2006.7.15〜2006.12.19


2006.12.19 残った一万円札

 1216日、奄美大島へ出張。
 かつて鹿児島市に道の島社という出版社を構えていた藤井勇夫さんが亡くなって2年半がすぎた。初めて田中一村に光を当てた書『アダンの画帖−田中一村伝』、奄美の料理を紹介した『シマヌジュウリ』、植物の解説書『奄美の四季と植物考』など数々の名著を残したが、事業としてはうまくいかず、さんざん借金をこさえて郷里の島に消えた藤井さんだった。
 奄美では北部の村に郷土料理屋を開業したが、これまた客が来ず、開店休業の状態が続いた。それでも、若者には好かれていた。旅の若者に無料で宿を提供するものだから、口コミで訪問者は絶えなかった。そのまま村に住み着いたIターン者も20名ほどはいるだろうか。
 藤井さんが亡くなったときも、駐車場の草刈り、家の掃除、炊き出し……、ことさら目立ちはしなかったが、あらゆることを若者たちが取り仕切っていた。
 私が奄美についたその夜、偶然にも名瀬のライブハウスにその若者たちが集まっていた。島に住み着いた者はもちろん、東京、岡山からも駆けつけていた。私も喜んで合流。3時を過ぎていただろうか、深夜まで痛飲した。
 帰ろうとすると、ごっちゃんという子が見送りに出てきた。もうろうとする眼で財布をまさぐり、1万円札を取り出した。それをいくつかに折り曲げて、彼に渡そうとした。
 「若い者は金がいるだろう。少ないが取っておけ」
 「いやいいですよ。気を遣わないでください」
 「遠慮するな、俺は社長だ。飲み代の足しにすればいいだろう」
 「いやいや、本当にいいですよ」
 「何をいってんだ。命令だ取っておけ」
 5分くらい押し問答が続いたかもしれない。最後はむりやり彼の手に押し込んだ。よろよろしながら、ホテルに向かったが、どういう風に部屋までたどり着いたかさっぱり覚えてはいない。
 翌朝、なんだかいやな予感がした。財布を開いてみるが、1万円札は無くなっていない。2枚あったはずだが、ちゃんと2枚残っている。じゃあ、渡した1万円札は何だったのだろうか? 「いやな予感」というのは、紙幣とは微妙に違う紙の感触が指先に残っていたのだ。財布にはいろんな領収書が入っている。きっとその内の1枚を渡してしまったに違いない。なんてこった。
 今思い出すたびに笑いがこみ上げてくるが、ごっちゃんにはあまりの格好悪さに、電話1本できないでいる。


2006.11.17 弁護士からの手紙

 弁護士から書類が送られてきた。事務所の封筒がいかにもいかめしい。最初、そんな封筒を見たときは、ギョッとしたものである。本の内容が気に入らず、訴えるとでもいうのか、お金を払えとでもいうのか。封を切るのに気合が入った。
 しかし、このごろはだいぶ慣れっこになった。この種の書類は4通目、どうせまた書店の倒産の通知だろう、と封を切る前から想像がつく。案の定、長崎のO書店が倒産。負債の金額を確定したいという連絡である。小社の取りっぱぐれがいくらあるか、返信せよというのだ。ご丁寧にも、「経営者にはこれといった資産はなく、自己破産の手続きに入るので、負債の取立ては不可能である」と追記してある。
 このO書店は人口14万人の諫早で、アーケードのど真ん中に位置する一番の老舗書店だった。ご多分に漏れず、郊外にショッピングセンターが出来るとアーケード街からは人が消え、次第に払いも悪くなった。何回請求してもなしの礫。このところ、毎年4月に開かれる諫早干潟の集会に行ったついでに店に出向き、やっと集金させてもらっていた。今年は腰の具合が悪かったせいもあり集会は欠席。集金もパス。おかげで15万ほどパーになった。やれやれ、である。
 いま、街から本屋がどんどん消えている。全国で3万店あった本屋さんが、ここ10年で2万店になった。毎年1千店廃業しているのだ。鹿児島でも、小社が開業して12年、50店ほどが消えただろうか。
 人の流れが変わり、大型店やロードサイド型書店が進出すると、家業型の街の書店はひとたまりもなく潰れてしまう。取りっぱぐれは痛いが、それ以上に、書店の親父やお母さんの顔が思い浮かばれてしようがない。小社の田舎臭い本は、街の本屋にこそよく似合うのだけど。
 1滴も降らない日が50日は続いただろうか、やっと雨が降った。その雨でジャガイモは甦った。鹿児島のことわざに「かいもとじゃがたは、へ(灰)で作れ」がある。サツマイモとジャガイモには灰がいい肥料になるという教えである。来週は刈り取った草を燃やして灰を作ろう。チンゲン菜や小松菜も急に元気になった。草刈機で草を払っただけの畑からは、去年のこぼれ種からいっせいに大根が芽吹いている。見ているだけでワクワクしてくる。
 月末には、『奄美の絶滅危惧植物』が出来る。稀少な植物たちを初めて紹介する本だ。世界で数株しか発見されていないアマミアワゴケなど、宝石のような花がお目見えする。乞う御期待。

2006.10.19 雨が降らない

 秋冬物は、彼岸までに植え付けを済ますように。これは亡くなった父の教えだ。でもその言葉はなかなか守れない。今年の秋ジャガ6キロの植え付けも、1週間遅れてしまった。
 春ジャガ好調の余勢をかって、秋ジャガで完勝、高笑いが我が南方農園に響き渡るはずだった。だが、どうも怪しい。植え付けが遅れたからではない。10月19日、今日のこの日になってもさっぱり雨が降らないのだ。昨日畑を見に行ったのだが、ちょぼちょぼと、種芋3個おきくらいに小さな芽が土をわずかに持ち上げているばかり。
 彼岸前に2キロ植えておいたのは、すぐに芽を出し、今では立派な茎が頼もしげに突っ立っている。こいつは大丈夫なのだが、あとから植えた奴はどうもダメだ。
 これほど雨が待ち遠しいことはない。隣の畑にオバちゃんが見回りにやってきた。オバちゃんの畑もおんなじで、芽を出さないので掘ってみたらジャガイモの種芋はすっかり腐っていたらしい。晴れ続きで地温が高くなりすぎたせいか。ヤレヤレである。
 実は昨日は、たまねぎの苗の植え付けが目的だった。100本で600円。苗を仕入れて植えつけて、あとは丸々太ったたまねぎが実るのを待つばかり。収穫は来年の春、5月だから気の長い話だけれど、ちょこちょこっと草取りすればたんまりたまねぎが手に入るというすんぽうだ。だがこれも、植えながら絶望的な気になっていった。
鍬で耕して、堆肥を入れる溝を掘っていくのだが、もうもうと土ぼこりが舞い上がる。まるでテレビでよく目にする黄河流域の乾燥地帯の畑のようだ。こんなに乾燥した畑は、長年やってきてはじめてだ。植え付けのときだけはバケツに水を汲んで一輪車で運んでくるのだが、普段はそうそう水は掛けられない。雨だけが頼りである。どうなることやら……
 1019日、倉庫の物件見学。建坪120坪で1100万円。湿気、立地ともに問題はない。借金を重ねて買ってしまうか、悩ましいところ。
 出版社の90%が東京に集中し、出版物の95%が東京発。あらゆる情報と同じように本も東京から垂れ流されてくるのだが、印刷コストは極端に言うと鹿児島の半分で済んでいる。なにしろ印刷代も製本代も、東京は大量に作り競争も激しいからコストは下がる一方というわけだ。
 コスト差に気がついて5年余。クリアする方法は自社倉庫の購入と分かっていたのだが踏ん切りがつかずにいた。中国ならもっと印刷コストは下がる。以前目にしたオーストラリアの本は「プリンティド イン ホンコン」だった。とっくの昔から国際化は進んでいたのだが、反グローバリズムを常々口にしながら中国で印刷なんて、ちょっと節操がなさ過ぎるか。

2006.9.20 台風が来た

9月17日、台風が来た。去年の9月9日に引っ越してきたから、丸一年と少しが過ぎた小社にとっての最大のピンチである。建坪70坪と大きいのだが、なにしろ築30年の古屋なのである。 
 幸い西にそれ、鹿児島が直撃を食らうことはなかったが、それでも暴風圏に入った数時間は強い風が唸りをあげていた。
 翌日18日は敬老の日。朝から様子を見に会社に出向いた。
電気のスイッチを入れる。点かない。漏電である。ヤレヤレと思いながら、雨戸で締め切った真っ暗な室内を懐中電灯を頼りにチェック。梅雨時にいつもぽたぽた漏れていたところも大丈夫。雨漏りの被害はない。今度の台風は雨が少なかったから救われた。
 外をぐるりとひと回り。案の定、瓦が30枚ほどひっくり返って、杉の平木があらわになっている。割れた瓦もある。なにしろ崖際の丘の上だ。さえぎるものもなく、風は真っぽし当たってしまう。屋根に上ってはげた瓦を置きなおしてみるが、しょせん素人。ガタガタである。手に負えないとあきらめて瓦屋さんに頼むことにした。でも応急措置が必要だ。なれない屋根の上をふらふらしながら青シートをかぶせ、土嚢を置いた。こう書くとあっという間の出来事のようだが、たっぷり半日は費やした。
 19日は仕事の日なのだが、電気屋さんに漏電箇所のチェックをしてもらい、屋根修理の手配に追われたりで仕事にならない。おまけに少し前に発覚した漏水の修理に水道屋さんも来てくれていた。
 20日、この日も仕事にならない、というか仕事をする気がしない。朝から草刈りである。ウイーンと鳴る草刈機は快調そのもの。以前から気になっていた草ぼうぼうの会社の庭をきれいに刈り上げることができた。
 それにしても台風とは不思議なものだ。子供のころから楽しみで仕方なかった。学校が休みになり、海岸には思わぬプレゼントが打ち上げられていた。非日常の悦びとでもいうものであろうか。今でも、台風で数日は仕事にならず、おまけに少なからぬ出費を余儀なくされるのだが、それも簡単にあきらめがつく。
 そうそう後で知ったのだが、台風の前日、読売新聞の全国版で小社の絵本『うんちねこ とむくん』が紹介され、台風の当日『奄美史料集成』が朝日新聞の全国書評欄に短評、台風の翌日『おかあさんのたまごのはなし』が南日本新聞に紹介されていた。こうした記事は、広告費にお金をかけられない小社にとっては、正直ありがたい。
 これも小社への「台風の贈り物」なのだろうか。

2006.8.15 田舎暮らし

 8月17日、お盆休みもあけて出社すると、細々とした仕事が溜まっている。注文の本の発送やら、貰った手紙の返事など一つひとつは大したことはないのだが、まとまるとけっこう時間をとられる。ヤレヤレと思っているところへ、続けざまに何回も電話が入った。
 対応していたスタッフに聞くと、電話の主は、大阪からやってきた団塊の世代という奴である。盆休みを利用して鹿児島を回っていて、来年4月の定年後にのんびり過ごせそうな田舎を探しているらしい。小社が『田舎暮らし大募集』という本を出しているのを聞きつけ、本を買うついでに話を聞きたいというのである。当方が訪問を受けるかどうかも確認せぬまま、道順を聞いている。交差点の度に電話をかけるものだから、五回も六回もスタッフは電話に振り回されている。我侭なことこの上ない。
 小社は出版社であって田舎暮らしの相談所ではない。そんなことはお構い無しに、団塊君は押しかけてきた。過疎地の田舎者は相談に乗るのが当然、なんでも利用してやろうというような都会人の態度が鼻につく。まともに相手をした者がいたのだろうかと思いながら、「いい話がありましたか?」と水を向けると、飛び込みで訪問した役場はどこも盆休みで、担当者に会うことすら出来なかったらしい。
 田舎回りをしている彼が高飛車なのにも理由があった。
 2007年の団塊世代の大量退職が話題になっているが、過疎に悩む村では、その誘致活動も始まっているという。体験ツアーの誘いや格安での土地・家の提供。彼の元にもその類のダイレクトメールがぽつぽつ届いている。そんなこんなで、甘やかされているのである。
 分単位で動き回り、多少の強引さがなければ生きていけない現役バリバリの都会のビジネスマンである。そんな彼がたとえ田舎に住み始めても、十年一日のごとく何も変わらずぼんやり間延びした田舎にいたたまれず、ほうほうの体で逃げ出すのにそんなに時間はかかるまい。
 小社の『田舎暮らし大募集』は、都会の価値を捨てて、新たな価値を田舎に見出して欲しいと願ったものである。都会の価値をそのまま田舎に持ち込むことなど期待してはいない。
 数を頼りに散々国中を引っ掻き回してきた連中が、今度は田舎にどっと押し寄せ好き放題引っ掻き回して、やがて飽きて都会に帰っていく。そんな構図が目に見えるようだ。

2006.7.15 ジャガイモ大豊作

 高校を卒業して30年たった。記念同窓会をしようと最近よく同窓生と顔を合わすのだが、たいてい異様に腹が出ている。同じ同窓生の医者が(彼もたいそうな肥満なのだが)、脳梗塞や心筋梗塞、糖尿病の悲惨さを持ち出して脅すものだから、スポーツジム通いが続出するはめになった。
 国内外の農民が汗水たらして作ったものを散々食べ散らかしておいて、食べ過ぎた分の余ったエネルギーを、動かない自転車をこいだいりして無駄に捨てるというわけだ。周りの景色も見ずに黙々と早足で散歩をする人も最近よく見かける。「もったいない運動」がマスコミにも取り上げられたりするが、スポーツジムや散歩ほどもったいないものはない。
 同窓生の間でスポーツジムが話題に上がる度に、私は鼻でせせら笑うことになる。「俺なんか、タダで汗を流しているぞ。おまけにジャガイモを山ほど手に入れて」。
 7月16日、晴天。春に植えつけたジャガイモの収穫をした。雪国の農家が、冬場に雪を掻き分けてキャベツや白菜を収穫しているのをテレビで見たことがあるが、夏場の南方農園では草を掻き分けなければならない。
 3月下旬に植えつけた種芋は、順調に成長し立派な茎が伸びていた。収穫期の6月にもなれば徐々に勢いをなくし、同時に害虫のニジュウヤホシテントウの最盛期になる。いつの間にかすっかり葉っぱを食われ、終いにはツユクサやイヌタデに覆われてジャガイモの茎は消えてしまっていた。しかし、あれほど立派な茎を見せていたのだから、地中にはイモがごろごろ転がっているに違いない。種芋は4キロ。1つのイモを4つに切って植えたから、一株に1個稔るだけでも16キロになる。2個なら32キロ……。期待は膨らむ。
 イモを掘る前に、小一時間、やぶ蚊の猛攻を受けながらまず草とり。さあ、とクワを入れる。あるわ、あるわ。ごろごろ転がっている。1株4個、60キロは収穫できただろうか。ワッハッハッハー。
 4キロが60キロになる。15倍だ。このことを母に話すと、とうに死んでしまったじいさんは「百姓は百倍にする」と言っていたという。米は一株にどんなに少なくても百粒は出来るだろう。からいもは種芋から無限といっていいほど蔓が出て苗になる。大根でもチンゲン菜でも、一株から百粒とはいわず種が取れる。食って、汗を流して、また食う。人間は死ぬまで「永久機関」たりうることを実感した。



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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