2014年10大ニュース


とりあえず 賀正 2015元旦

★ジャーン 設立21年目に突入。刊行点数450点くらい。年賀に代えて近況報告。


2014年の南方新社10大ニュース

1月15日 会社に居候1ヶ月半。この日から始まった有川君の居候。近くの有機農家に研修に入るのだが家が見つからないという。「見つかるまでいい?」と打診され「はいよ」と応える。ガスを使ってもいいよ、と言うのに、庭にかまどを拵えて薪で自炊。鹿児島も1月2月は極寒。夕食は、ヘッドライトを照らし、鼻水垂らしながら準備している。イマドキ、カンシンナリ
3月20日 ユタ本3冊目刊行。奄美・沖縄にはユタというシャーマンがいる。神の声を聞き、人々の悩みに応えるのが仕事。これまで2冊ユタ本を刊行しているが、1冊目は大学の心理学者、2冊目もこれまた大学の民俗研究家が著者。この3冊目は、まこ姉と呼ばれるユタ神様本人が著者。会社に来られたが、存在感に圧倒される。世の安寧をひたすらに祈るまこ姉。トウトガナシ
4月27日 こっそり20周年。めでたきものは誕生日。20年前のこの日、法務局に南方新社を登記した。でも、原発騒ぎでお誕生会どころではない。前々日は火山学者を呼んで原発と火山の講演会、前日は東京の集会に参加、この日も昼間は原発の会合、夕方は原発取材に対応だった。ナニヤッテンダカ
5月5日 茶摘み。毎年恒例の茶摘み。去年そうだったように、今年も田舎の畑周りの茶は元気に芽吹いてくれた。季節がきちんと巡ってくれる。この何でもないような日常にほっとする。製茶工場に持って行って1年分のお茶を確保。ホーッ
5月10日 『隼人の実像』出来。隼人という名が消えてなお血脈をつなぎ、今でも鹿児島で圧倒的多数を占めるのは、隼人の末裔。南九州先住民隼人は、東北の蝦夷、北海道のアイヌ、島津軍に抵抗した奄美、沖縄とともに誇り高き抵抗の民。隼人がいかにして朝廷に征服されたかを、詳細に記す。鹿児島人必読の書。ヨムベシ
7月18日 『松寿院 種子島の女殿様』出来。島津斉宣の娘に生まれ、種子島家に嫁いだ松寿院。夫亡き後、「女殿様」として種子島の土木事業で名を残す。その激動の生涯を追ったのは齢74の女性。島の歴史への一途な思いが実を結んだ。アタマガサガル
9月20日 新薩摩学第1期10巻。鹿児島純心女子大学によるシリーズ刊行10年、10巻目と相成った。コツコツ積み上げれば、いつの間にか大きな山が。ケイゾクハチカラ
11月7日 鹿児島県議会。川内原発再稼働をめぐって鹿児島県議会が開催。前の週からは県庁前に抗議テントを準備。陳情採決のそのとき、傍聴席からは[NO]のポスターが一斉に掲げられ、英国BBC放送は世界に配信した。ナンテオロカナケンギカイ
12月10日 祝ノーベル賞。『評伝 赤 勇 その源流』出来。鹿児島出身の赤崎勇氏だ。サブタイトルは「議を言うな 嘘をつくな 弱いものをいじめるな」。デモ、ギヲイウゾ
12月31日 アイガモ6羽解体。恒例、アイガモ大会。会社近くの田んぼで一緒に米作りしてくれたアイガモ君、ごめん。6家族が集まって正月用に。今年も天気は冬晴れ、庭は草刈りあと、焼酎は新酒、割り水は地下水、カモは旨い。イイトシダッタ

2015年も新刊目白押し。乞うご期待。

2014.7.17〜2014.12.20


 2014.12.20 海辺を食べる図鑑

これまでも何回か、本書『獲って食べる!海辺を食べる図鑑』の制作過程をこの欄で紹介してきた。
私たちが子供の頃、普通に食べていた海辺の生き物の見つけ方、獲り方と食べ方、保存方法を、写真と文章で紹介しようという本書。やっと形になる。
毎度おなじみの天然ウナギから、ワカメ、ヒジキはもちろん、アオサ、フノリ、カサガイ、アワビにマテガイ、ハマグリ、アサリに、ムラサキウニ……。こんなポピュラーなものから、こんなんも食えるの?というアメフラシにナマコ、ヤドカリまで、食べに食べたり136種。
取りかかって4年で撮影はほぼ終わり、この半年は、1日1本と決めて仕事の合間に原稿を書いてきた。
今校正の最終段階。1月末にはお目見えだ。ムラサキウニの項に書いた原稿を再録する。
「磯で自分で捕って食べるとなると、確かに時間と手間がかかる。
磯までの往復に2時間、下拵えに1時間とすると合計3時間。最低賃金でも時給700円を超えるから最低2100円。それだけ時間と手間をかけるなら、お金を払った方がましという計算になる。おまけに車で行けばガソリン代もかかる。
確かにそうだ。だが、自分で捕って食べれば鮮度が違う。食味の大きな部分を占めるのが鮮度だ。とにかく驚くほどおいしい。複雑な流通の中で投入されるかもしれない防腐剤などの薬物も心配ない。
こう考えると、私たちの日常は、お金と引き換えに時間と手間を手に入れ、味覚や健康を手放していることに気付く。もっと恐るべきは、私たちが生きる根本である自分で食べ物を捕って食べる技を、知らず知らずのうちに失っているということ。これに対して、あまりにも無防備ではないだろうか。「生きる力」とは、お金がなくても自然の恵みの中で生きていく知恵だと気付きたい。」
なんだか演説調になっているが、本書を作った理由はここに集約されている。
本書を片手に、ぜひ海辺に行ってほしい。きっと満足するはずだ。とりわけ子供たちは、新しい世界に足を踏み入れる喜びに胸を震わすに違いない。ずっと昔から人間は他の動物と同様、自然の中から食べ物を獲得して生きてきた。食べ物を自分の手で採る。まさに人間の本能的な行為なのである。
何よりうれしいのは、全てタダだということ。本書の代金(2000円+税)くらいは、冒頭のアオサを1回採りに行けば簡単に元が取れる。
海辺は自然の野菜畑、生き物たちの牧場だ。さあ、獲って食べよう! 

 2014.11.21 正体見たり

人は、その行いが顔に出るという。
最近話題に上るのが二人の顔だ。あまりの人相の悪さに、只者ではないと多くの人の印象に残っているだろう。そう、薩摩川内市長岩切秀雄と、鹿児島県知事伊藤祐一郎だ(敬称略)。
岩切市長の悪人顔を修羅の顔という人がいる。刻まれた深いしわが、人々の恐れ、苦悩、ささやかな願いを耳にしながら、己の欲で乗り越えてきた業の深さを物語っている。
一方の伊藤祐一郎は能面のような無表情と、ひとを小馬鹿にしたような薄気味悪い笑みが特徴だ。しわ一本ない、いかにも栄養状態のよさそうな顔は、岩切市長と対照的なのだ。
私は、大手メーカーに就職し、インドネシアの現地工場長として赴任した中学の同級生を思い出した。大邸宅に住み、使用人を何人も雇っていた。その一方で、現地の労働者など馬鹿にしきっていた。もちろん同窓会でも「何だこいつ、何さまだ」とあんまり相手にされなかったのだが、まさにあの顔だ。
再稼働を受け入れた11月7日の記者会見で、伊藤知事は、「規制委員会はすばらしい方々」と持ち上げ、同意は薩摩川内市だけでいいという理由に「知識や理解の薄いところがあるから、他の自治体を聞くのは賢明ではない」と述べた。早い話が「すぐれた東京の人々」と「無知な田舎者」というわけだ。何とごぶれさあなことよ。「命の問題なんか発生しない」という大ウソまでついた。
はなから、伊藤祐一郎という人は、鹿児島のためとか県民のためとかは、一切関心なかったのであると思い至った。向いているのは東京、政府、それに連なる財界といったところか。
3.11以降、私たちの公開質問には一切答えず、県職員にも会話を禁じた。私たちが県庁にいるときは、玄関から入ることなく、地下の駐車場に車を乗り付け、知事室直行のエレベーターで上がって行った。
やつらの言っていることは無視せよ、相手にするな、やつらの前には姿を現す必要はない、見るのもけがらわしい、といったところか。
まさに植民地の管理官ではないか。
11月臨時議会を前に10月30日から県庁前にテントを張った。その横腹に「伊藤知事は県民の命を売るな」「伊藤知事は県民の声を聞け」と大書きした横断幕を張った。「県民の命」とか「県民の声」など、鹿児島を馬鹿にしきった伊藤の胸には1ミリも響かなかったに違いない。
位相が違ったのである。県民の代表などではなかった。
言うべきはただ一言、「伊藤は鹿児島から出ていけ!」だったのだ。 

 2014.10.20 ロシアンルーレット

事務所で飼っているニワトリが放し飼いになって1カ月半。元気に庭を走り回っている。
糞をするのに石の上が気持ちいいのか、玄関前が糞だらけになるのが困りものだ。踏んでしまったお客さんには、運が悪かったと諦めてもらうほかない。
毎朝、残飯をニワトリ用に持ってくる。「コッコッコッ」と呼びかけると羽をばたつかせながら駆けてくる姿が、なんともいとおしい。
その残飯が、野菜くずだけだったりしたら、せっかく駆けてきたのに見向きもしない。「ふん」「なーんだ、こんなもん」「走ってきて損した」と、仲間内でブツブツ言っているのが分かる。
トリ小屋に囲われているときは、青菜は大喜びだったが、放し飼いの今、そこらじゅうに草が生えているから十分食べ飽きているのだ。
10月13日の台風19号。久々に大きいやつが直撃するかもということで、事務所の雨戸を全部閉めることにした。そのときスタッフが発見したのだ。作業の足場を確保しようと散らばっている道具を整理したら、姿を現した大量の卵。放し飼い以降、縁側の下にずっと生み続けていた卵が一度に発見された。その数、十数個。
洗面器に入れられた卵を見ながら、すぐに食べようという気にはなれない。いつ産んだか分からないのだ。自然卵は20日は大丈夫。だが、何個かは確実に腐っている。
せっかくの卵を無駄にしてはならい。毎日一個食べることにした。誰も食べようとしないから、私の係りだ。卵を割れば、大丈夫かどうかは分かる。腐っていたら捨てたらいいだけの話じゃないか。
あれから毎日一個、茶わんに落とし、しょう油をかけて食べた。
「ウマイ!!」。幸運な日が4日続いたが、ついに5日目、落とした卵がなんだか怪しい。白身が濁っているようだ。においを嗅いだのが悪かった。「グギェーッ」。鼻孔をつんざく殺人的な悪臭。卵が腐ったような、という例えがあるが、とにかく酷い匂いだった。
それから、恐ろしくて食べられずにいた。だが捨ててしまうには惜しい。大半は大丈夫な卵だ。ウーン。そのうちどんどん日にちが経って、ますますロシアンルーレットに当たる確率が高くなる。私の母も、なかなか捨てられずにいるが、遺伝だろうか。
深く思い悩んでいた私に助け船が出た。「埋めたら土に帰って肥料になるよ」と。
なんだか安心して、やっと処分できた。

 2014.9.20 オオスズメバチ

飼っているニワトリを、2週間前から放し飼いにしている。ニワトリ小屋の壁際にオオスズメバチの巣を発見したのだ。軒下に丸い巣を作るのは、一回り小ぶりなキイロスズメバチ。凶暴な日本最大のオオスズメバチは地下に巣を作る。
田んぼで働いたアイガモ君は稲の花が咲くと田んぼから上げる。放っとけば稔った米を食べてしまうから、のんびりしてはいられない。田んぼから上げたアイガモは、体はひとり前だが、まだ子供。冬まで太らせて、正月用に頂くのが毎年の恒例になっている。
アイガモ君はトリ小屋に隣接したカモ広場に転居するのだが、網の補修やら準備をしているときに、オオスズメバチがぶんぶんしているのに気がついた。
作業が終わってほっとしているとき、オオスズメが地面にとまった。ウン?と見ているとトリ小屋の壁の隙間に消えていった。と、もう一匹、もう一匹と消えていく。ハーン、この地下に巣を作っているのね。
中にはトリ小屋を経由して狩りに出るハチもいる。バッタやチョウやこがね虫などの昆虫を餌にするのだが、餌が少なくなる秋から冬にかけては、凶暴性がどんどん増していく。ときには死人が報道されるほどだ。
会社のスタッフが交替でニワトリの餌やりをしているから、いつ襲われてもおかしくない。こりゃいかん、というわけで知り合いのハチプロに連絡を取った。
現場検証をしたあと、にこにこしながら「あと一カ月だね」と。はあ?
こっちは早く巣を退治してほしいのだが、ハチプロは巣の中のハチの子を採るのが目的。9月では巣が直径20cmほどと小さいから、苦労の割に採れるハチの子は少ない。あとひと月もすれば直径30cmにもなって、わんさか採れるというわけだ。
別の知人は、ハチの子採りのときに手を刺されて、バレーボールのように腫れた。それでも止めないというから、よほど美味しいのだろう。私は恐ろしいから参加しないが所有者だ。分け前があるはず。ぐっとつばを飲み込んだ。
かくして、オオスズメバチの巣は放置され、トリ小屋での餌やりを避けるため、放し飼いと相成った。
あとひと月。山もりのオオスズメバチの子を食べる日は近い。『オオスズメバチを食べる』なんて本、売れそうだけど、あなたなら買う?
ときどき山でこのハチに襲われてひどい目に遭うけど、きっと地面の巣を踏んだか、すぐ近くで刺激したせいだ。地下に巣を作るから土を巣の周りに積み上げる。山を歩くとき掘り出された土の山には、くれぐれもご用心。

 2014.8.20 イモチ病

 川内原発の再稼働が大詰めになってきた。
 講演会企画や行政への申し入れ、陳情や依頼原稿書きと、仕事以外の仕事が山盛りだ。福島であれほどのことが起きていながら、なぜ今更原発なのだろう。不思議でならない。
 原発にやきもきしても、日常は日常。日常を記そう。
 アイガモに働いてもらっている田んぼの稲の調子が良くない。周辺の田の稲はどんどん分けつして太い株に育っているのに、うちのは分けつが少なく、何とも弱弱しい。枯れた葉も目立つ。そう、イモチ病だ。何とか立ち直ってくれと祈ったが弱る一方。そのままでは全滅だ。意を決して殺菌剤のお世話になった。
 「なんだ、無農薬と言いながら、薬をかけてやんの」と言わば言え。収穫ゼロとくれば、これまでの苦労が水の泡になる。仕方ない。それでも、慣行農法の普通の店で買うコメに比べれば薬の量は10分の1くらい。はるかにましだと、自分を納得させた。
 そもそも、このイモチの菌はどこから来たのだろう。たいていの田んぼは、被害があろうがなかろうが、あらゆる害虫、病気予防に薬をかけるから青々としている。
 だが、草刈りをサボリ気味の畔をよくのぞいてみると、所々イネ科の雑草がイモチにやられている。最強のススキもやられている株があった。ふーむ。イモチの菌は実はそこらじゅうにあるのだ。
 でも、一帯のイネ科の雑草を全滅させることはない。特に風通しの悪そうな中心部に集中する。つまり、適度に間引きする程度に勢力拡大を自制しているわけだ。全滅させれば次の世代が生きることができないからネ。
 その菌がうちの田んぼに悪さを始めたというわけだ。稲は栽培種だからもともと弱い。一気に広がった。自然からすれば異物だから全滅させても何の問題もないだろう。
 通りかかった婆ちゃんは、「冷イモチだねえ」と言った。水が冷たいとイモチにかかりやすいというわけだ。田の水は水源地の湧き水だから冷たい。 今年は、晴れた日が少なかったから、水も温まりにくかったのだろう。それでも田んぼの周りに水路を掘り、直接冷水がかからないようにする手を教わっていた。実は、イモチの兆候を見ながらサボっていた。
 人工のものはなんと脆弱なのだろう、と思う。あっという間に全滅してしまう。薬のない時代、人々はそれを見越して防ぐ方法を受け継いできた。たとえ全滅しても次善の策を打っていたに違いない。
 田んぼを見ながら、生きるということを考える。

 

 2014.7.17畦の草刈り

 アイガモ君と一緒に米作りを始めて4年目になろうか。去年までのところより2枚下が私の修行の場となった。広さは約2倍。1反5畝ほどである。
 収量は、普通に作るより、カモが逃げないように網を張ったり、カモが遊び場の池を作ったりするものだから、一般の7割がた。それでも30キロ袋で20個ほど取れる。モミで600キロ、精米すると3分の2になるから400キロ。家族で200キロも食べれば十分だから、有り余るほどの食糧自給だ。まさに豪農、ふっふっふっ。
 先週の台風8号は、久々の大型直撃かと心配したけれど、急に勢力を落としたから県内の農作物の被害はほとんどなかったようだ。
 台風の去った朝、うちの田んぼもいつもの通りで一安心。ところが昼過ぎ、知り合いのおばちゃんから電話。
 「お宅のカモちゃんが、違う田んぼで遊んでいるよー」
 あわてて行ってみると、なんと上の田んぼの畦が壊れ、大量の泥が流れ込んでいた。もちろん網も埋まっている。カモはつぶれた網の上を簡単に乗り越え集団脱走していた。
 畦を這い上った上の田んぼは休耕中。草の中を楽しそうに走り回っていた。囲いの中で泳ぎ回って除草をしてくれるカモもかわいいが、自由に群れをなして走り回る姿もなかなかのもの。でも、「オーイ、オーイ」と呼べば、おいしい餌にありつけるとすぐに寄って来るのは悲しい性。すぐに田んぼの中に放うり込まれることになる。
 もともと、上の田んぼの畦は要注意だった。休耕中だからと草も刈っていない。怪しいと思って畦を歩いてみるとホクホクだ。モグラが縦横に穴を掘っていた。この穴から水が浸みこめば畦は持たない。
 畦の草刈りは、草を刈りながら弱ったところを見つける重要な作業なのだ。上の田んぼの主がサボって草を刈らないもんだから、田植えの後、境の草刈りを代わりにしてあげ、ホクホクの畦を踏み固めておいた。それでも、まだ弱いところがあったようだ。
 普段も畦を歩きまわって水の調整をするのだが、この歩くだけも役に立つ。体重で自然に踏み固められ、畦は締まっていく。モグラの穴も、いつの間にか踏みつぶされていく。
 畦の草刈りにはもう一つ重要な役目があった。マムシ除けだ。うちの田んぼはマムシの巣といわれている。踏んでしまったら逆襲されてひどい目に逢う。だが、草を刈っていたら乾燥を嫌う蛇は近寄らない。
 昔からやられていた何気ない作業も、いろんな意味を持つことに気づかされていく。
 


2014.1.15〜2014.6.23


 2014.6.23 便利は危険

 本は、再販制度によって、値引き販売できないことになっている。だが、著者にだけは八掛け、つまり二割引で卸すのが通常だ。書店の数が、10年前の半分ほどに激減した今、著者が周りの知り合いに売ってくれるのは、本当にありがたい。
 もうひとつ、直売でも割引する場合がある。業界の掟破りなのだが、書店マージンを払わないで済むのだから、小社にとっては何の問題もない。
 かくして南方新社では、関心を呼びそうな新刊を出すたびに、これまでネット経由で注文してくれた人のアドレスを中心に、2000人くらいメールDMを出している。注文があれば、割引価格、送料無料、郵便振替用紙付きで本を送る。
 無料で手軽にDMできるなんて、まさにコンピュータ社会のたまものだ。
 ところがここにも、落とし穴があった。先日2000人に送った途端、書名に間違いがあったと、何通もの返信が来たのだ。
 案内文書を作るとき、前回のものをコピーして下敷きにした。苦心して文章を作ったまではよかったが、注文欄の書名が、前回の本のまま。なんてこった。クラクラしたが後の祭り。
 ボタンひとつで2000人に送られるのは確かに便利なのだが、同時にボタンひとつで2000人に恥をまき散らす危険も併せ持つ。
 「便利は危険、不便は安全」。こんな近代の一般則をひとつ発見。
 さて、メールDMした本は、『「修羅」から「地人」へ─物理学者・藤田祐幸の選択─』。
 「冷却装置が止まって6時間も経過しており、すでに炉心のメルトダウンが始まっているんじゃないでしょうか」
 東日本大震災で東京電力福島第1原子力発電所が被災した2011年3月11日の当夜、テレビの全国放送でそうコメントした物理学者が九州にいるらしい。そんな話を耳にした。(略)水素爆発も起きていない震災当日の段階で、メルトダウン開始をテレビで言い当てた学者がいたとは初耳だった。……
 本書は、こんな書き出しで始まる。反原発の間では高名な物理学者・藤田祐幸。本書は彼の足跡、思想を余すところなく表現している。取材および執筆は、数々の名著を生んだ毎日新聞西部本社・福岡賢正記者。
 科学、核と原発、チェルノブイリ、原発労働、破局、劣化ウラン弾、宮沢賢治、常に真正面から向き合ってきたこれらのキーワードから、原子力の本質と、あるべき未来が描かれていく。まさに、この破局の時代を読む絶好のテキストといえる労作だ。

 2014.5.22 蛍の乱舞

 シラス台地の高台に事務所はある。その周辺には侵食されたいくつもの谷が形成されている。その谷のひとつが大重谷だ。
 谷の奥にはシラスを潜り抜けた地下水が湧き、鹿児島市の水道水の水源地として戦前から利用されてきた。
 水源地にされるずっと以前から、湧き水は谷沿いに連なる田んぼの用水として使われてきた。いまでも、湧き水を直接取水するので、完全な無農薬栽培ができる貴重な谷である。
 私がアイガモで米作りをさせてもらっているのは、この中の一枚の田んぼ。
 団地に挟まれたこの谷は、昔ながらの風情を保っている。山桜から始まってマルバウツギ、コガクウツギ、田んぼに目をやればレンゲ、今はハナウドが盛り。折々の花が咲き乱れる、まさに桃源郷。毎日のバイク通勤のなんと気持ちのよいことよ。
 内緒にしていたのだが、この谷はゲンジボタルが乱舞する谷でもあった。
 去年の暮れに、町内会長さんが話しかけてきた。「知っちょいけ?あん谷には蛍が飛んたっど」
 道をきれいにして、多くの市民の訪れる名所にしたいと言う。
 いやな予感がしたが、石組みの水路に手を加えたらだめだ、三面側溝にしたら生き物は生きていけない、とだけ伝えておいた。
 「分かっちょいが」と言いながら、まず、使っていない畑に、ゲートボール場を作った。会長さん自らユンボを操り造成するのだから、なんという行動力。道沿いの草もきれいに刈られた。市に掛け合ったのだろう。
 そこまでならよかったが、でこぼこ道の補修工事が始まった。
 なんてこった。水路沿いの木がすべて切り払われてしまった。あれよあれよという間に、アスファルトが塗られていく。塗りたてのあの石油のにおい。あーこいつが雨と一緒に水路に流れ込んだら蛍の子は死ぬだろうな。
 最後のとどめは、のり面のセメント。道路わきを水路の石組みの上まで、木が生えないように全部セメントで覆ってしまった。
 うー、セメントを塗るには水路に入らねばならない。ぐちゃぐちゃに踏みしだかれ、おまけにセメントからは毒水が流れ込む。
 5月の連休からの蛍の季節は、毎晩、真っ暗な谷筋の道を帰るのだが、心配したとおり、道路工事の場所から下流は、一匹も飛ばない。
 やっと、昨日、工事とは無縁な湧き水の注ぎ口に5匹見つけた。工事の始まりの少し上でも5匹飛んでいた。
 この二家族が、子孫を増やしてくれるのを祈るばかり。いやはや・・・・・・。

 2014.4.20 春はヒジキ

 桜も終わった。これから付近の山では椎の花が咲き、むせるような春の匂いに包まれる。こいつは楽しみだ。
 一方、海には海の営みがある。アオサやワカメは終わったが、今はヒジキがまっ盛り。知っている人はとても少ないのだが、この鹿児島でも、北埠頭、祇園の洲から重富にかけての海岸線は、びっしりとヒジキが覆っている。ただで、栄養たっぷりなヒジキが手に入るのさ。これを採らぬ手はない。
 かと言って、いつ行っても採れるわけではない。
 ヒジキは潮間帯の下部に生える。潮間帯とは、潮の干満によって、乾いたり、海中に没したりする岸辺のこと。早い話が、潮が引かなければ、採れないということ。できれば、干満の差が大きくなる大潮の干潮に行きたい。時間を新聞などで前もって調べていくといい。調べなくても、満月や新月の日の2時から3時くらいなんだけどね。
 カマで根っこのところから刈っていけば、ものの5分でバケツ一杯になる。こいつを、ザブザブと水で簡単に洗って、大きめの鍋で茹でる。それを、新聞紙などに広げて干す。黒くパリパリに乾燥したらビニール袋に入れて保存する。そのままでもいいが、冷凍庫に入れておけば、永久にもつ。
 ヒジキって分かるかどうか心配って? 褐色の30㎝から1mの長めの海藻だからすぐ分かる。普段見慣れた黒いヒジキは乾燥させたもの。今はもう少し深場にホンダワラも茂っている。ホンダワラは気泡がまん丸いが、ヒジキの気胞は細長い。
 間違ったところで、ホンダワラの仲間も全部食べられるので安心だ。
 このヒジキ、ずっと昔から利用されてきた。朝廷への献上品や税、海辺の民と山の民との交易の品だった。今に至るまで変わらず、この日本の沿岸を彩り、人々はその恩恵に浴してきたというわけ。飢饉に備えて、俵に詰めて大量に備蓄していたというからすごい。
 つい最近になって、海藻はお金で買うものになってしまった。こうなると人と海の関係は絶たれ、海は埋め立てやバイパス道路、護岸などで、どんどん壊されていく。
 それでも、鹿児島では春先になると残された海岸を、どこもヒジキが埋め尽くす。
 漁業権が設定されているところは注意。海辺に看板で注意書きがあるから分かる。南大隅でこの看板を見かけた。こうしたところで、大きなビニール袋に詰め込んで持ち帰ろうとすれば怒られる。小さな袋に、家族で食べる分だけ頂いても目くじらを立てる人はいないだろうけどね。

 2014.3.16 なんと鶏泥棒

 いつも犬2匹連れて散歩している近所のおばさまから電話があった。
 「お宅の鶏は元気ですかあ?」
 「それが最近いなくなっちゃって」
 「やっぱり」
 前々回、1月1日の夜、鶏の♂1♀1が消えた話を書いた。その時は♂が狙っていた美人の♀と駆け落ちしたと思っていたのだが、その後2♀、翌々日に1♀と、立て続けに残りの3羽も消えてしまった。
 これは、人間の仕業。それも食べるためなら、続けざまに3羽ということはない。とても食べ切れないからね。飼うために持っていかれたと推理した。
 さらに、夜でも無理やりつかもうとすると騒ぎ出す。近所に怪しまれずにさっと2羽、首をつかんで持っていくのは、よほど飼い慣れたご仁だと。
 おばさまの話に戻る。
 話はこうだ。その日、これまた近所の年寄りが、鶏を抱えて歩いていた。
 「おいしそうですね」と声をかけたら、卵を採るために貰ったのだという。その数日前にも、軽トラに乗ったその年寄りと出会い、荷台の飼料袋に入った鶏を目撃している。
 これは怪しい。実はその年寄り、去年の11月に、鶏泥棒の現行犯で警察の厄介になっていた。
 騒ぎが収まった後、これまた近所の庭先に置いてあった白いウサギの置物を盗ってしまった。すぐに見つかって怒られると、鶏の卵を抱えて持ってきたらしい。
 「うちには食べ切れんほど卵がある」と言って。聞くとこの年寄り、体は元気だけど、人のものと自分のものの区別が苦手らしい。
 うーむ、これは、これは。
 坂の上のお向かいさんも鶏を飼っている。犬に吠えられながら被害がないか聞きに行ったら、まだ明るいのに風呂上がりの奥さんが「うちは大丈夫だよ」という。ははーん。犬に吠えられたら盗れないよね。
 と、町内会長さんが通りかかった。
 「あたいげえの鶏が5羽、おっ盗られたが、近所では、いけんも無かけ?」
 「なんちな。こん1週間で文夫さんげえん鶏が7羽、おっ盗られたどー。そん隣のトヨばあさんげえは、白菜やれ、ネギが盗られたげな。野菜はちっと、我がで食うひこじゃったち。今警察ぃ、電話をすっとこいじゃった」
 被害は拡大の様相を呈してきた。明日、年寄りのトリ小屋をのぞかせてもらおう。なんせ、5年も餌をやっていたんだから、顔を見ればすぐ分かるもんね。うちの子か、ひとんちの子か。
 田舎に事務所を置いておけば、いろいろあるねえ。仕事はせんと、ご近所さんと鶏話だよ、まったく。

 2014.2.17 鹿児島人のご先祖たち

 鹿児島人が活躍した維新の話ではない。関ヶ原を敵中突破した島津軍の話でもない。
 おそらく、現在でも鹿児島人の8割が脈々と血を受け継いでいるこの地の先住民隼人の話だ。
 昨年、2013年は歴史的な年だった。大隅国建国1300年に当たる年だったのだ。国府のあった霧島市を中心に1300年記念行事がいろいろ行われたようだ。
 だが、待てよ、と思ったのは私だけではあるまい。私たちのご先祖様隼人は、頼みもしないのに、朝廷に国を作られてしまった。702年薩摩国、713年大隅国である。ご先祖様たちは、すんなり従ったわけではない。いずれの年も反抗し、攻め込んだ軍勢にひどい目に合わされた。おまけに朝廷は、川内や国分に「国府」を作り、なかなか言うことを聞かない蛮賊から国府を守ろうと、それぞれ4、5千もの屯田兵を移住させて来た。
 屯田の地の周囲に長大な柵を作り「明日からこの土地は朝廷のもんだ」「隼人たちは出て行きなさい」というわけだ。
 「いや、突然そう言われても困る」と言ったかどうか。ご先祖様は住み慣れた土地を追い出されてしまう。幼子を連れた家族もあったろう。まさに、家もなく流浪の民である。
 ご先祖様は、720年、あんまりの仕打ちに国守・陽侯史麻呂を殺してしまう。そしてその後、大伴旅人を征隼人持節大将軍とする1万の朝廷軍の来襲を受ける。「持節」は、天皇の刀を持つ名代だ。1年半ほどの抵抗戦の末に、悲しいかな捕虜と首1400余を朝廷軍に持ち帰られた。
 踏んだり蹴ったりの目にあった隼人の子孫が何でお祝いなの? アメリカでもコロンブス上陸500年祭や建国200年祭なんか、インディオは無視するのに。やれやれ、と思っていたら、隼人研究の第一人者、中村明蔵さんから原稿が届いた。『隼人の実像―鹿児島人のルーツを探る―』(仮)だ。
 たやすく長いものに巻かれず、父祖の地を守るために、そして自らの自由のために戦った先祖がいたことを知っておきたい。東北の蝦夷、北海道のアイヌ、島津軍に抵抗した奄美、沖縄、そして南九州の隼人、それぞれ誇り高き抵抗の民だ。
 隼人はこの時期、朝廷の役人や屯田兵に支配され、やがて、鎌倉期には島津武士団に支配される。
 だが民衆隼人は、隼人という名が消えてなお血脈をつなぎ、営々と田畑を耕し、漁労や狩猟に勤しんできた。今でも、この鹿児島で圧倒的多数を占めるのは、隼人の末裔たち。
 私もあなたも、隼人なんだぜ。

 2014.1.15 ゴンベが種撒きゃ

 2014年は正月から異変続きだった。
 南方新社では、鶏♂1♀4の5羽と、合鴨を飼っているから、正月休みも餌やりは欠かせない。
 養鶏をしている友人が、「旅行にも行けず、家に縛られているから、鶏に飼われているようなもんだ」と嘆いていたのを思い出す。
 先ず、1日に事件が起きた。1月1日の昼から2日の昼の餌やりの間に、♂1♀1が神隠しのように消えていた。狸に襲われた形跡はない。会社の金目のものには目もくれず、鶏だけ盗っていく盗人もなかろう。
 私の出した結論は、入り口の建てつけが悪くなっていたから、その隙間から、かねて♂が狙っていた美人の♀を連れて、駆け落ちしたというもの。今も行方不明。遠くの森で仲良く暮らしている姿を思えば、微笑ましい。
 田んぼで働いていた合鴨9羽は、うち6羽を1231日に解体した。友人たちと寄ってたかって羽をむしり、正月用の土産のほかに、庭でバーベキューや刺身、鴨鍋を堪能した。
 そのあと、残ったアラを庭の片隅の畑の脇に埋めておいた。こいつを狸が嗅ぎつけ、翌々日にはすっかり掘り起こしていた。味をしめた狸は、正月休みの間に合鴨の柵を壊して、残った3羽を1羽、また1羽と全部連れ去っていった。
 もっと太らせて、バーベキューに、という目論見はついえたのだが、狸にとってみれば最高のお年玉。きっと家族みんなで、いい正月だったと満足しているに違いない。
 掘り起こされたアラを、喜んでご相伴にあずかったのが、周辺の森にたむろするカラスたち。大勢押し寄せ、ついでに遅まきながら植えた玉ねぎの苗を引っこ抜いていった。
 植え直しては引っこ抜かれ、また植えては引っこ抜かれ……。マルチの黒ビニールを仲間だと思って寄ってくるのかも。ビニールを剥がしたら、いたずらは止めてくれた。
 さて、年末ぎりぎりに間に合わせた名著『桜島噴火記―住民ハ理論ニ信頼セズ』の復刻版。古書店で1万円以上の価格が付けられる幻の書なのだが何と定価1800円で刊行。
 この著者がまた凄い。元NHKの記者で、95年、産廃処分場が焦点となった岐阜県御嵩町長に当選。翌年襲われ頭蓋骨骨折、意識不明の重体になったご仁。それ以前の現職時代には、北朝鮮に2度渡航。よど号の学生たちの日本帰還を援助したり、小野田少尉を日本に戻したり。
 年明け、鹿児島に来られた際に一杯やったのだが、話は尽きず。
 20周年を迎える今年は、なんだか慌しい年になりそうだ。
 



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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