屋台村は嫌いだ

 

 中央駅あたりの裏道を歩いていたら、ふと木造の軒(のき)が目に入った。新しいのに、無理して焦げ茶色に塗ってある。
 一瞬の間をおいて、そこが屋台村の裏口だと気が付いた。「かごっま ふるさと屋台村」だ。そして、同時に、長い間の疑問が氷解したのだった。

 

 疑問というのは、中央駅周辺にはしょっちゅう飲みに行くのに、屋台村だけはなぜか足が向かないということだ。「絶対、行くもんか」という気さえしていた。
 新しい木材に、わざわざ焦げ茶色のペンキを塗って古めかしくしてある。ここに象徴されるような、あざとさが鼻についていたのだ。

 

 飲みに行くのは、別に美味しいものとか、美味しい焼酎が欲しいからというわけではない。疲れた体を癒すためだ。そこには安心して飲める雰囲気が必要だ。
 「屋台」という名前は安心感を醸すのに十分だ。きっと何年も何十年も風雪に耐えながら店を続けてきたのだろう、長く続けてきた店なら大丈夫、という先入観を取り込んでいく。ところがこの屋台村は、古いどころか2012年に開店したばかり。おまけに2、3年で店を入れ替えてしまう。2020年末までと終わりも決まっている。初めから、馴染みの客を作って安心させよう、なんて気はさらさらないのだ。

 

 通常「屋台」は水回りもなく、冷暖房もない悪条件の下で営業する。その分、好条件の店よりオヤジは見えない努力をしている。その心意気も「屋台」にひかれる理由の一つだ。
 きちんと区画された場所に、審査され、合格して入る店とは気合の入り方が違う。この誰かに審査されて入居するという屋台村の構図も、なんだか嫌いだ。

 

 多くの屋台がひしめく福岡では、何年か前、歩道が歩きにくいという苦情が絶えないことから「屋台」を規制する動きがあった。もちろんオヤジたちは猛反対に打って出た。今でも、役所との綱引きが続いているようだが、通行できなければ客も来ないわけだから、特に問題にするほどのことはなかった。警察の道路占有許可なんて誰も取らなかったが、それが気に入らなかったのだろうともいわれている。

 

 もともと歩道は誰のものでもない。勝手に歩き、立ち話をし、座り込んで歌を歌い、店を開けばいい。
 飲み食いは人間の本能的な行為だ。そこに、規制やれ審査やれ許可やれ期限なんてものは似合わない。

 

 行ったこともないのに御託を並べたが、あそこが屋台村なんて名前じゃなかったら行ったかも。でも、屋台村なんて名前は、本物の「屋台」のオヤジに、ちょっと御無礼様(ごぶれさあ)じゃないですかね。


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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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