2013年10大ニュース&スタッフからのお便り



とりあえず 賀正 2014元旦

★ジャーン。2014年4月27日、設立20年目。刊行点数430点。年賀に代えて近況報告。

2013年の南方新社10大ニュース

1月27日 『幸せのかたち』毎日新聞「余録」で紹介。「その夫妻の間に生まれた兄と妹は2人とも重度の脳性まひと診断された。歩けず、話せもしない兄妹の在宅介護を40年以上続けてきた夫妻は70代の老境にある。もちろん、耐え難い苦難の時期があった。…(今)心の底から「幸せ」と話すのだ。わが子を守り抜く決意、心優しい人々との交わりを経て到達した境地らしい」。本書はそんな家族の物語を7編収録。記事が爆発的に反響を呼んで2刷りに。ホント、イイホンダ
3月15日 松田清さん偲ぶ会。一度もお会いしたことはないが奄美大島の偲ぶ会に出席。戦前戦後の社会運動を網羅した名著『奄美社会運動史』の著者。東京在住の70年代には徳之島核燃料再処理工場計画、通称MAT計画を暴露。住民運動に火を付け、撤退に追い込んだ。イジンナリ
5月24日 ウナギ獲り。この年3度目の天然ウナギ獲り。平日だったが格好の大潮だから仕方ない。仕事さぼるべし。昨年は20匹ほどゲット。へーいうな丼一丁。クッタドー
6月15日 昔話お話し会。『鹿児島ふるさとの昔話1.2』の著者、下野敏見さんが、青年団の若者相手に昔話を語る。今は亡き盲目のゴッタン奏者、荒武タミさんといえば、まぎれもなく鹿児島の知られざる偉人の一人。下野さんは、彼女を昔話の話者として発見した。オープンリールのテープレコーダーから聞こえてくるタミさんの鹿児島弁。ウルウル
7月29日 天然ハチミツ採り。トリ小屋の裏にこっそり置いてあるのがミツバチの巣箱。今年はちゃんと棲み着いてくれた。知り合いのハチ名人夫婦がこの日蜜採り。なんと奥さん20カ所刺されショック状態に。慌ててアドレナリン注射で救命。蜜アーウマカッタ
8月 18日 看板塗り替え大会。「おーい、看板の塗り替えにいっどー」と川内原発の足元久見崎にある大看板「原発とは共存できない」に集合。カンカン照り、汗みどろになって竹刈り、草刈り、ペンキ塗り替え完了。築13年の看板が甦る。サイカドウフンサイ!
11月3日 イカ名人復活。ご無沙汰していたテトラポッドに行った。まず小魚釣って、そいつを餌に仕掛け投入。1投目から電気浮が静かに沈む。待つこと、たばこ1本。ミズイカ君お久しぶりー。その後行くも、はずれなし。キロ級も。ナンテウマインダ、キミハ
12月18日 ユタ神さまご一行来社。編集中の『ユタ―遥かなる神々の島―』は、ユタ自身が初めてユタを語る本。その著者ご一行がはるばる当社へ。ユタとは琉球弧で人々にあがめられる神さま。見えたのは4人。これで南方新社も安泰。合掌。トウトガナシ
12月27日 『復刻 桜島噴火記』出来。敬愛する名古屋の出版社風媒社の社長から紹介された名著。長く絶版。噴火予知連会長は「研究者が回し読みをしていた」、鹿児島大の火山教員は「私のバイブル」と絶賛の書。1月12日の大正噴火100年に間に合った。ホーッ
12月31日 アイガモ6羽解体。田んぼで活躍してくれたアイガモ君、会社の中庭で寄ってたかって羽をむしり、正月用の土産のほか、バーベキューやカモ鍋を堪能した。天気は冬晴れ、庭は草刈りあと、焼酎は新酒、割り水は地下水、カモは新鮮。ナンテイイヒナンダ


2014年も新刊目白押し。乞うご期待。
 
スタッフからのお便り
 
仕事帰りの楽しみ。それは夜空を眺めること。月や星の輝きは、疲れた心をそっと癒やしてくれる。今年はお正月に『月のこよみ 2014』という本を購入。毎日の月の満ち欠けと、毎月の星空が紹介されている。「今年一番小さい満月」とか、「見ると長生きできる星」とか、ちょっとした情報が楽しい。いつもの帰り道が、数倍楽しくなった今年。日々、心の充電を忘れずにいたい。(坂元)

昨年末、姪っ子が角川書店から本を出した。インターネット小説から始まり、今では角川ビーンズ文庫として、全国の大きな書店にも並んでいるという。表紙が少女向けでコミック本っぽいが、読み出すと「次はどうなるの?」と、引き込まれてしまうライトノベルだ。鹿児島の書店で姪の本を買う、心躍るひと時。ところが、ある書店では、ビニールでおおってティーンズコーナーに平積みしてあった。中が見られない!以前、絵本を買う時にも、同じ思いをした。本屋さんではページをめくり、中を見て読んで買うのが楽しみだ!
本をビニールでおおうのはやめて!と願う新年である。(桑水流)

あるカレンダーをめくっていたら、「仕事は進んでしたら喜びとなり、嫌々すると苦痛となる」という標語に目がとまった。当たり前と言えば当たり前かも。でも、この言葉は、何事においても通じることだと、思いを新たにさせられた。南方新社にお世話になって15年目、向原社長の懐の大きさに甘えて今日も変わらずお世話になっていることに、心から感謝!
今年は午年。南方新社がうま〜く繁栄しますようにと願いつつ、自分自身も日々精進していきたいと思います。(藤)

昨年、60年ぶりの遷宮で賑わう出雲大社に父母と旅をした。久々の鉄道旅を存分に楽しむべく、下調べもバッチリだ。駅弁を食べるのも楽しみの一つ。岡山での乗り換え時間が8分と短かったので、特急やくもに乗り換えてから購入し、ゆっくり食べようということに。しかし、やくもに乗った瞬間、その通路の狭さに車内販売がないことを悟った。結局、15時まで食事なしという予想外の旅の始まりだったが、その分、到着した駅で食べた出雲そばの味は格別だった。そして、肝心要の出雲大社。とても空気が澄んでいて、またぜひ訪れたい場所でした。
今年も軽やかに、バランスよく!(梅北)

昨年末、「来年はいろんなことに挑戦する年にしよう!」と決めた。勢いで桜島マラソンにも申し込んだ。学生以来運動らしい運動はほとんどしていないので不安だったが、どうせやるなら……と、ハーフマラソンに出場することにした。新しいこと、苦手なことに挑戦する初めの一歩はとても勇気とパワーがいる。でも、小さな一歩を踏み出すことが後に大きな変化となることを自分なりに経験してきた。“できない”のと“やらない”のは全然違う。どんなことにも挑戦して成長の年にしたい。(江並)

 

新年のご挨拶


拝啓 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

 昨年出せた本は30点ほどでしょうか。その最後の最後、年末ぎりぎりに納品されたのが『復刻 桜島噴火記』。今からちょうど100年前、大正3年1月12日に20世紀最大の爆発を起こした桜島大正噴火を克明に記録した名著です。
 副題に「住民ハ理論ニ信頼セズ」とあります。この言葉は、東桜島小学校に今も建つ爆発記念碑に刻まれています。当時の鹿児島測候所長は、噴火のその時まで、「噴火の危険はない」と言い続けました。桜島の村長はじめ村の幹部たちは、噴火の10カ月前に開通した電話によって測候所と連絡をとり、群発地震に恐れおののく住民の説得に当たっていたのです。それでも大方の住民が逃げ、一方、逃げ遅れた村の幹部たちを中心に多くの死者が出てしまいました。
 著者は、測候所がなかったら、あるいは連絡手段の電話さえなかったら、全ての住民がいち早く避難し、死傷者ははるかに少なかっただろう、と言います。「理論ニ信頼セズ」。100年前に、重要な指摘がなされていたことに驚かされます。

 もう一つ触れておきたいのが、環境省がニホンウナギを絶滅危惧種に指定したことです。鹿児島では10月から12月の間、捕獲禁止になってしまいました。ウナギは確かに少なくなってきました。どこの川もコンクリートの3面側溝化して、ウナギの入る隙間なんてありません。餌となるエビやカニも棲めません。田んぼに撒く農薬は虫を殺しますが、同じ節足動物のエビやカニも、川に流入する農薬でやられてしまいます。
 コンクリートと農薬が先なのです。捕獲禁止は何の役にも立たないでしょう。
 ウナギ獲りはおろか、釘一本打てない若者が増えてきたといいます。近代文明とそれを支える科学は、本来あるべき人々の野性を奪い、生きていく知恵を奪い去っていきます。人力を基礎とする静かな時代の復活こそ、信じるべき未来ではないでしょうか。

 今年もよろしくお願い申し上げます。

2014年旧暦1月1日
図書出版南方新社
代表 向原祥隆

2013.7.21〜2013.12.20


 2013.12.20 タイコンデロガ

 創業2年目、1996年に鹿児島市在住の茂山忠茂氏の詩集を出した。『不安定な車輪』というタイトルのその詩集は、南日本文学賞を受賞し、わが南方新社にとっても、うれしい一冊となった。
 最近、その詩集の一節を思い出した。
 「水深5000メートル/広島原爆の約80倍の威力/黒い死の使者は/密かに出番をうかがう」
 そう、奄美沖に米軍が落とした水爆の話である。
 福島原発からの大量の放射能による海洋汚染は絶望的な気分にさせるが、もう一つ、私たちのごく身近にも汚染源が放置されたままなのだ。
 時は1965年、米ソ冷戦のさなか、全面核戦争さえ懸念されていた時期である。ベトナム戦争に参戦していた米空母タイコンデロガには、水爆が配備されていた。兵士の休息のために横須賀に向かう途中、奄美沖で戦闘機の出撃訓練が行われた。そこで何と、格納庫から飛行甲板に戦闘機を移動させるのに失敗して、水爆もろとも海に転落させてしまったのだ。
 事実が一部明らかになったのは、1981年のこと。「ブロークンアロー」の暗号名で、核兵器事故の一つとして公表された。しかし、この時は陸地から8500キロ離れているというものだった。もちろんウソである。
 グリーンピースによって落下地点が特定されたのは1989年のこと。北緯273502秒、東経1311903秒。喜界島沖南東150キロ。水深5000メートルの深海である。
 当時の新聞各紙も一面で報じたが、主な論点は放射能汚染よりも米軍による核持ち込み問題であった。それも「米軍の通告がない以上、日本政府は持ち込みがあったとは認識していない」というお決まりの公式見解で、あっけなく幕切れとなる。さらに同じ頃の政治スキャンダル、リクルート事件の陰に、あっという間に忘れられていった。
 原発ゴミの海洋投棄がまじめに検討されていたほどである。深海はじっと静かに眠っていると誰もが思いこんでいた。ところがそうではない。ちゃんと動いている。
 奄美沖の水爆は500気圧という高圧にさらされ、腐食も進み、プルトニウムやウランは溶け続けているに違いない。事実、沖縄のモズクから微量のプルトニウムが検出されている*。
 再来年、2015年は水爆落下50周年を迎える。アメリカの潜水艇は1万メートルまで潜ったという。キャロライン駐日大使は、水爆を回収してアメリカに持ち帰ってくれないだろうか。

 *『トップ・ガンの死―核搭載機水没事件 』(ドウス 昌代、講談社、1994年)

 2013.11.28 サイバーテロ

 「倍返しだ」という決まり文句で鳴らした人気ドラマがあった。幾多の危機に陥りながらも逆転していく勧善懲悪ものだ。
 優雅な暮らしをほしいままにしている小ずるい官僚や、会社幹部が木っ端みじんに打ち砕かれていくさまに、富や名声とは無縁な庶民が溜飲を下げる、という作者の狙いが物の見事に当たったわけだ。
 かくいう私も庶民の一人、欠かさず見ていた。だが、あちこちで「倍返しだ」という言葉を耳にするにつれ、なんだか違和感を覚えるようになった。
 知り合いのお母さんは、ドラマに背中を押され、息子がいじめられたら「倍の仕返しをしてこい」、傘を盗られたら「盗り返してこい」と教えるのだと、平然として言ってのけた。
 ヒエー、恐ろしい。
 うちなんか、いじめられたら「さっさと逃げなさい」というのが、教えだった。この世知辛い世の中、つまらない見えや、欲に取りつかれた人はどこにでもいる。いちいち向かっていけば身がもたない。
 そんなものは笑い飛ばすか、被害の及ばないところに逃げてゆくに限る。そうして私は鹿児島にUターンしてきたのだから。
 私が大学時代に見たボリビア映画に「第一の敵」がある。銃を手に、延々と山岳地帯を行軍していくゲリラの隊列だけが印象に残る。
 つまらないものは相手にせず、第一の敵、つまり権力や、矛盾を生み出した構造だけを一点に見すえよ、というメッセージだった。
 倍返しは、「借りた金と受けた恩義は倍返し」だけにしたいもんだ。
 *     *
 さて、会社で使うパソコン(反原発・かごしまネットと共有)がサイバーテロの標的になったのをご存知だろうか。1分間に30通以上、合計5万通ほどのメールが集中して送られてきた。 全国33の反原発の市民団体が被害を受けたという。
 延々と迷惑メールを消すだけの日が4日ほど続いた。パンクして届かなかった奴もあったろうし、間違って消してしまったメールもあっただろう。
 ハタ迷惑なのは言うまでもないが、実害があったという気はしない。
 こうしてみれば、便利になったはずのメールやパソコンが、まったく豊かにしてくれていないことに思い至る。売上は停滞どころか落ち気味だ。仕事も楽になっていないし、好きな釣りに行く回数も減った。ならば、無駄に忙しくなっただけではないか。
 やたらと鳴り響く携帯電話にしてもしかり。細かい仕事が増えるばかりだ。何してるんだか、まったく。

 2013.10.23 台風襲来

 台風23号がそれてしまった。
 この台風は生まれたときから注目していた。小さいながらもやがて大きくなる。950hPaまでいくという。東シナ海を北上して鹿児島に来そうだ。
 この鹿児島が大型の強い台風に巻き込まれる。会社の古い社屋が吹き飛ばされ、在庫の本が水浸しになるかもしれない。そうなれば無一文だ。運が悪ければ死んでしまう。
 でも、不安よりもなんだかウキウキした感覚。分かるだろうか。田舎育ちの会社の若いスタッフも楽しみにしていた。今度こそ来てくれるか。残念ながら、台湾から大陸の方にそれてしまった。お互いちぇっと舌打ちした。
 こんどは24号が間近に迫っている。
 子どもの頃から台風は大好きだった。学校が休みになるのはもちろんうれしかったが、それよりもゴーゴーと鳴る風の唸りが人智を超えた巨大な力を思い起こさせた。倒れた大木や、潰れた家、ときには死人も出た。それでも、人は台風の去った翌日から片付けを始め、台風前と変わらぬ村に仕上げていった。
 いわば、何日何カ月も何年も変わらぬ日常を破壊し、再生させるカタルシス(浄化)の快感とでもいおうか。
 以前、格差社会に嫌気をさした若者の「希望は戦争」という論文が注目を集めたが、同じような心性のなせるわざか。富める者も貧しき者も同じ命の危険にさらされ、全てが破壊され、裸の個の再生を余儀なくされるというわけだ。ただ、戦争は、誰もが同じスタートラインに立つのではなく、貧富の差を拡大させる意図が仕組まれているのが常なのだが。
 一昨年、同じ大規模破壊が東北を襲った。ただ、福島第一原発の事故は再生の希望とは全く無縁だと言わねばならない。
 五輪招致で、安倍首相は「健康問題については、これまでも今も将来もまったく問題ないことを約束する」と言い放った。だが、既に福島の子どもたちには、通常の100倍の甲状腺がんが確認されている。それだけではない。全身が冒される。ベラルーシの疾患発症率についての報告を見る(*注①)。
 血液および造血器21.2倍。循環系13.3倍、内分泌系、代謝系、免疫系300.3倍、呼吸器系108.8倍、泌尿生殖系48.0倍、筋肉と骨及び結合組織79.7倍、精神障害9.1倍、神経系と感覚器10.9倍、消化器系213.4倍、皮膚及び皮下組織44.7倍、腫瘍95.7……。絶望的な状況は、福島、東日本で既に始まっているとみていい。

 *注①ベラルーシゴメリ州1517歳、12年間の増加率。ゴメリ健康管理センターの公式データによる。星川淳訳『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』(岩波書店、2013

 2013.9.18 保育園の子どもたち

 灼熱の太陽の光も大分弱まってきたこの頃、お昼時に何回か保育園の子どもたちのお散歩に出会った。
 何てかわいいのだろうと思うのは、私が年を取ったせいなのか。
 若い保母さんを先頭に、小さな帽子をかぶった二人ずつがペアになり、手をつないで歩いている。車の行き交う県道だから、しっかり手をつなぎ、緊張して歩いている。ただ歩くことに一生懸命に集中している。それだけが、彼らの大仕事だというように。
 自分の子であろうがなかろうが、私たちにとって希望は、この子どもたちのいる風景なのだと思う。
 この子らもやがて大人になり、また子どもを生み育てていく。ずっと続いていく命の見通しが、私たちの希望のおおもとなのだろう。
 お散歩の園児たちは、県道を抜けると、野原に出て、草の葉っぱや虫たちと遊び始める。同じ葉っぱや同じ虫だけでは、すぐに飽きてしまうに違いない。「生物多様性」などという小難しい言葉とともに国際会議が開かれたりするが、多様性が必要な一番の理由は、様々な生き物の暮らす自然でなければ、飽きてしまう子どもたちが可哀想だからなのではないか。
       *
 2年前の3月11日、放射能が大量に降りまかれる原発の大事故が起こった。私は世界の「終わりの始まり」の日がついに来てしまったと、身の震えを感じた。実は、それ以前から、終わりは始まっていたのだと、この頃強く思う。農薬や、様々な化学物質が次々と登場し、溢れている。
 私はかつて、自分の子どもに毒は食べさせられないと、有機のものだけを用意していた。大人になった彼らは、今どんなものを食べているだろうか。いくら自分の子どもを有機で育てても、死ぬまで純粋培養はできない。やがて、放射能や化学物質の溢れる世の中を渡っていくことになる。そして、よその子と同じように、嘆きの海に漂うのだろう。
 自分の子もよその子も、ここもあそこも、地球全部が健やかでなければならないのだ。
       *
 私たちの希望が子どものいる風景なのだとしたら、のんきに構えているときはすでに遠く過ぎ去った、と強く思わなければならない。
 だって、ほら、メダカもドジョウもタガメもゲンゴロウもミズスマシも、みんないなくなってしまったじゃないか。
 福島のヤマトシジミは30%に奇形が現れているし、甲状腺ガンの子どもたちもどんどん増えているじゃないか。

 2013.8.21 命がけの蜂蜜

 南方新社のニワトリ小屋の奥、林の中に鎮座しているニホンミツバチの巣箱。毎日覗いていると面白い場面に出くわすこともある。
 このところ、巣箱の周りをキイロスズメバチがうろついている。こいつが来るとミツバチ防衛隊が入り口に集合。羽を盛んに震わせて巣箱に侵入しないように警戒する。ミツバチにとって、スズメバチは大の天敵。巣箱に入られたが最後、巣は食い荒らされ、せっかく溜め込んだ蜂蜜もごっそり盗まれてしまうという。
 だけど、うちは大丈夫。巣箱の入り口がきっちり6ミリにしてある。8ミリあるスズメバチの頭は、どう転がっても入らないのです。
 サッサと諦めればいいものを、ほぼ毎日、この柄の悪い輩が徘徊してくるのである。暇な奴だ、と思って見ていたら、なんと空中キャッチ。蜜集めの仕事から帰って来たミツバチを空中で器用に捕まえたのだ。そのままブーン、どこかへ飛び去っていった。
 肉食のスズメバチは昆虫類を食べる。あちこち飛び回って獲物を探すより、巣箱の前には確実にミツバチがいる。ミツバチは巣箱の入り口めがけて帰ってくるから、軌道も読みやすい。考えたね、スズメバチ君。
 そんな困難を乗り越えて、うちの巣箱にもけっこう蜜が溜まっているとハチ名人が鑑定した。
 秋の蜜採り予定を急きょ前倒し、7月29日、蜜採りとあいなった。朝7時集合。でも前日、川内で原発の放射能がどこへ向かうかの風船飛ばしのイベントがあって、私はダウン。ハチ名人とその妻に任せることにした。
 私はのこのこ9時出社。予想以上にミツバチが凶暴で、名人は10カ所、奥さんは20カ所も刺されたという。奥さんは、目の前が真っ白、ショック状態になり、慌てて緊急用の注射を打って治まった。まさに命がけ。私はダウンしていて、ほんとによかったー。
 で、5段ある巣箱の1段だけで、採れたのは海苔佃煮のガラス瓶5つ分。何にもしなかったけど、1つ分けてくれた。
 なめてみると、うまいこと、うまいこと。会社のスタッフにも、スプーン一匙ずつお裾分け。みんな感動している。甘いのだが、甘くない。力がみなぎってくる。鳥肌が立ったと言う人もいた。
 ミツバチたちが、この下田の森の木や草の花から、ひとしずくずつ集めた蜜だ。
 おいしいものはいくらでも手に入る時代。添加物でどんな味でも作ってみせると、食品会社のプロは豪語する。だが、うちのミツバチが集めた一匙の蜂蜜のうまさに勝るものはなかろう。

 2013.7.21 中年ウナギ密漁団

 この3週間、一滴の雨も降っていない。暑い日が続いている。
 でも、この下田町の会社は街中より標高が150m高い。100mで気温は1だから、街中より1.5度低い。周辺には木が生い茂り、風が林の中をくぐってくるから、さらに気温は低くなる。3は違うだろう。夕方になるとグーンと涼しくなる。
 「うーん、よか晩なあー」と言いながら、この前の新月の夜に、会社の中庭、満天の星空の下で盛大にやったのが大ウナギ大会だ。
 新月の夜、というのがミソなのだが、理由が分かるかね、君たち。
 そう、大潮なのだよ。
 我が、秘密結社「中年ウナギ密漁団*」の密漁ポイントは、某川の河口。月に2度の大潮の最干潮でないと、とても仕掛けを上げることはできない。
 竹筒をウナギのいそうな場所に忍ばせておく。この竹筒は、春先に手にいくつも豆をこさえながら節をぶち抜いたやつだ。
 その竹筒を両方の手の平で挟んで持ち上げる。指の隙間から水を抜くと、指にウナギの頭がごつごつと当たる。網に受けると、こりゃあデカイ。ワッハッハッハー、なんてことを繰り返しながらウナギを確保するんだ。まあ、ただそんだけで、子どもでも出来ることなんだけどね。
 エビスビールで乾杯!そしてバーベキューだ。炭火にウナギを載せる。かば焼きだ。ウマイ。白焼きには自然塩の粗塩だ。ウマイー。
 この日の天然ウナギは10匹。食べた食べた。もっともこの日は、団員のNさんが獲ってきたものだったけど。
 世間では、ウナギの保護がやかましい。国際自然保護連合がニホンウナギを絶滅危惧種に指定しそうだ。指定されたって、こっちは昔からウナギを獲って食べていた先住民だ。カメやクジラに先住民には捕獲の権利があるように、ウナギだって、私ら先住民には問題なかろう。
 そう思っていたら、シラスウナギの不漁続きで、今度は県単位で、この鹿児島も10月から12月まで親ウナギの禁漁を決めた。
 なるほどウナギは確かに少なくなってきた。だけど、川を見てごらん。ウナギの棲めそうな場所がどこにある? コンクリートの3面側溝化して、ウナギの入る隙間なんてない。ウナギの餌となるエビやカニも棲めやしない。田んぼに撒く農薬は虫を殺すけど、同じ節足動物のエビやカニも、めっぽう薬に弱い。
 コンクリートと農薬が先なんだよね。まったく!

 *漁業権なんて関係ない小河川だから密漁じゃないけど、なんだ秘密めかしてかかっこいいでしょ。



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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