猪が出た

 

 私が田んぼをこさえている七窪水源地の谷に、猪が出現したのは昨年の稲刈り前のことだ。
 いつものように、谷沿いの小径をバイクで走っていると、すぐ下の田んぼをやっている爺さんに呼び止められた。「大変なことになった。猪が田んぼに水飲みにやってきた」。水飲み場のすぐそばの藪に、獣道ができている。山からここを通って田んぼに来たらしい。
 猪が田んぼに入ったら、米は食うわ、大便小便はまき散らすわ、臭くて全滅だという。えらいこっちゃ。
 人間の匂いを嫌うというから、あわてて髪の毛を撒くことにした。会社には美容師の卵の息子を持つスタッフがいる。事情を話すとすぐに袋一杯持ってきてくれた。
 撒こうと手に取ると、あろうことかみんな茶髪だ。有機無農薬のアイガモの田んぼには似合わないが仕方ない。畦に点々と茶髪の山を作った。
 上の畑では、からいもがやられた。畑の主のおばちゃんが、「シシが出たー」と興奮している。人間の匂いを嫌うらしいよ、と言うと、翌日には、からいも畑の畝に突き刺した棒に、シャツが吊るしてあった。
 おばちゃんの汗で、臭くなったやつだ。対策の記念に写真を撮ろうとすると、恥ずかしいから止めてくれと、赤くなっていた。
 私の田んぼは、アイガモが逃げないようにネットで囲っている。だから、よその田んぼ畑よりましだろうと思っていたが、さすがに稲刈りの数日前にはネットを片付けなくてはならない。ネットなしの数日は緊張の日々が続いた。
 ネットをはずした翌日にはタヌキの足跡があった。そのまた翌日、何と猪の足跡! タヌキは5本指、猪は蹄だ。二つの指を押したように跡が残る。紛れもなく猪だが、小さい。ウリ坊のようだ。ひやひやしながら、どうにか稲刈りを迎えることができた。その数日後には、立派な大人の猪の足跡が田んぼに残されていた。

 

 あれから3カ月。谷から猪の気配は消えていたが、先日、下の田んぼの爺さんに呼び止められた。谷の南側の丘でビニールハウスが被害に遭った、大騒ぎで罠を仕掛けているという。
 猪とて人間を困らせようという気はないだろう。所有の概念のない猪には、自然のものと人間のものとの区別はない。苦労して固い地面を掘らなければならない自然薯と、柔らかい畑で簡単に掘れるからいもがあれば、私が猪でもからいもを選ぶ。
 もともと、この辺りの谷や丘は猪のものだった。罠にかかって八つ裂きにされる猪が不憫でならない。

 

アイガモの田んぼ

 

からいも畑の猪対策、おばちゃんが汗臭いシャツを吊るす

 

タヌキの足跡

 

 

 猪の足跡

 

ついでにスズメが米を食べた後

 

 

 


打ち捨てられた遺体

 

 『北朝鮮墓参記』という原稿が舞い込んできた。

 戦争中、父親の鉄道関係の仕事の都合で一家は北朝鮮で暮らし、著者もそこで生まれた。戦争に負けると、ソ連軍が進駐し、一家は日本を目指す。翌年6月、やっと鹿児島に帰り着いたものの、9人家族のうち祖母と父、幼い弟2人、合わせて4人が戦後半年のうちに亡くなっていた。とりわけ、祖母と父は、満足に葬ることもできず、打ち捨てるように帰ってきたという。

 

 4人の眠る地をもう一度訪ねたいという願いが、87歳になってようやく実現したのだ。

 肉親の死、あるいは遺体というものが、そこまで人を駆り立てるものだと、あらためて思った。

 

 

 ちょうど手掛けている『奄美の復帰運動と保健福祉的地域再生』という本に、戦争中、奄美大島大和村の山中にグラマンが墜落した話があった。

 戦後、奄美は米軍政下におかれる。すぐに軍政府が遺体の調査に向かうと、乗員3人の遺体は地元の人達が丁寧に葬り、その場に十字架まで立てていた。軍政府の役人は、村人にいたく感謝したという。

 敵兵でありながら、きちんと弔った島の人の心根を思わずにいられない。

 

 

 それに引き換え、とでも言いたくなる話が、足もとにもあった。

 南方新社は、下田のシラス台地の上に事務所を置く。その崖下には、七窪水源地がある。戦前、市内の水道のほとんどを賄っていた水源地だ。

 1945年、終戦の年の6月に鹿児島市街地も大規模な空襲に晒された。幸い被災を免れた市役所の重要書類を疎開させようと計画されたのが、七窪水源地の崖であった。崖に横穴を掘って保管庫にしようというもの。

 ところがその建設中、7月27日にまたも空襲があり、あろうことか、水源地も標的になって4発の爆弾が落とされた。米軍も市民に打撃を与えようとこの水源地を狙ったのだろう。

 この七窪水源地爆撃で、地元民数名とともに、朝鮮人の作業員十数名も死んでしまった。

 ときは7月末、遺体の腐敗は進む。もちろん日本人は墓に葬られたのだが、朝鮮人の遺体がどうなったかは分からない。伊敷の45連隊の兵隊たちが水源地の復旧作業をしたというが、おそらく、その辺りに埋めたに違いない。(『七窪水源地爆撃記録』南方新社より)

 

 

 ふるさとには、親兄弟はもちろん、妻子もいただろう。戦後74年経った今、死んだ朝鮮人の名はおろか、その事実さえほとんど知られず、遺体は打ち捨てられたままだ。

 せめて、慰霊碑だけでも作れないだろうかと思う。


頑張れ紫尾山

 

 11月9日、1時間かけて、のこのこ宮之城まで出かけた。北薩の最高峰、紫尾山(1067m)に計画されている大規模風力発電のシンポジウムが開かれたからだ。

 

 紫尾山の頂上部を除く尾根筋全域に巨大風車が165基、これまでの日本最大の風力発電の7倍、60万kwというから、原発並みの発電施設になる。

 半年ほど前から聞いていたが、深く考えることはなかった。この日、2時間、じっくり資料に目を通し話を聞くうちに、こりゃすごいと、唸った。

 

 20kmも届くという超低周波音。牛、豚、鶏は餌を食わず、乳も出さず、卵も産まなくなるという畜産被害が想定される。もちろん人間にも影響が出る。特に子供が心配だ。

 

 風車に向かって飛んで行ったワシが一瞬のうちにグシャッと風車の羽根で叩き落とされる映像が流れた。北海道で撮影された映像だ。思わず、ワッと声を上げた。バードストライクというやつだ。聞くと見るとでは大違い。実にたまげた。今回の協賛団体である野鳥の会が反対の声を上げるのも、もっともなことだ。

 

 何より私の脳裏をよぎったのは、紫尾山の昆虫、植物が壊滅的な打撃を受けるということだ。計画されている風車は、鹿児島中央駅の観覧車アミュランの2倍の直径120m、高さも2倍の180mになるという。羽根一枚の長さは60m、柱は90mだ。一体どうやって運ぶのか。

 

 紫尾の尾根筋には林道が走っているが、それはせいぜい5m前後に伐った木材をトラックで運ぶための道だ。山肌に沿って急カーブが連続する林道で、60mの羽根や90mの柱はとても運べない。山を削り谷を埋めた直線の道じゃなければ無理というもの。

 

 かくして紫尾山の尾根沿いの森は大規模な伐採と、土地改変が行われることになる。

 地球は、1万年少し前の最終氷期から徐々に温暖化している。それにつれて、最終氷期の前に進出した北方系の生き物たちは少しずつ北に追いやられてきた。鹿児島では、紫尾山、霧島山、高隈山の尾根筋に生き残ることになる。

 つまり、学術的にも貴重な日本の生物の南限種群が、一瞬のうちに壊滅する危機に立たされているというわけだ。

 

 だが、この事実はほとんど知らされていない。鹿児島大学の生物の教員に「こんなことがあるよ」と話したが、「全然知らなかった」と驚いていた。

 原発もダメだが、再エネという美名に隠れた大規模風力発電も、やめておけと言うほかない。まさに度を越した自然破壊の元凶だ。



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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