小魚が群れる理由

 

 先日、新聞でほほえましい記事に出合った。奄美の小さな小学校に魚の専門家が訪れ、擬態の不思議を教えたというもの。
 たしかに、カサゴ(アラカブ)は岩や海藻に紛れやすい色形をしているし、カレイやヒラメは砂地の海底に張り付いていれば、見つけられない。鹿児島の堤防でも、海をのぞいてみれば、ヒラヒラした枯れ葉と思いきや、ナンヨウツバメウオの幼魚だったりする。うん、ほのぼの。

 

 だが、読み進めるうちに、ン?となった。子どもたちがひときわ感心したのが、小魚たちが群れて大きな魚に見せかけて(擬態して)捕食者から身を守っているというくだり。以前から耳にしていたが、あらためてホンマカイナ、と思った。


 釣りをする人には常識なのだが、イワシなんかの小魚の群れには、マグロ、ブリ、カンパチ、カツオなど、青物の捕食者が付きまとう。青物を釣るには小魚の群れ(ナブラ)を狙えというくらいだ。ちなみにナブラとは、青物に追われた多くの小魚が海面から跳ね上がる状態を指す。この小魚を狙って海鳥が集まるから、漁師は海鳥を目当てに狙いの魚を探したりする。青物は、海面まで追い詰めればこっちのもの、小魚の食べ放題、片っ端から食べることになる。
 小魚の群れを大きな魚と勘違いして逃げた青物がいた、という話は聞かない。


 逆に、群れは大きくなるほど目立って、狙われやすくなるだろう。一人ぼっちの方が断然安全だ。
 群れるのは、狙われやすくなるというデメリットを上回るメリットがあるからに違いない。年頃の若者が都会に憧れるように、群れの方が彼女や彼氏を見つけやすいだろう。餌は、ぼーっとしていても仲間が見つけてくれるから付いていけばいい。群れの中では流れができているから、さぼっていても流れに乗れる。

 

 大魚擬態説は、ほとんど通説のようになっているが、ウソじゃないか。そう疑って通説の根拠を探そうとしたが、やはりどこにもない。昔からそう言われていた、としかない。誰かがある日思い付きで言ったことが、まことしやかに語り継がれてきたのだろう。だとしたら、この講師は子どもたちにウソを教えたことになる。

 

 定説にはこの種のうさん臭さが伴うから要注意だ。国の決めることも似たようなもの。
 人間はいま、小魚のようにみんなと一緒になりたがっているようだ。一緒の方が確かに安心感はあるだろう。だが、知らぬ間に、全滅の罠にはまっているかもしれない。



鹿児島の岩場にはどこでもいるカサゴ。きびなご餌で釣る。


磯海水浴場で釣ったテンジクガレイ。砂底にいれば見つからないね。


カニ捕り紀行

 

 7月、奄美博物館の館長が出版の打ち合わせで事務所に来た。
 ひょんなことから、ミナミスナホリガニなるものがいて、奄美の人は食べているという話が出た。
 ナヌ!食べる?生き物食いのプロを自認する『海辺を食べる図鑑』の著者としては聞き捨てならぬ情報だ。この本の続巻も準備中だ。これは、捕りに行かねばならぬ!
 ところで、スナホリガニ、知らないよね。吹上浜で貝掘りしていて、爪の先くらいの生き物がサッと砂に潜るのを見たことがあるかもしれない。こいつは、九州以北にいるハマスナホリガニ。1cm内外の大きさだ。
 まずは、ミナミを捕る予行演習にハマ捕りに行くことにした。
 お盆の墓参りに小学生の甥と姪に会った。ちょうどいい。カニ捕りに行くかと聞いたら、「行く行く」ときた。吹上浜に出て、1匹10円だよ、と言うと元気よく波打ち際に走った。
 捕り方はこうだ。干潮の波打ち際のひざ程度の深さの砂を、魚捕り用の網ですくう。波に当てると細かい砂は出ていくのでハマスナホリガニが残る。30分足らずで、30匹ほど捕れた。
 持ち帰って素揚げにしたらまるでエビセンだ。腹の足しにはならないが、焼酎のアテにはもってこいだ。こりゃ、旨い。

 

 

1匹10円でよく働いた姪

1匹10円でよく働いた姪  

 

ハマスナホリガニ

 ハマスナホリガニ

 

 奄美以南の海辺にいるミナミスナホリガニは体長4cm。ハマの4倍だ。体積(重量)は4の3乗だから64倍。十分に食べがいがある。
 10月2日大潮の日に、奄美行きを決めた。もちろん、博物館の原稿受け取りという「仕事」のおまけだ。ところが直前に、「原稿ができていない」という連絡。ほかにもいろいろ予定を入れたので今さら変更するわけにもいかない。結局、カニ捕りが第一の目的になってしまった。
 フェリーにバイクを載せて、いざ奄美へ。目的地は大和村大棚の砂浜。13時、干潮。11時から開始した。
 第一の誤算は、奄美の砂の粒径が大きく波に当てても網から砂が出ていかないこと。掘った砂を上まで運んでばら撒かざるをえない。第二の誤算はいないこと。何回砂を運んでも、いない。20回も掘れば息が上がる。捕れなきゃ何のために来たのか。21回目、やっと1匹ひっくり返った。これぞ、ミナミ。やったー。捕ったぞー。
 1匹いたら、もう1匹いる。自分を励ましながら、延々と砂掘りが続いた。10月とはいえ、炎天下。およそ2時間、300回、2トンは掘っただろうか。
 疲れ果て、何度も砂の上に寝転んだ。結局、収穫13匹。死んだら殉職になるだろうか、なんて思いながら、なんとか第一の目的を達成した。

 

 

大棚の砂浜

大棚の砂浜   

     

 ミナミスナホリガニ

 

抜群の素揚げ   

 

これも旨い塩茹で

 

 


すぐに手を引け!

 

 鹿児島の薩摩半島の西海岸には、日本三大砂丘といわれる吹上浜が、南北40kmにわたって連なっている。
 私は、教員の父について10歳まで吹上浜北部に位置する市来で暮らした。
 浜辺でキサゴの貝殻を拾い、指の間に挟んで笛にした。その笛は、松林で陣取りをするときに、味方への合図に使った。
 潮が満ちてくると波打ち際に砂で城を作った。どれだけ大きく作っても、波で少しずつ砕け、すぐ後ろにまた別な城を作ることになる。飽きることなく、波と砂で遊んだ。
 日が沈むときは、ひときわ大きく輝く太陽が眩しかった。海の向こうには甑島が横たわり、その向こうは果てしない海だ。
 流れ着いたガラス瓶を流木の上に並べ、西武のガンマンよろしく石を投げ命中を競ったこともある。割れたガラスでしょっちゅう足を切ったのも自業自得だ。
 母は、波に寄せられてすぐ砂に潜るナミノコガイ採りがめっぽう好きだった。潜り切れず、砂に立ったやつを波をよけながら拾っていく。ナンゲと呼ぶその貝は、30分もすれば、袋一杯になった。
 そういえば、母の弟は、50歳の時吹上浜沖にタコ採りに行ったまま帰ってこなかった。舟が壊れ、遭難したのだ。
 父は、梅雨が明けるとキス釣りだ。干潮の川口でゴカイを掘り、潮が満ちてくると岸に寄ってくるキスを狙う。盛期には浜辺に数メートルおきに釣り人が並び、それでも、2、3時間で100匹はものにしていた。このキスも原発のせいでほとんど消えてしまったけれど。
 父の出は日吉町、母の出は吹上町、いずれも吹上浜沿いだ。いうなれば、私は、先祖代々ずっと吹上浜を見て暮らしたその末裔だ。
 こんな話を並べたてたのも、今吹上浜に大問題が起きているのだ。吹上浜沖の洋上巨大風車群の建設計画だ。
 この計画を報じた南日本新聞には、記事の最後に「住民の不安をどう払しょくするか」と書いてあった。何の問題もないけど、無知な住民にきちんと説明しましょうネ、という意味だ。
 景観破壊が言われる。だが、海を見ながら育った身からすると、景観などという生やさしいものではない。海とともにあった先祖を含めて私たちの過去が汚され、消されようとしている。例えるならば、どの墓も花を絶やすことのない墓地で、突然墓石がなぎ倒され、糞尿を掛けられるようなものだ。
 馬鹿なことから今すぐ手を引け!体の底から憤りが湧き上がってくる。



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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