2007.7.18〜2007.11.16


2007.11.16 幸せなひと時

 出版の仕事をしていて幸せなひと時の話。
 原発や諫早干拓、市町村合併など、当たり前のように進む企業や行政の事業に対して、ちょいと待てよと、紙爆弾を密造する快感もさるものながら、やがてお目見えするであろう本を手に取った人が、昔のことを思い出したり、考え込んだり、クスッと微笑んだり、そんな心豊かになる原稿に誰よりも早く出会う喜びもまた、この上ないものである。
 大吉千明さん。72歳、串良の床屋さん。若いころ漫画家を目指し上京するも夢果たせず、帰郷した御仁だ。ユーモアあふれる墨絵の漫画と鹿児島弁の使い手である。小社から既に5冊出している。
 いま、鹿児島弁のキーワードのいくつかを、鹿児島弁の例文で説明する原稿を預かっている。いうなれば『英英辞典』ならぬ『薩薩辞典』だ。一足早くいくつか紹介しよう。

それとんの
それとなく。「一年生になった孫が、重びふうで鞄ぬかるっ〔背負い〕学校に行っじ、ガッツイ行っがなっどかいチ俺どんがそれとんの後を付けっみたや、脇目もふらじ校門ぬ、くぐっ行ったど、お前や」。孫の姿がいたいけなくムジかったとか〔可愛かったのか〕、宗雄どんが涙が滲んだ目をしょぼつかせっながい「年しゅとれば涙脆ひんなった」チ言っ、目の縁っそろいと拭ぐわった。

ゴロがつっ言葉
鹿児島では言葉の下にゴロが付くものは、あんまい良かぁごうはん。嘘つっゴロ、盗人ゴロ、いやしゴロ〔食いしんぼう〕、欲ゴロ、良か真似しゴロ、いめゴロ、などがあって、最後にキンゴロがごあんどん、これは男のシンボルでまこて可愛いもんであります。体温保持のため寒みなれば縮みあがり、暖かくなればダラリの帯より長く垂れもす。ハーイ。

 高校教員をしている息子さんから、お便りが添えられていた。
 「父は書き残したことがあると言い、原稿作りに没頭していました。本業を忘れたかのように、背を丸めて……。その後ろ姿からは執念というか、何かに取り憑かれたような感すらしたものです。(略)なにぶん趣味の延長であり、決して上手とは言えない絵と文章ではありますが、読む人の心に、ある種の郷愁と感動を与えると思います。」
 ホッコリ優しい気持ちになれる方言。まさに文化そのもの。絶滅寸前の鹿児島弁を何とか後世に伝えようという気持ちが、また一つ形になる。
 来年春、刊行予定。乞うご期待。

2007.10.23 高額本

 だいたい本の値段は1500円前後。それで2000部売れて何とか食っていけるというのが、田舎出版社の一般的なパターンである。
 値付けについてもう少し細かくいうと、グラム400円。変な話だが、本も国産和牛並みの値段が相場だろうと、これまでの経験から判断している。見栄えもだが、手に持ったときの重量感が、値段の妥当さに結びついているような気がする。
 もちろん、とても2000部は読めないとあらかじめ分かっていれば、定価を高くせざるを得ない。
 今回企画している本は、およそ3倍の重さ。刷り部数も500部。とくれば値段は公式どおり12倍、どーんと18000円である。
 題して『南西諸島史料集』。「十島図譜」(白野夏雲)、「七島問答」(白野夏雲)、「薩南諸島の風俗」(田代安定)、「島嶼見聞録」(赤堀廉蔵他)など、明治期に役人がトカラを調査した報告書類をまとめたものである。
 これらの古い文献は、その地域の歴史や民俗を調べていく際に、必須の基本史料となる。だが、なかなか手にすることはできない。古書店などで運良く見かけたとしても、それぞれ何万円もする。
 編者の松下志朗さんは、現在74歳。長く奄美・トカラの歴史研究に携わってきた学者である。『近世奄美の支配と社会』という奄美を知るためのバイブルともいうべき名著もある。数年前に心臓の病に倒れた。いまは回復されているが、最後の仕事として後進のために史料集を残しておこうと一念発起されたのである。
 この本の大切さは理解してもらえると思うが、出版社はただ本を作ればいいというわけにはいかない。大金をはたいてでも買うという500人を見つけなければならない。このご時世、これがなかなかなのである。下手をすれば、何百万円の赤字となる。
 さらに、冷や冷やものなのは、この勝負が一回だけではないということ。何と全五巻、出し続けなければならない。第一巻がこけたから止めます、というわけにはいかないのだ。
 年中、売れなければ赤字という賭けに出ているのだが、今回は12×5巻の60倍規模の賭けである。賭け事に必勝法なんてない。運を引き寄せ、力を尽くすだけだ。
 ちなみに、全五巻は以下の通り。第一巻「明治期十島村調査報告書」、第二巻「名越左源太関係史料」、第三巻「奄美法令集」、第四巻「奄美役人上国記」、第五巻「奄美諸家文書」
 セット予約受付中。

2007.9.13 トウモロコシ泥

 南方第二農園の開園から二カ月余り。
 10月に小社より刊行予定なのだが、一足先に『自然農・栽培の手引き』(川口由一監修、鏡山悦子著)を教科書代わりに、荒地の開墾から、植え付けまでを行った。これまでほとんど手を掛けずにいたのだが、先の日曜日には枝豆、チンゲンサイなどをたくさん収穫できた。
 南方新社・自然農クラブのメンバーも大満足。ただ、トウモロコシだけは、「ひげがこげ茶色になってちぢれてきたら収穫」という教科書に従うと、あと1週間ほどは我慢した方がよかろうということになった。
 水曜日に畑を覗いてみると、あら不思議!トウモロコシが視界に現れない。近くによって見ると全部倒伏しているではないか。倒れた幹の傍らには、皮を剥かれたトウモロコシが、芯だけ残して放り散らかされている。人間ではあるまい。人間なら実だけ採ればいいのだから。そうだ、タヌキの仕業だ。でも、どうして倒したのだろうか。2本足で立つレッサーパンダが人気になったが、川上町のタヌキも2本足で突っ立って引き倒したのであろう。皮を剥いた形跡はあるのだが、芯が見当たらないものもある。きっと、お土産に持って帰ったのであろう。これも、両手に抱えて2本足で巣まで歩いて行ったに違いない。
 いろいろ、現場を見ながら想像が膨らんだのであるが、そもそも、なぜタヌキに気付かれたかが最大の問題として残った。ふと思い付いたのは、試しに何本か収穫して、皮やひげを畑に落とした者がいたのではないかということだ。
 たぬきが散歩がてら畑を歩いていたら、なにやら甘い匂いのする皮が落ちている。「ずっと昔、食べたことのあるあの匂いだ。父さんタヌキは引き倒して実を採っていた。よしっ」と犯行に及んだというわけだ。
 ちなみに、トウモロコシは収穫して24時間たつと、糖度が半分に落ちると教科書に書いてあった。タヌキは採れたての、一番おいしいトウモロコシを味わったに違いない。
 会社に帰ってこの件を報告すると「えええーーっ」と落胆の声が会社中に響き渡った。「犯人はタヌキだが、皮を剥いて畑に放り投げてきた者がいるはずだ」と水を向けると、ゆでて食べたら、とっても美味しかったと一人が白状した。
 でも、タヌキも味をしめた。当分、この畑にはトウモロコシは植えられまい。
 『自然農・栽培の手引き』(川口由一監修、鏡山悦子著)は、家庭菜園にもうってつけだ。10月初旬の発売開始。B5判220ページで2100円(税込み)。予約受付中。

2007.8.8 第二農園、開園

 2007年7月1日、喜びの日を迎えた。南方第二農園の開園だ。
 『農的生活のすすめ』(萬田正治他)『トリ小屋通信』(大熊良一)という農業関係の本を連続して出し、また『自然農・栽培の手引き―いのちの営み、田畑の営み』という本の出版が決まったこともあり、社内でも急に農業をしたいという機運が高まっていた。
 合鴨農家の橋口孝久さんに、貸してくれるところはないかと相談したところ、すぐに格好の土地を紹介してくれた。借地料はただ、盆暮れの土手の草払いだけが条件である。その場所は、市内川上町の県道吉田蒲生線沿いで、橋口さん宅のすぐ裏手。およそ6畝の広さがある。
 「せっかくだから、自然農でやろう」。鮫島亮二を園長に、南方新社・自然農クラブも同時に発足することになった。「耕さず、草々虫達を敵とせず」の自然農である。
 この日は、南方新社から男2名、女2名が結集した。3年ほど前まで畑だったのだが、一面にセイタカアワダチソウが生い茂っている。草刈機で刈ろうとも思ったが、残った株からどんどん芽がでるので、この際、全部引き抜くことにした。場所によってはクズや棘のあるカナムグラが絡まっていてなかなか面倒だ。だが、抜いた後はフカフカして柔らかい。土は肥えていそうである。
 汗みどろになりながら2時間余りひたすら抜いていると、1畝ほどの畑がぽっかり出現した。いよいよ植えつけである。その前にまず、1×10mほどを目安にステージ状に畝を作り上げた。その上に抜いた草を乗せていく。自然農には「持ち出さず、持ち込まず」という教えもある。つまり肥料をやらない代わりに、植物のなきがらを積み重ねて土を肥やしていこうという考え方である。草をかぶせて土を覆うのは乾燥を防ぐためでもある。
 草を掻き分けつつ、それぞれが持参した種をまいていく。枝豆、スイートコーン、インゲンなどなど。
 運営に際して、簡単なルールを決めた。①開墾した場所はそれぞれが自己管理する。収穫物も自分のもの。まく種は自分で買う。②参加費は無料(ただし土手の草刈は義務)。③参加は南方新社のメンバーに限らず自由。早いもん勝ち。開墾終了次第、募集打ち切り。

 あれからひと月余り、ちゃんと芽吹いて健気に育っている。枝豆も、小さな白い花が終わり、赤ちゃん枝豆をつけている。自分のまいた種は愛着があると見えて、自然農クラブのメンバーも仕事の合間にちょくちょく畑を覗きに行っている。「ビールと枝豆」「ビールと枝豆」……、呪文のように唱えながら、荒地も3畝ほどは開いたであろうか。

2007.7.18 万人直耕

 このひと月は出張続きだった。
 先ずは福岡行き。唐津に近い農村地帯。そこにとてつもない大物がいた。と言っても、お会いしたのは小柄な女性。
 きっかけは、2月『いのちの営み、田畑の営み―自然農・栽培の手引き』という自費出版の本を紹介する新聞記事であった。早速、入手。中身を見て仰天した。田んぼや畑を荒地の開墾から解説してある。そして畝の作り方、作物の種類ごとの植え付け、管理、収穫、タネのとり方まで丁寧にイラストつきで解説してある。本作りに相当な手間が掛かっていることがうかがえる。
 「耕さず、虫を敵とせず」という自然農は知識としては知っていたが、誰に聞いても、うまく行く筈がないという反応だった。ところが、本にはたわわに実った稲をはじめ、元気な野菜類の写真も載っている。解説どおりに作っていけば、バッチリ収穫できるという寸法だ。
 ぜひ南方新社から出版して欲しいというお願いに出向いたのである。実際に田畑を見せてもらった。これなら自分でも出来そうだという気がしてくる。しかも耕さないからラクチン。先月、カライモの苗を50本植えつけるために、よもぎの根の張った荒地を汗みどろになりながらクワで掘り起こしたことが頭をよぎった。年老いて、体力がなくなっても問題はないだろう。
 確かに、大きく稼ごうという大量生産には向かないが、自給用の農業にはもってこいのような気がする。この本、順調に行けば9月にはお目見えする。冬・春物の植え付けには間に合うだろう。乞うご期待。
 ついこの間は、大分まで行った。自給自足の農業をしながら、自然卵の養鶏で生計を立てている著者の訪問だ。鳥インフルに負けないニワトリにするためには、スズメ並みの野生に近づける外ない、と喝破する大人(たいじん)である。
 彼が、朝日新聞に連載していたコラムを本にしようと作業を進めていたのが、やっと出来上がった。電話だけで一面識もなかった著者への挨拶をすませ、大分の書店にあいさつ回り。いつものように、ビーサンと首には手ぬぐい。営業もこれですむのがありがたい。
 書名は、そのものズバリ『トリ小屋通信』。帯には「進歩、拡大、発展に背を向けて26年」と挑戦的に文字が躍る。本の中で印象に残るフレーズを一つ。安藤昌益の唱えた「万人直耕の理想社会」を目指す彼が、阪神大震災の被災者に贈ったメッセージ。「都市を捨てなさい。これが我々の激励の言葉である――」



プロフィール

南方新社

南方新社
鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

南方新社サイト

カテゴリ

最近の記事

アーカイブ

サイト内検索

others

mobile

qrcode