我こそは隼人1

 

 10月20日、今日も深夜の1時半である。A5判、2段組み、320Pという分厚い本の、巻末の600項目にも及ぶ脚注の校正をしている。

 

 昼間は、会社にいるとしょっちゅう電話が鳴り、その処理に追われる。細々とした編集雑務というやつである。勢い本の校正などは、昼飯を食べながらとか、深夜焼酎を飲みながらとなる。だが、仕事と割り切っているせいか、ちっとも苦にならない。とりわけ今取り掛かっている本などは、ワクワクしながらやっている。
 タイトルは『奄美 日本を求め、ヤマトに抗う島』。戦後の奄美住民運動史である。


 1970年代、高度成長期の真っ只中のころ、石油コンビナートと原発ゴミの再処理工場の立地が、ほぼ同時期に奄美に降ってわいた。この2大テーマが本書の中心である。川内原発立地も進めた金丸三郎県政(67〜77年まで)の時代である。

 

 後の鎌田要人知事は原子力に否定的だったから、原発という大迷惑施設を持ちこんだ金丸三郎さんの名は、再稼働を許した伊藤祐一郎さんと共に、極悪代官として長く記憶にとどめておかなければなりませんね。

 

 それはともかく、川内原発とは裏腹に、奄美の2大迷惑施設計画は葬り去られることになる。国策ともいえる巨大な力に対して勝利したのは、何よりも奄美人というアイデンティティのなせる業としか言いようがない。

 

 1609年島津氏による琉球侵略以降、与論島以北の奄美諸島を琉球王国から切り離し、島津氏が直轄植民地として支配した。「キビを少し齧っただけで死罪」。江戸期の黒糖搾取の過酷さは、今に至るまで語り継がれている。いわば、奄美の人々の「集団的記憶」である。

 

 奄美では、日本のことをヤマトという。散々自分たちを苦しめた「ヤマト」の言うことは信用するな。理不尽な「ヤマト」の要求には徹底的に抵抗する。そんな気風が潜み、時に爆発する。東京での抗議運動中に40人が逮捕されるという事件が、運動にさらに火をつけた。

 

 この本を読みながら思うのは、鹿児島人のアイデンティティについてである。川内原発増設をはじめ、再有望地として浮上している原発ゴミの最終処分場立地問題が、やがて襲い掛かってくる。
 この鹿児島の大地に根を張り、遥か昔から暮らし続けてきたのは先住民隼人である。今も鹿児島人の8割が隼人の末裔と言っていい。私たちが、この大地を守り抜けるかどうかは、先住民隼人としてのアイデンティティに懸かっているのかもしれない。

 

 紙数が尽きた。続きは次回。


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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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