと言うと、お母さんにねだっていた。お家でも結構もらっていそうだ。お母さんが何回もお代わりに来ていたが、いつの間にかその小学生は千鳥足になっていた。ありゃ。今年も顔を見せていたお母さんに、あの子は?と聞くと、受験勉強で来れなかったという。びっくりだ。時の流れるのは早い。大人とも対等に口をきき、好奇心旺盛な子だったから、きっと何をしても生きていけるだろう。

 

 別の年には、祭りのまとめ役をしていた小林さんが調子に乗ってガンガン飲んで、すっかり酔っ払った。出店料の集金係だったが、足はよろよろ、ときには倒れる始末。ちゃんと集金できたか知らない。あの日以降、小林さんは祭りで飲まなくなった。
 その小林さんも、昨年病を得て亡くなってしまった。中心人物だった大坪さんも心臓を傷めて亡くなった。長野さんも大和田さん、橋爪さんも逝った。35回、私が参加してから26年、年を経るということは、今生きている人が死んでいくことだと改めて思う。

 

 大きくも小さくもならない手作りの祭り、生命のまつり。来年もどうぞ。

 

 


朝のまつりで、田の神さあが南方新社に。

 


ステージ横で、焼酎と田の神さあがお迎え。

 


ステージでは催し物がある。

 


100円店

 

 七窪水源地の田んぼの谷が、私の通勤ルートだ。仕事場に向かうのはたいてい10時過ぎなのだが、この谷は10時過ぎでも日は当たらない。昨日は谷の枯れ草一面に見事な霜が降りていた。真っ白に彩られた谷の風景は、それは美しい。

 

 谷を上ると、道端で田んぼ仲間の年寄りが手を振っている。バイクを停めると、いきなり話し始めた。このまえ、そこの田んぼで50kgほどの猪が水を飲んでいた、どうにかしなければ大変なことになる、と興奮気味だ。

 2年半前にも、この谷の稲刈り前に出て大騒ぎになった。私の田んぼには、子供の猪のヒズメの足跡があった。あの猪が成長したのか。
 その後、谷の上の丘にねぐらを移したようだから気を抜いていたのだが、どうなることやら。

 

 伊敷ニュータウンの隣の谷なのだが、付近の農家が田んぼのほかに自給用の畑を作っている。その余り物が並ぶ小さな100円店が6カ所ある。店を出すのは年寄りだから気前がいい。この前の野菜不足のときも、ホウレン草や小松菜が大束で出ていた。
 すっかりお馴染みだから、そろそろあの店には柿の並ぶ頃だと目星を付けたら、その通り、5個で100円。別の店では例年通り大ぶりの紫山芋2個100円と期待を裏切らない。
 私も米と野菜を作っているが、この小さな100円店はありがたい。
 お昼を食べに吉野方面に出向くと、道端に大きめの100円店がある。品数は多いがそう安くはない。これは一般的な傾向だ。県外産の果物や野菜が並ぶこともある。

 

 あるとき、「泥棒はバイクの人」の張り紙が目に入った。お金が合わず、よっぽど腹が立ったのだろう。気持ちは分からないでもないが、私もバイク乗りだから、その店には立ち寄れなくなった。ただの張り紙だけかもしれないが、「盗難防止・監視カメラ設置」なんていうのもあった。やれやれ、だ。
 かと思うと、先日登った三重岳麓の小さな集落の100円店。いくつか手に取り、箱にお金を入れたのだが、100円とも何とも書いてない。あとからやってきた近所のおばさんに「100円でいいですよね」と聞くと、「適当でいいよ」と言う。

 

 集落の人が余り物を持ち寄り、必要な人が持っていく。値段は、買う人に委ねられている。つまり、0円から無限大。
 集落以外の人はほとんど立ち寄らないから、なんだか集落内のお裾分け場所のような感じだ。何とも大らか。
 お金が目的になると、人はさもしくなる。お金のない世界。見果てぬ夢なのだろうか。

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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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