自民党の裏金は大ごとになった。でもここに、悪うござんした、辞めます、という議員がいないのはどういうこと? 誰でも悪いことをする。金があれば、ばれないように貯め込もうという気も分かる。
だが、悪事にはリスクが伴い、露見したら制裁を甘んじて受けるというのがこの世の掟。
いまでも語り継がれる天下の大泥棒がいる。ねずみ小僧次郎吉だ。大名屋敷を襲い、奪った金を庶民にばらまいたのだが、捕まれば死罪が待っていたにもかかわらずやってのけたところが、庶民の喝さいを浴びた第一の理由だ。
こっそり悪事を働き、自分のために金を貯め込み、ばれても議員に居座るなんて、掟破りも甚だしい。村八分、最低でも選挙権被選挙権の剥奪だ。そう思わないかい。
でも、悪い奴は反省したふりをして悪事を重ねるもの。先日名古屋の友人との電話で、「次の選挙でもきっと通るんだろうな、そして戦争準備にひた走るってわけさ」と、投げやりに話したら、「それは学習性無気力って言うんだ。鼻をつまんででも自民党以外に入れなきゃダメ」と諭された。
学習性無気力! なるほど、新鮮な言葉だ。下がる一方の投票率を見たら、この学習性無気力が日本中を幾重にも覆っているように思える。
この2月、びっくりするような本を刊行した。『非暴力直接行動が世界を変える ―核廃絶から気候変動まで、一女性の軌跡―』だ。
著者はイギリス人、アンジー・ゼルター。平和運動家の彼女は、東チモールで大量虐殺を繰り返していたインドネシア政府にイギリスから輸出されるホーク戦闘機の格納庫に侵入し、コックピットをハンマーで破壊(非武器化)した。またある時は、核兵器を搭載する原子力潜水艦の実験施設に侵入し、核制御システムを破壊した。
いずれも無罪を勝ち取ったのはすごい。秩序派の判事はアンジーに批判的だったが、陪審員は無罪の評決をした。活動の範囲は、イギリスのみならず世界中だ。そして世界各国で約200回逮捕されている。
ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員 川崎哲さんが推薦のことばを寄せた。「日本でも、国家の大きなかけ声が人びとを萎縮させ、社会に沈黙と忖度を蔓延させています。そうした中にあって、国際法を使い、仲間と計画して、軽やかに街に出て、体を張り、素手で社会を変えてみせるアンジーさんの作法に、学ぶこと大です」
無気力になりそうな昨今だが、力と知恵満載の本だ。
『非暴力直接行動が世界を変える』
著者:アンジー・ゼルター
訳者:大津留公彦、川島めぐみ、豊島耕一
仕様:四六判、326ページ
定価:本体2,300円+税
1月1日、元旦にとんでもないことが起きてしまった。能登半島地震だ。マグニチュード7.6、震度7を記録した。テレビでは、その夜ずっと火の海となった輪島の街が流されていた。
私が一番気になったのは志賀原発だ。2011年の東日本大震災以降、停止したまま。停まってから12年も経っているから使用済み燃料の温度もだいぶ下がっている。プールの水が抜けない限り大丈夫だろうと思った。でも運転中だったら、おそらく日本は終わっていただろう。
志賀原発は川内原発と違う型の沸騰水型原子炉だ。70気圧、280度の水が循環する。配管には何トンもの荷重がかかる。何といっても70気圧だ。地震の揺れで、少しでもひび割れができたなら、風船が弾けるように一気に水が噴き出して大規模に破断する。
水が抜けたら、空焚きになって炉心溶融(メルトダウン)に至る。そして爆発!
実は昨年2023年3月、この志賀原発の活断層に問題なしと規制委員会は判断している。地震の1カ月前の11月28日には、経団連の戸倉会長がこの原発をわざわざ訪ね、「早期の再稼働を期待したい」と発言し、圧力をかけていた。まさに再稼働目前だった。運が良かったというほかない。
揺れの中心、珠洲市にも原発話があった。北陸、中部、関西の電力三社による共同事業として浮上していた。住民の強い反対運動でようやく2003年に凍結となったが、これが稼働していたら確実に日本は終わっていた。
放射能の9割が太平洋に飛んだ福島事故と違い、能登半島発の放射能は偏西風で日本の陸地を覆う。東京まで十数時間で届いてしまう。
政府は混乱を嫌い、簡単には発表しないだろう。ようやく避難が始まるのはかなり被曝した後。
悲惨なのは能登の住民。60カ所もの土砂崩れ、無数の家屋の倒壊に放射能からの避難なんて無理。10日経っても孤立した人が3000人を超えていた。濃い放射能を散々浴びてから遅々とした避難が始まることになる。
こうして福島とは比較にならないほど多くの人が被曝し、やがて日本の中部以北は無人の地となる。
川内原発のすぐ近くには、甑断層、甑海峡中央断層が伸びている。国の予測では、マグニチュード7.5。断層がもっと原発側に伸びている可能性もある。川内は加圧水型で157気圧。空焚き30分で炉心溶融と報告したのは九電だ。
地獄は、足元に大きく口を広げている。それでも原発を動かすというのは、余りにも吞気。言葉を変えるなら大間抜けだ。
2013年、国の地震調査委員会が、それまでの九電評価の活断層を「余りにも酷い」とのコメント付きで大幅に見直した。
九電M6.8→国M7.5となり、さらに原発よりに伸びる可能性も指摘した。その決着はついていない。
]]>東京からUターン
ちょうど30年前、私の暮らしは大きく変わった。92年8月、東京からUターンしたのだ。35歳だった。
東京時代、仕事の移動には地下鉄を使っていた。客先に訪問予約を入れるから、渋滞のない地下鉄は所要時間が読めて便利だった。だが、月に1回くらいだろうか、「人身事故」が起こり大幅に遅れた。「事故処理が終わり次第、運行を開始する」とアナウンスは続いた。やれやれ、スケジュールが狂ってしまう、と迷惑がったものだ。同乗の誰もが、またかという顔をし、時計を気にした。
そのうち、「人身事故」が飛び込み自殺であることがわかる。事故処理とは、バラバラになった遺体の回収作業だ。東京で仕事をするということは、人の死を何とも思わなくなることだと気がついた。
Uターン後の95年には、地下鉄サリン事件が起こった。電車内に猛毒のサリンが撒かれ、16人が死に、6300人が負傷した。オウム真理教の仕業だ。東京の地下鉄の通路では、虚ろな眼をした幾千幾万もの人の群れが、憑かれたように真っすぐに進んでいた。事件を耳にしたとき、人の生き死にに麻痺した東京で起こるべくして起きた事件だと思った。
人の死に麻痺するどころか、自然のかけらもない、人工物だらけの東京で、まともな子育てなどできるはずがないとUターンしたわけだ。
もちろん、理由はそれだけではない。歳を取れば取るほど新しいことには億劫になる。40歳を過ぎたら東京から抜けられなくなると思った。
デビュー作は『滅びゆく鹿児島』
Uターンして1年半後、94年4月27日、鹿児島市泉町に事務所を借り、南方新社を設立した。かといってすぐに本が出せるはずもない。
1年余り後の95年7月に、デビュー作『滅びゆく鹿児島』を刊行する。取り上げた問題は、農薬汚染、埋め立て、川内原発、8・6水害を機に破壊されようとしている石橋、子供不在の教育、男尊女卑、公営ギャンブル、行き場のない農業、奄美の文化と経済である。
当時、鹿児島の一番店、天文館にあった春苑堂本店の湯田店長が一気に150冊を仕入れ、入口すぐの一番目立つところに平積み4面、塔よ倒れよ、というほど高く積み上げてくれた。これは今でも鮮明に覚えている。
湯田さんが、特に本の内容に共鳴したわけではない。鹿児島に新しい出版社が登場したことを祝ってくれたのだ。
「これで反権力の南方新社で決まりだな」とも言ってくれた。別に反権力を謳ったわけでもなく、当たり前におかしいことはおかしいと言いたかっただけだ。
初刷りの4000部があっという間に完売したことで、私の言いたいことが独りよがりではなく、出版を続けていけるという自信になった。
第2弾は、同年12月刊行の『かごしま西田橋』である。何の根拠もなく6000部を刷った。これが完売した時、西田橋は残ると思ったのだ。ところが翌96年の2月には西田橋の解体が開始し、大量に売れ残った。
売れ残りは販売期間だけが原因ではなかった。本を売らなければならない私自身が、保存運動に突っ込んでしまったのだ。
1996年2月21日、西田橋に削岩機
8・6水害では、甲突川五石橋のうち、新上橋と武之橋が壊れた。水害に耐えた玉江橋に続いて高麗橋が解体されたのは95年2月18日。5月からは最後の西田橋保存に向けて県民投票条例の署名運動が始まった。法定数を大きく超える4万3958筆が集まり、臨時県議会へ。11月10日の最終本会議の結果は、なんと50対1で否決。共産党議員1人だけの賛成だった。
舞台は、県指定文化財である西田橋の現状変更を認めるかどうかを決める県文化財保護審議会に移る。ここはさすがに解体反対が多数を占めたが、11月27日にまとめられた結論は、県土木部の強引な主張で両論併記となってしまう。万事休す、だ。
だが、どうしても諦めきれなかった私は、12月、世論調査を企画した。鹿児島大学政治学教室の平井一臣教授に相談し、無作為に抽出した1118人を対象に電話。結果は「県民投票すべきだった」が50.4%。「県民投票は必要なかった」は16.5%。「解体に反対」49.2%。「解体に賛成」44.6%。
これをきっかけに、あくまで西田橋の現地保存の道を探ろうと、2月12日に市民集会とデモを実施。800人が参加した。
2月17日からは私を含め4人のメンバーが無期限のハンストに突入した。極寒の中、西田橋のたもとにテントを張って泊まり込んだ。北畠清仁氏のハンスト突入宣言文は格調高く、今読んでも震える。
だが、県当局は日程を変えることなく2月21日、解体に向けて削岩機を打ち込んだ。
ハンストは、24日には自主的に解いたが、やりきれない思いは残った。
それにしても、この石橋保存運動はよくぞここまでというぐらいに広範な支持を得ていった。私が関わったのは、最後のごく一部分である。
運動を牽引していった都築三郎(故)、松原武実、芳村泰資、浜田美樹、石澤美智子、木原安姝子、児玉澄子(故)、西村輝子(故)、?松基、萩原貞行の各氏の名前は忘れられない。
その中から8・6ニュースが生まれ、今でも続き、南方新社と同じ30周年を迎える。
利権政治と事なかれ主義の横溢する鹿児島で、8・6ニュースは、未来と真実を求める者たちの夜道を照らす灯火なのである。
解体直前の高麗橋上に陣取る市民(『かごしま西田橋』より。撮影:樋渡直竹)
西田橋解体直前のハンスト。後ろ姿だが、萩原、橋口、久保の各氏が写っている
在りし日の西田橋(『かごしま西田橋』表紙カバー)
先日、新聞でほほえましい記事に出合った。奄美の小さな小学校に魚の専門家が訪れ、擬態の不思議を教えたというもの。
たしかに、カサゴ(アラカブ)は岩や海藻に紛れやすい色形をしているし、カレイやヒラメは砂地の海底に張り付いていれば、見つけられない。鹿児島の堤防でも、海をのぞいてみれば、ヒラヒラした枯れ葉と思いきや、ナンヨウツバメウオの幼魚だったりする。うん、ほのぼの。
だが、読み進めるうちに、ン?となった。子どもたちがひときわ感心したのが、小魚たちが群れて大きな魚に見せかけて(擬態して)捕食者から身を守っているというくだり。以前から耳にしていたが、あらためてホンマカイナ、と思った。
釣りをする人には常識なのだが、イワシなんかの小魚の群れには、マグロ、ブリ、カンパチ、カツオなど、青物の捕食者が付きまとう。青物を釣るには小魚の群れ(ナブラ)を狙えというくらいだ。ちなみにナブラとは、青物に追われた多くの小魚が海面から跳ね上がる状態を指す。この小魚を狙って海鳥が集まるから、漁師は海鳥を目当てに狙いの魚を探したりする。青物は、海面まで追い詰めればこっちのもの、小魚の食べ放題、片っ端から食べることになる。
小魚の群れを大きな魚と勘違いして逃げた青物がいた、という話は聞かない。
逆に、群れは大きくなるほど目立って、狙われやすくなるだろう。一人ぼっちの方が断然安全だ。
群れるのは、狙われやすくなるというデメリットを上回るメリットがあるからに違いない。年頃の若者が都会に憧れるように、群れの方が彼女や彼氏を見つけやすいだろう。餌は、ぼーっとしていても仲間が見つけてくれるから付いていけばいい。群れの中では流れができているから、さぼっていても流れに乗れる。
大魚擬態説は、ほとんど通説のようになっているが、ウソじゃないか。そう疑って通説の根拠を探そうとしたが、やはりどこにもない。昔からそう言われていた、としかない。誰かがある日思い付きで言ったことが、まことしやかに語り継がれてきたのだろう。だとしたら、この講師は子どもたちにウソを教えたことになる。
定説にはこの種のうさん臭さが伴うから要注意だ。国の決めることも似たようなもの。
人間はいま、小魚のようにみんなと一緒になりたがっているようだ。一緒の方が確かに安心感はあるだろう。だが、知らぬ間に、全滅の罠にはまっているかもしれない。
鹿児島の岩場にはどこでもいるカサゴ。きびなご餌で釣る。
磯海水浴場で釣ったテンジクガレイ。砂底にいれば見つからないね。
]]>請求代表者 向原祥隆が意見陳述します。
最初に議員の皆さんに聞いてほしいことがあります。
十月四日、私たちは五万人の署名を携え県庁に訪れました。このとき、なんと、担当の地域政策課から裏口の通用門から署名を搬入するように要求されたのです。私たちは唖然としました。五万人の心に裏口から入れと要求したのです。こんなことがあるのでしょうか? 皆さん。
知事が重く受け止めたはずの署名、五万人の心に、知事に直接触れてほしい、私たちはそう願い、九月の頭には知事に直接受け取ってほしい旨、申し入れしました。ところが、当日現れたのは知事でも副知事でもない、部長でも課長でもない、技術補佐の方でした。
私たちはこの臨時議会の前に、知事と議会各会派に意見交換会を申し入れました。自民党の長田さん、公明党の松田さん、県民連合の福司山さん、共産党の平良さん、そして無所属の岩重さん。すぐにお返事をくださいました。あらためて感謝します。
ところが地域政策課は、先の知事の署名受け取り、この意見交換会の申し入れ、両方とも一切返事がありません。待ちかねた私たちが、直前に電話を入れてやっと回答が聞けた有様です。
県民に対する敬意が、みじんもない。本当に驚きました。
本日、知事は、公約に掲げた県民投票に否定的な意見を発言されました。知事は二〇二〇年の知事選挙で「県民の意向を把握するために、必要に応じて県民投票を実施する」と公約し、当選しました。ところが、去年の十二月、専門委の意見が集約できない場合、県民投票を実施すると変えました。県民の意向把握と専門委の意見集約とは次元が違います。後からの、すり替え、です。
そして最終的に本日、公約に掲げた県民投票に否定的な発言。明らかな公約違反です。これは先の地域政策課の対応とつながるものです。県民に対する爪の先ほどの思い、敬意がないから、公約を破っても平然としていられるのです。
県民に対する約束、百三十万人有権者に対する約束を破った。知事は県民を騙して職を得たことになる。私の多くの知人が、県民投票の言葉を信じて投票しています。この県民をないがしろにする行為を、県議会は放置していいんでしょうか? 放置することは同調したことを意味します。議会も、きちんと筋を通してほしい、そう願います。
原発には様々な問題があります。今日は二点だけ申し上げます。
二〇一一年の東日本大震災で、ついに福島第一原発が爆発しました。一度あったことは、二度目もある。当たり前のことです。今日の知事提案でも、何回も「安全を前提に」とありましたが、福島事故以前もそうでした。このまま原発が動き続ければ、大事故は必ず起こります。起こらない理由はないからです。福島の放射能は、九割が偏西風で太平洋に飛んだ。川内原発が大事故を起こせば南九州三県は数日で壊滅します。さらに、偏西風によって九州・西日本は大規模に汚染されます。
もう一つ、川内原発の使用済み燃料です。数年のうちに敷地内のプールは満杯になります。二十年延長のわずか数年後に、この核のゴミ問題が噴出する。分かり切っているこの重大問題を、九州電力は一切明らかにしていません。
こうした数々の問題点に、寿命を超えた老朽原発は拍車をかけます。寿命を超えたペースメーカーを体に埋め込みますか?皆さん。寿命を超えた飛行機に乗りますか?原発も同様に命に係わる機械です。さらに、二十年の運転延長は、生まれたばかりの赤ん坊が二十歳になるまで拘束する大問題です。
多くの県民が署名に賛同したのは、とてつもなく危険な原発が、寿命を超え、さらに長期間運転する重大問題を、今一度立ち止まって判断したいという意志表示なのです。
以下、民主主義と原発について四項目述べます。
第一に、政策決定の構造について。危険性を主張する専門家と、安全だという事業者の双方がいたら、通常行政は安全側を選択します。だが原発の場合だけは違う。危険性を唱える専門家の意見は無視され続け、その結果、利益を追求する電力事業者のやりたい放題になってきた。全く信じられない話です。
第二に、直接請求制度について。県政は通常間接民主主義によって運営されています。だが、ここにわざわざ、地方自治法七四条として、住民の直接の政治参加を保障する条例の直接請求の制度が盛り込まれています。これは、厳しい法的要件を達成し条例が請求されたなら、それを成立させることを前提にしています。
第三に、知事と議員は主権者である県民の意志の代弁者であること。
憲法では国民主権が明示されています。県政の主権者は県民です。そして、県民投票は主権者である県民の意思であることが今回の署名で明示されました。県民の意思の代弁者である知事、議員が、県民の意思を無視して、県民投票条例に反対することは許されません。自らよって立つ選挙民の意思を無視し、ないがしろにすることになるからです。
第四に、今回の臨時県議会は、まさに我が国と鹿児島県の民主主義が問われているということ。今回初めて、県民投票によって川内原発の二十年延長について自ら選択したいと主権者である県民が意思表示しました。県民の意思を専制国家のように無視するのか、それとも主権者の意志として尊重するのか。まさに民主主義が問われているのです。
最後に申し上げます。五万人の署名が集まったわけですが、これには厳しい条件がついています。対面で、しかも二カ月という短期間。これがもっと緩やかだったらもっと多くの署名が集まったと思います。私が個別訪問した場合は八割の方が応じてくれました。単純に計算したら百万人近くが県民投票をやろうと判断をされたはずです。これは議員の皆さんの有権者です。
今回の県民投票条例の請求は、二十年延長に賛成、反対を求めるものではありません。県民投票の実施を求めるものです。県民投票をしない理由はありません。もちろん、県民投票を実施するにあたっては、賛否両論の説明会の実施などが不可欠でしょう。県民投票はもともと知事が言い出したこと。知事の〇×二者択一否定論は、いまさら何を言っているのか、と言うほかありません。
若い方も大勢署名に応じてくれました。積極的に署名を集めた若い方もいます。この若い声を否定し、無視することは鹿児島の未来を潰すことです。何を言ってもダメなんだ、そういう失望を与えます。この鹿児島の未来を若い県民と一緒に作っていくために、歴史に残る誇り高い選択を期待します。
以上をもって意見陳述を終わります。ありがとうございました。
2023.10.23臨時県議会初日朝の県庁前集会
]]> 毎朝田んぼに通っているのだが、私のバイクが到着するとスズメの群れが一斉に飛び立つ。その数、30羽。
毎日毎日、一日中、うちの田んぼの米を食べている。これで大丈夫、と飛ばしたイーグルカイト(鷲の凧)もすっかり正体がばれてしまった。
きっと、勇敢な一羽が試しに田んぼに入ってみて、何だ、張りぼてじゃないかと気が付き、みんなに教えたのだろう。
スズメの餌場と化した田んぼは、ある種の自然災害。諦めるほかない。だが、人間の犯したこと、犯しつつあることは簡単に諦められない。
遂に8月、汚染水が福島原発から流され始めた。一方、いつの頃からか、日本のマスコミから汚染水という言葉は消えた。「処理水」である。
溶け落ちた核燃料に触れた水だ。大量の放射能を含んでいる。アルプスと機械で処理したとはいえ、セシウムやプルトニウムなど完全に除去できるわけではない。ましてや、水素Hと化学的に同じ性質のトリチウム(三重水素)は手つかずだ。
でも、処理したから「処理水」。IAEAという国際機関が認めたから問題ないと、政府は大威張りだ。
安全上の問題を指摘する科学者は多い。北海道がんセンターの西尾正道名誉院長は「人類に対する殺人行為だ」と厳しく非難する。
人間のからだ中の細胞、タンパク質、糖、脂肪などに水素Hが存在する。トリチウム(三重水素)は、体に取り込まれ、簡単に水素Hと置き換わる。そして半減期12.3年で、やがてベータ線を発して崩壊し、ヘリウムになる。
ヘリウムという別物に代わるために細胞は壊れる。さらに、ベータ線は紙一枚で遮断できるというが、至近距離から放たれれば、DNAは切断される。弱いベータ線といえども、分子結合エネルギーの何千倍もの強さを持つ。こうして人間はやがてガンになって死んでしまう。
政府もマスコミも、この内部被ばくの問題は、完全無視だ。
政府も東電も、薄めて流すから大丈夫だと胸を張る。それが通用したのは水俣病以前の話。放射能の粒粒の総量は変わらない。食物連鎖を通じて生態濃縮されることが証明されている。まさに論外。
問題視する中国だけを目の敵にしているが、太平洋に面するオーストラリア、ニュージーランド、多くの太平洋諸諸国も反対の声を上げている。
今、日本のマスコミの「処理水」批判は、漁協との約束違反と風評被害の対策の不十分性だけ。
いったい、どうなっているんだ、この日本は。
2023年9月3日、雄々しく飛んだイーグルカイト(鷲の凧)だった。
]]>
署名の期限は7月30日だった。だが、その後の整理も考えて、7月28日までに署名簿は事務局へ返却、とチラシに書いていた。
7月1日の中間集計以降、集約はしておらず、さっぱり状況はつかめなかった。7月20日を過ぎても事務局に返って来る署名簿はポツポツ。
やばい。これじゃ目標の3万筆には届かないかも。急きょ、7月30日まで一筆でも二筆でも集めてください、と各所に連絡した。
7月30日、昼間の天文館街頭署名のあと吉野のAコープに移動。西日に炙られながら最終日を終えた。
月末近くになって、ようやく集まり始めた署名簿。でも、何筆あるのやら。翌31日から整理が始まった。市町村ごとに分けて、まず署名簿に通し番号を振る。さらに、一筆一筆連番を振っていく。この連番振り、2桁までならどうということはないが、3桁、4桁になるともう大変。最終的に2万2000筆まで行った鹿児島市なんか5桁だ。10000、10001、10002と振っていくから、その苦労も分かろうというもの。
一方で、30日を過ぎて署名簿は大量に集まってきた。8月1日時点で、3万筆超えは確実になった。バンザーイ。ひょっとすると4万筆いくかも。
と、ここで戦線離脱。実は、署名整理初日の7月31日から、なんだか気力が湧かなかった。間違いのないようにと二人組で整理していたが、相棒の吉国君が額に手を当てて、こりゃ、熱があるよ。そうかなー、と翌日8月1日もふらふらしながら番号振り。
8月2日は、会場に行ったものの熱っぽくてだめだ。帰って寝ることにした。熱は38.6度。おー、立派な病人だ。念のためにコロナの検査キットで試してみたら、陰性!
3日も終日ダウン。
4日は熱も下がったので番号振りに復帰。
5日、最終集計だ。どこから湧いてきたのか、何と5万290筆! 予想もしない5万筆の大台に乗ってしまった。
だが、このあたりから周囲の雰囲気が違ってきた。次々にコロナ発症の情報が届き始めたのだ。吉国君をはじめ都合8人。私の濃厚接触者ばかりだ。マズイ。私は、検査キット陰性、診断はされていない。でも、マズイ。だれもが口に出さないが発生源は私だと思っている。なるべく私に近寄らないようにという意志を感じる。
私自身も、ここまで多発すると検査キットに表れなかっただけで、陽性だったと思うほかない。重傷者を聞かなかったのがせめてもの救いだ。
みんなゴメンよ。悪かった。
2023年8月7日、5万290筆を発表した記者会見(鹿児島市役所)
]]> 6月1日、署名運動が始まってから土日はずっと天文館の街頭署名だった。
いつもの場所、献血ルーム前まで軽トラに載せて、長机2台、画板10枚、横断幕に幟2本、署名簿とチラシを運ぶのは私の係。15分前には荷物を運んで準備しなければならない。
今年の梅雨は雨が多かった。積み下ろしでズブズブに濡れて風邪をひき、2、3日のどが痛かった。今から思えばコロナだったかも。
準備が終わって駐車場に軽トラを置き、再び天文館に向かう道すがら、我ながら律義だなあ、まるでどこかの党の専従みたい、と思ったこともある。まあ、おかげで駐車場の管理人のご夫婦ともすっかり顔なじみになって、はい2筆。
ズブズブに濡れたのは人間だけではなかった。長机もだ。長机は表と裏はベニヤ板が張ってある。厚さは1cmほど。四方の縁はてっきり木の棒だと思っていたが、おが屑を固めた棒だった。濡れてグチュグチュ、溶け始めた。完全崩壊の前に、干して、ボンドで固め、ガムテープで水が入らないように補強した。30年前に南方新社を設立したとき1台12,000円で買った長机だ。今回の署名運動で寿命かも。
毎土日の天文館署名だが、7月22日と23日は「おぎおんさあ」のお祭りで中止。代わりに団地署名に向かった。
22日12:00、事務所前に集合。ちょっと早く着いたので、近くのかき氷屋さんの前に並んでいる女性二人組に声をかけた。最初は警戒されたが、話を聞いてくれて二人とも署名。芝生でのんびりしていた二人組の女性に声をかける。オーケー。でも一人は16歳、残念。もう一人は19歳、ゲット。知り合いの畠中コーヒーに顔を出すとマスターがいた。はい署名。後から入ってきた息子さんは、すでに署名済み。感心な青年だ。販売係の女性もしてくれた。スタート前の数分で6筆。気をよくして武岡団地に向かう。
最初に目についた市営住宅がターゲット。5階建て、エレベータなし。気温はどんどん上がって34度。汗だくになりながら回るも半分は空き家。そのまた半分は留守ときた。朝の分を含めて4人で28筆。ぐったり。
この団地には、福島から避難してきた方がいた。協力できてよかった、と言ってくれた。
翌23日、明和の真新しい県営住宅。10階建て、エレベータあり、横に順に回れるのがうれしい。出てきた人の8割は署名してくれた。この日は3人で68筆。
と、こんな具合に、鹿児島全県下で汗みどろの署名運動が展開されている。あと5日だ。
月末最後の天文館街頭署名に出動を待つ軽トラ。普段は農作業用。
濡れてグチュグチュの長机、4辺のおが屑の棒が溶けた。
干して、ボンドで固め、ガムテープで補強した。
]]> 6月1日、ついに川内原発の県民投票条例の署名運動がスタートした。
長い道のりだったが、ともあれ何事もなく20年延長が決まってしまう前に、抵抗する県民の声を公にする構図ができた。よかった、よかった。
会社に集荷に来た郵便局の兄ちゃんに署名を頼んだ。ほいほいと受けてくれたのだが、署名運動のことも寿命を迎える川内原発のことも、何も知らなかった。これもまた現実。
5月にビックリのニュースに触れた。有事に向けて、農水省が食糧の増産命令を出せるように法整備をしているというもの。どこの田舎でも、田んぼや畑をやっているのは、ほとんどが年寄りだ。いったい誰に何を命令しようというのだ、と首をかしげながらよく見ると、またビックリ。花農家に芋を作れと言うんだと。酪農農家にも、牛乳はいいから芋を作れと。
岸田首相の頓珍漢な原発推進政策とこの食糧増産の法整備は同じ文脈でつながる。戦争になれば輸入は止まる。輸入に依存するエネルギーと食糧は、真っ先に確保しなければならない、というわけだ。
私権の制約。戦争準備も、さらに一歩踏み込んだとみていい。
郵便局の兄ちゃんじゃないけど、知らないうちに、悪事は着々と準備されていくんだね。
みんな暮らしと仕事がある。6月は田植えの季節だ。うちのアイガモの田んぼも田植えに突入した。
周りの田んぼは全部年を取りすぎて止めてしまったから、水を引く用水路の準備も全部一人にのしかかってくる。伸び放題の草刈りもひと仕事だが、用水路にたまった土砂をさらうのは大仕事だ。鍬に土を載せて上げるのだが、1m進むだけでフーとなる。10m行くと大汗だ。どうにか終わって、水を通すと、田んぼにどぼどぼと水が入っていく。いつも、この瞬間は何とも言えない。
この6月は、土日は街頭署名や各地の説明会に出向くので、田植えの準備は出勤前に1時間、2時間と少しずつ済ませてきた。田植えが終わっても、カモの網張りやカラス除けの紐張りなど結構やることが多い。というわけで、本日6月22日昼過ぎ、やっとカモ16羽放鳥となった。
夕方見に行ったら、畦にこさえてやったねぐらには一羽もいない。ねぐらの反対側、一番遠くを泳いでいる。泳ぎ疲れて衰弱したカモも2羽。なるほど、カラス対策を強化しようとイーグルカイト(鷲の凧)をねぐらのそばに上げたのが悪かった。カモも猛禽類のイーグルを怖がったのだ。
悪かったね、カモちゃん。みんな元気で泳いでおくれ。
スズメ脅しに抜群の効果を発揮するイーグルカイト。カモも怖がってしまった。
田んぼを泳ぐカモたち。(右上)
車を運転するときラジオをつける。最近、やたらと「当社はSDGsに取り組んでいます」というCMが耳につく。
国連が決めたもので、日本語では「持続可能な開発目標」というらしい。17の目標は、「貧困をなくそう」「クリーンなエネルギー」とかで、いいんじゃないの、なのだが、「開発」がついているところが味噌で、これまで地球をボロボロにしてきた「開発」を免罪する、新しいスローガンじゃないかと、ひねくれ者の私は感じる。
気に入らん!と初めて聞いたときから思ったのだが、何度も聞かされたらイライラしてくる。
人々のささやかな暮らしを、持続可能どころか、ぶち壊しにするのは原発と戦争だ。
まさか、設計寿命を超えた川内原発の運転延長をもくろむ九電は言っていないよな、とホームページを開いたら、「豊かな地球を守るため」原発でCO2を抑制していると、おお威張りだ。軍拡にひた走る岸田首相は、安倍前首相が立ち上げたSDGs推進本部の本部長だ。こりゃだめだ。
世のため人のためと、ラジオCMになけなしの金を払う鹿児島の中小企業があわれに思えてくる。この世の中、訳の分からないことばかりだ。
人間の社会とは違って、生き物の世界では純粋な喜怒哀楽を味わうことができる。
4月末、会社で飼っている採卵用の鶏11羽が全滅した。狸に襲われたのだ。初日が2羽、次が6羽、また1羽、1羽、そして最後の1羽がいなくなった。黙って食われるままにしていたわけではない。その都度、何回も鶏小屋の周りを点検し、侵入可能なところを金網で塞ぎ、板で補修した。
最後の1羽になったとき、会社のスタッフからは、いっそ放し飼いにしたら、という提案もあった。聞く耳を持たない私は、唯一の進入路と見た入口扉の前に、ブロック2個入れたコンテナを置き、鍵もつけた。今度こそ大丈夫、安心していいよ、と残った1羽に声をかけたその夜、重いコンテナをどかし、扉をこじ開けられてしまった。
狸との知恵比べ、完敗だ。すっかり自信をなくした。ガックリ。
肩を落としながらの出勤が続いたが、数日後、うれしい出来事が。
会社ではニホンミツバチを飼っている。雨上がりの午後、ものすごい数のハチが、ブンブン巣箱の周りを飛び回り始めた。ひょっとして、と思ったら、まさにその通り、分蜂が始まったのだ。2000匹ほどか。巣箱の近くの木の幹に蜂玉を作った。
網で捕獲。新しい巣箱に入れたら、気に入ってくれて、今ではすっかり定着している。2群れになった。
ブロック2個入れたコンテナをどかし、扉をこじ開けられた鶏小屋
新しい群れが巣立ったニホンミツバチの巣箱
]]> 毎朝、私が作っているアイガモの田んぼの谷を通って会社に向かう。3月末、息を飲む一瞬があった。
いつも春になればレンゲが咲くのだが、この日は田んぼじゅう真っ赤な絨毯だった。
この田んぼを借りて10年近くになるが、種をまいたことはない。借りる前はずっと荒れていたから、そのずっと昔の種が細々と世代をつないできたのだろう。
借りた初めのころは、あちこちにポッポッと咲く程度だった。年を追うごとに群落が大きくなり、ついに今年は田んぼ全面に咲くに至った。
同じ仲間の作物を続けて植えると連作障害を起こす。例えば、ピーマン、トマト、ジャガイモなんかはナス科。種類が違っても同じ科の作物を植えれば、悪さをする線虫やバクテリアがどんどん増殖してしまう。だから、2回3回と連作は出来ない。
焼酎ブームでカライモが毎年同じ畑で作られているのを目にする。だけど、連作障害を防ぐため、苗を植え付ける前に土壌消毒が必須だ。
田舎に住んでいた母は、周りの畑で土壌消毒が始まると、ピクリンが来る、と大急ぎで窓を閉めていた。ガスが学校に流れ込んで子どもたちがバタバタと倒れたという話も聞いたことがある。
正式名称はクロールピクリン。すぐ分解し塩素ガスを出すので、第一次世界大戦では毒ガスとして使われた。それだけ強い農薬で土中の生き物を殺さなければ連作は出来ない。だが、悪さをする生き物だけでなく、全て殺してしまうから土は死んでしまう。
なぜ、田んぼでは毎年レンゲが咲くのか不思議でならなかった。同じ科どころか、同じ種である。連作障害を起こしても不思議ではない。
ある時、田んぼは毎年水を張るからだと聞いた。酸素が絶たれ、悪い生き物が増えないのだという。なるほどネ。
おまけに、レンゲは空中の窒素を土に取り込んでくれる。小学校の理科で習ったマメ科植物と共生する空中窒素固定細菌というやつのおかげだ。窒素は植物にとって大事な栄養素の一つ。ちなみに、水俣病の原因企業のチッソは、昔の名前は日本窒素肥料株式会社だった。
それはともかく、レンゲを春に咲かす水田稲作は、自然の摂理に沿ったご先祖様の知恵だったわけだ。
子どものころ、レンゲを刈って耕作用の牛の餌にもしていた。最近では、牛を飼う農家はなく、化学肥料を撒くからレンゲの咲く田んぼはどんどん少なくなっている。
ここでも、伝えられてきた知恵が消えようとしている。
2023年3月28日。田んぼはレンゲが満開だ。
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会社の代表たるもの、見過ごせない。棒を持って追い払うことにした。「こらっ」と声を上げながら棒であちこち叩きながら近づくと、ちょっと逃げる。まだ子供だ。人間でいえば中学1年、体重は30キロくらいか。
でも、居つかれたら困る。人間は恐ろしいものだと印象付けねばならない。小屋の裏手の山に追い込み、隣の竹林まで追い回した。「こらーっ」「こらーっ」。石ころも投げた。
子供とはいえ、さすがに速い。野山を駆け回っているから足腰は鍛えられている。オリンピックに出場したら金メダル間違いない。
すっかり追い払ったつもりでいたが、翌火曜日、また鶏小屋の前に来た。1メートルくらいに近づいても逃げる素振りはない。警戒しながら土を掘り返している。人間に大怪我をさせる牙もまだない。でも、鶏の餌当番の女性は怖がって近づかない。仕方ないから私が餌当番だ。
水曜日もまだいる。定期の集金に寄った銀行員が、遂にイノシシまで飼うようになったんですねと言う。玄関前の雨水を溜めるタライの水を飲んでいたらしい。南方新社は鶏やアイガモ、ミツバチまで飼っているからネ。可愛いだろう、と言うと、放し飼いをすっかり信じた。
木曜日の朝は、鶏小屋の横の林の中で、腹ばいになって寝ていた。「おーい」と声をかけると、片目を開けて、またつぶった。寝顔も可愛い。すっかり煩悩がついた。
金曜日には「チビ」と名前を付けた。だけど、チビと呼んでも自分のこととは思わず、穴掘りに夢中になっていた。
1週間居ついたチビだが、翌週の月曜日には姿を消した。旅に出たようだ。
会社の下には七窪水源地があり、森が守られている。2年前からこの谷にイノシシが住み着いた。農家に頼まれた猟師が、何頭か仕留めたとも聞いていた。去年の12月の夜、谷を車で走っていたら、子供のイノシシが3頭道を歩いていた。子供だけだったから、親は漁師にやられたのだろう。
年が明けると、谷から上がって来たのか、会社の近所でもイノシシが穴を掘った跡が頻出していた。最近では、子供のイノシシ2頭が罠にかかったと近所の爺さんに聞いていた。
となると、チビは親兄弟を全部失って一人ぼっちなのだろう。姿を消してから、毎日出勤するとチビ、チビと声をかけ、捜すのが日課になった。
どこにいるのか、チビ。
人間から逃げおおせておくれ。元気でいろよー。
2023年3月1日。会社の中庭を散歩するチビ。
この庭では、10数年前ジャニーズの手越祐也が訪れ、ポカリの兄弟、メッツという飲料のCM撮影が行われた。
]]> 過去のいくつかの経験が重なって、ある日突然閃くことがある。
2年前、南方新社にイタチが住み着いて大騒ぎになった。事務所のあちこちに糞を残すわ、おしっこを垂れるわで、本や布団が山ほどゴミになってしまった。頼むから出ていってくれと最後の手段に使ったのが、ニシムタから大量に買い込んで、あちこちに置いた害獣忌避剤。主成分はクレオソートと書いてあった。
クレオソートは、大雑把に言うと木が燃えるときに出てくる液体だ。山火事を嫌うイタチが逃げていくのだと聞いた。鹿児島で山火事なんて聞いたことがないから、どのイタチも怖い思いは未経験のはず。ということは遺伝子に組み込まれた本能ともいえる。
昨年の夏前には、ブヨにかまれてカユイカユイ、酷い目にあった。蚊やブヨが燃える草の煙を嫌うことは知っていた。平安の昔から、蚊遣火と言って夕になると煙を家の中に流し込むものだった。これも、虫たちが山火事を恐れる本能を利用したとみることができる。
もう一つある。スーパーで買ったサバをしめ鯖にして食べたら、あろうことか寄生虫のアニサキスに当たってしまった。
蕁麻疹はすぐに引いたが、翌朝胃がしくしく。ネットで調べると、胃に深く食い込んで医者が内視鏡で取ろうとしても取れないとき、正露丸(クレオソート)を飲むと、この虫はやる気をなくして出てくるらしい。薬局で買った正露丸を飲んで3日目、しくしくはやんだ。
アニサキスは線虫である。線虫と言えば、畑でジャガイモやカライモを作れば必ず寄ってきて、イモの表面をガザガザにするやつだ。
ここからは私の推測だが、アニサキスの先祖の線虫は山にいた。大雨で山の土もろとも流され海にたどり着き、なんかの拍子にサバに飲み込まれ、お腹に住み着くようになった。山にいたときは山火事になれば土深く潜ってしのいでいた。サバの腹の中では山火事には合わないが、遺伝子に組み込まれた恐怖を思い出させるクレオソートだけは耐えられない、というわけだ。
線虫からブヨなどの昆虫、そして哺乳類とつながる山火事の恐怖。もっと言えば、陸上生物すべてに共通する恐怖が山火事だということ。
奄美の友人とこんな話をするうちに、未開発の毒蛇ハブの忌避剤もクレーソートで出来るに違いない、というアイデアが生まれた。
これは凄い!大儲け間違いなし!いつか、大々的に売り出そう。それまで絶対秘密だぞ! 固い約束をしたが、ここで、ついばらしてしまった。
サバなどの内臓に寄生するアニサキス
ジャガイモ、カライモ、ニンジンの表面を傷つけるネコブセンチュウ
南方新社から刊行した『毒蛇ハブ』。ハブのことならお任せ。
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街の書店が消えて久しい。
戦後、商店街で開業した書店は大いに繁盛した。だが、アメリカ式のスーパーが登場し、さらに郊外に大型のショッピングモールができると、商店街もろとも街の書店も吹き飛んでいった。90年代後半から、2000年代にかけてのことだ。
南方新社が創業したのは、1994年、街の書店がぎりぎり生き残っていた時代だ。一つの本の売り上げ冊数は、書店の数に比例した。今はかつての半分といったところか。
売り上げ冊数が半減しても、定価を2倍に設定できれば、売り上げは維持できる。だが、2倍とまでいかなくとも、定価を上げれば読者は敬遠し、売り上げ冊数は更に減っていく。まさに、負のスパイラル(悪循環)だ。日本中の出版社がこの構造の中で苦闘している。
そんな中で、一つだけ信条というものがあるとすれば、世の中になかった本には必ず読者が付いてくる、というものだ。
最近、そんな本を2冊出した。
一つは、『九州のシダ植物検索図鑑』。シダだ。とにかく地味な植物である。胞子で繁殖するから花は咲かない。ジメジメした暗いところに生える。似た種が多く区別がむつかしい。
実は、鹿児島大学総合博物館には、大正時代から昭和中期までを中心に1万9千点のシダ標本が眠っていた。牧野富太郎、倉田悟、田川基二、初島住彦といった錚々たる植物学者が自ら採集した標本たちだ。
狂ったような開発が始まる以前の標本だから、現在では絶滅した種や、めったに見ることのできない絶滅危惧種が目白押しだ。この標本を基に、本書は九州産のシダをほとんど網羅する699種を載せている。
もう一つは、『日本産カワゴケソウ科全6種』である。カワゴケソウ科は世界に数百種存在するが、日本では、鹿児島と宮崎の一部にだけ2属6種が分布する。
研究者も鹿児島くんだりまで来るのは面倒だからか、発見後100年になろうしているのに、生活史は謎のまま。本書は、初めて花期を含んだ生態の各段階を鮮明画像で報告する。
シダは川原勝征さん、カワゴケソウは大工園認さんの手になる。二人とも鹿児島のアマチュア研究者だ。
いずれも、このレベルの本は二度と世に出ることはない。
どうだ、参ったか、とオールカラー、B5判の大型本、定価は本体8000円+税にした。高い値付けだが、本の価値と著者の執念は圧倒的だ。
負のスパイラルなど、吹き飛ばしてくれるに違いない。
生き物はすべて、自分が生き延びることを最優先にする。もう一つは、種そのものの勢力が大きくなることを目指す。個の生存と種の繫栄だ。
餌の取り合いや繁殖行動で仲間を攻撃することはある。南方新社で飼っているニワトリだって、餌の時間は大騒ぎになる。採卵用のメス10羽とオスを2羽入れているが、オス同士はメスの奪い合いで喧嘩をし、いつの間にか弱いほうのオスは、夜寝るときだって仲間外れにされ、一人ぼっちになった。だが、どんな生き物をみても、同じ種の仲間を全滅させるような行動に出ることはない。
人間の戦争は、穀物生産を始めたときからだと聞いた。保存のきく穀物が富の蓄積を生み、その奪い合いから他の集団を殺すようになった。
戦争は、いわば人間の欲望をエネルギー源としているわけだ。
世界市場は、今やアメリカと中国に二分されようとしている。世界の富を独占してきたアメリカから見れば、中国は目障りで仕方ないだろう。だから戦争に引きずり込んで、中国を消耗させようとする。でも、自分も消耗するのは嫌だから、子分の日本を使う。何でも言うことを聞くからネ、日本は。
日本が準備に張り切れば張り切るほど、いざ戦争になって頑張るほど、アメリカの軍事産業は暴利を得る。ウクライナで空前の巨利を得た彼らは、バイデンに耳打ちし、利益の一部をバックマージンとしてポッケに入れるバイデンも、中国への挑発に躍起になるということか。
岸田首相は狂ったように軍拡路線に突き進んでいる。もっとも、20年ほど前から盗聴法、秘密保護法、共謀罪法、安保法制、マイナンバーカード等、戦争準備と国民統合の法整備を進めてきた。敵基地攻撃などと平気で口にするいま、総仕上げの段階だ。
すでに、日中戦争は秒読み段階とみていい。紛らわしいのは、戦争はいつも「平和のため」という仮面をつけていることだ。
国益などとは無縁の私には、いつもあの詩のフレーズが頭に浮かぶ。
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ネズミ以下の争いごとなんて、真っ平ごめんだ。君はそう思わないかい?
日を浴びて朝露が光る合鴨の田んぼ
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