『加計呂麻島 昭和37年/1962』

 

 今から50余年前、オーストリアの民族学者、ヨーゼフ・クライナーが奄美・加計呂麻島を訪ねた。来日した彼に、「日本文化を知りたければ、加計呂麻島に行け」と、勧めたのは柳田國男だった。
 早速この島を訪れたヨーゼフは、集落をめぐりながら、島の風景、人々の暮らし、神祭りのすべてを記録していた。今回、瀬戸内町制60周年を記念して、南方新社から『加計呂麻島 昭和37年/1962―ヨーゼフ・クライナー撮影写真集』を刊行した。

 

 

 ネガのまま、50年余り眠っていた写真の数々は、当時を鮮やかに再現してくれる。
 青い目のヨーゼフに、物珍しげに群がる子どもたち。ズックを履いた子もいれば、裸足の子もいる。小学生くらいの女の子は、赤ん坊を背負っている。屈託のない笑顔が、あちこちではじけている。

 

 大人たちは黙々と働く。農耕用の牛を飼い、田んぼをこしらえ、サトウキビ畑に通う。小舟で海に出て漁をすることもある。
 家は粗末なかやぶき屋根、道路は舗装なんかされていない。
 自然に育まれながら、静かな営みが続いていることがよく分かる。

 

 神祭りの章がある。神人、それは集落の高齢女性たちなのだが、季節の折々に神人の白い衣装をまとい、祭場に集まる。儀式の後、海辺に出てススキを海に流して、訪れた神が来年も来てくれるように祈っているシーンがある。神々しさが胸を打つ。
 昭和37年当時、島には6401人いた。今、1428人。4分の3に減ってしまった。日本中の田舎が、過疎を通り越して廃村続出の時代を迎えている。いわば、加計呂麻島は、その流れの先端にあると言っていい。

 

 

 一枚の写真が、今も目に焼き付いている。自分の体ほどもある大量のサトウキビを背負い、製糖工場まで運んでいる女性の姿だ。 じっと前を見据え、一歩一歩。ずっと同じ歩調で歩いてきたのだろう。その後ろには、赤ん坊を背負った女の子もいる。何百年と続いてきた光景だ。

 

 あるとき、この背負う女性は私たちの母の姿であり、祖母の姿であると気が付いた。この母たちの風景が消えるということは、私たちは過去を失うということではないか。だとすれば、町に住む私たちは、今を漂っているに過ぎない。


 守るべきものをなくした私たちは、時代の風に、ただ吹き流されてゆくだけなのだろうか。
 過去を奪われていることを、自覚せよ! この写真集は、そう呼びかけているように思う。

 


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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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