奄美流人の研究

 

 出版社を長くやっていると、いろんな原稿が舞い込んでくる。
 特に大学の研究者というわけでもない、ごく普通の人が、舌を巻くような原稿をものにしたりする。いま取り掛かっているのは、『奄美流人の研究』(仮)という本だ。先祖が、どうも鹿児島本土からの流人らしいという奄美大島の出身の方が書き上げた。

 

 流人のことを調べたくて本を探したが、まとまったものはない。奄美各島の代官記、各家の古文書、郷土史や明治期に刊行された本に散発的に出てくる流人関係の記事を拾い集め、体系化しようという労作である。

 

 一体、何百冊の本を読破されただろうか。江戸期の文書は漢文、まるでお経だ。生半可な姿勢ではすぐに音を上げる。石にかじりつくように少しずつまとめられていったと想像できる。

 

 把握できた350人の流人のほとんどが武士である。
 一覧表を見ていたら、以前、南方新社にいた鮫島君と同じ名前の「鮫島某、淫乱の罪で遠島」が、目に飛び込んできた。よっぽど酷かったのかとおかしくなった。さすが、鮫島!

 

 目立つのは政治犯だ。来年のNHK大河の主人公、西郷ドンも二度遠島にあった。一度目は奄美大島、二度目は徳之島と沖永良部島。
 筆まめな西郷はいろんな手紙を残している。しかし、そこに見える西郷は、「敬天愛人」とはかけ離れた、偏狭な俗物でしかない。

 

 奄美大島に着島後30日、大久保利通宛ての手紙では、島の女性を「垢のけしょ(化粧)1寸ばかり(略)あらよう」とおどけて見せ、男性については「誠にけとう人(毛唐人)には困り入り候。矢張りハブ性にて、食い取ろうと申す念ばかり」と差別丸出しである。3カ月後には、龍郷は酷いところだからと場所替えを代官に願い出て、さらにその1カ月後にも大久保に対し、「このけとう人の交わり如何にも難儀至極、気持ちも悪しき」と嘆いている。

 

 二度目の徳之島では、「大島よりは余程夷の風盛ん」と、夷と毛唐を同義語として使い、徳之島の方が酷いと訴える。

 

 明治4年、政府重鎮の西郷は、大蔵省にばれないように士族救済のために奄美の黒糖専売(搾取)を継続せよと、県参事であった桂久武に指示した。
 そういえば、大島で愛加那との間に生まれた男の子は菊次郎だった。赦免後正妻との間に生まれる男子を思って次郎にしたとか。確かに、後で生まれた嫡子は寅太郎だ。

 

 西郷は、士族王国鹿児島の英雄である。だが、奄美から見た西郷は、また別の表情をもって立ち現れてくる。


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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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