2013.1.22〜2013.6.21


 2013.6.21 ニホンミツバチ

 このところ、毎朝会社に出勤してからの日課が一つ増えた。まず、前日の残飯をニワトリ小屋に投げ入れるのはいつも通りなのだが、その後、小屋の裏手にある林の中に分け入ることになる。
 たまに見かけるマムシを心配しながら踏み込むと、やがて巣箱が見えてくる。そう、ニホンミツバチの一群がそこに暮らしているのだ。
 去年の春先には会社の中庭に箱を置いた。群れが入って大喜びしたのもつかの間、何日か後にバーベキューをしたら、煙を嫌って、みんな逃げてしまった。ガックリ。
 今年は、バーベキューをしても問題のない林の中に巣箱を設置。1週間もたつと群れが入っていた。バンザーイ。と言っても、巣箱はハチ好きの知り合いが勝手に置いていったものなんだけどね。
 ともかく、巣箱を見るだけで和んでしまう。狭い出入り口からひっきりなしにハチは飛び立っていく。そして蜜を集めたハチが帰ってくる。出入り口は出るハチ、戻るハチで、いつも大混雑だ。今では巣箱の中で育ったのか、群れも大部大きくなったようだ。ニワトリ小屋からもブンブン羽音が聞こえる。
 よく目を凝らすと、林の中にハチの通り道がある。出ていくハチを見送っていると、同じ道(と言っても空間)を帰ってくる。「お帰りなさーい」と、声をかけたくなる。
 私が寝坊をして布団の中でゴロゴロしているときも、ハチは日の出とともに蜜を集めに出かけていく。仕事がはかどらずボーッとしていても、ハチは働いている。これはいい!
 ネットで見たら、ニホンミツバチの蜂蜜は、100g1000円で売っていた。一つの巣箱で5kg採れるというから5万円だ。
 100箱で500万、200箱で1000万、400箱なら2000万だ。スゲエ! 苦労して本を作るより、サボっていてもハチが働いてくれるのは魅力的だ。養蜂業に転換だ!!
 まてよ、蜂蜜はとれたとして、売らなければならない。またまた面倒な話だ。うちの本も売るのが一番大変なことに思い至る。
 養蜂業はじっくり温めるとして、先ずは秋の蜂蜜を楽しみにしよう。うまい蜂蜜を存分に味わおう。フフフ。
 今日もわが社のニホンミツバチは元気に蜜を集めている。何の花だろうか。山を白く彩っていたクリやクマノミズキは終わった。スイカズラの花はまだある。草原にはハルジョンが花盛りだ。ヤブガラシはやがて満開。
 ハチの気持ちになって野山の花を見るのも、楽しみの一つになった。

 2013.5.21 マザーツリー

 私は小学校高学年の頃から昆虫少年だった。授業が終わると捕虫網を手に野山を走り回り、夜になると図鑑を眺め、まだ見ぬ虫の姿を目に焼き付けていた。それは中学、高校と続いた。
 高校の頃、虫好きの間に大ニュースが響き渡った。これまで鹿児島県内にはいないとされていた1cmほどの小さな蝶、カラスシジミが採れたというのだ。
 カラスシジミの植樹はハルニレ。その若葉を幼虫が食べ、年1回、5、6月に羽化する。
 虫を探すときは、虫そのものを探すのではなく植樹を探す。鹿児島では、そう普通とはいえない北方系の落葉樹、ハルニレを探す日々が始まった。
 慣れれば、遠くからでも木の形、枝ぶりから、おおよそは分かる。葉の一枚でも近くで見ることができれば完璧だ。虫好きたちの努力で、わずか1、2年のうちに、県内におけるカラスシジミの分布図が出来上がった。
 胸を震わせながらカラスシジミをネットに収めた瞬間が、今でも甦る。
 会社のある鹿児島市北部の下田町でも、ハルニレは目にすることができる。稲荷川沿いに点々と生えている。毎年5月になれば、バイクを停めてカラスシジミが今でも生きているのを確かめるのが習慣となった。
 あるとき、その木々がいずれも若いのに気が付いた。どう見ても20年生前後。この木はどこから来たのか。ハルニレには鳥が喜んで食べるような実はつかない。小さな羽を付けた種が風に乗って舞い落ちていく。
 川沿いの木々は、上流の親木から落ちた種が洪水によって運ばれてきたのではないか。だとすれば、上流には母なる木があるに違いない。
 それからいく日かすぎて、ついに見つけた。田んぼの中をゆっくりと流れる川をさかのぼって行くと、上流に鬱蒼と茂った森があり、川は渓谷を形作っていた。夏なお涼しい桃源郷だ。そこに直径1mはあろうかというハルニレの巨木がそびえていた。
 川沿いの子どもたちの母親だ。私はそう確信してマザーツリーと名付けた。それからずっと、5月になるとこの大木を訪ね、年に一度のカラスシジミの乱舞を見るのが何よりの楽しみとなった。
 足元の名所を見直そうという機運の高まりの中で、この谷も知られざる名所として、度々新聞を賑わすようになった。少しずつ歩道も整備された。
 今年、目を疑った。暗いはずの谷が明るい。あろうことか、マザーツリーが消えていた。明るくするためか、歩道の安全のためか、木は伐られ、代わりにきれいな石垣が組まれていた。
 私はうなだれて谷を去った。

 2013.4.21 いざ、闘いの隊列へ

 「いざ、闘いの隊列へ」などと、柄にもないタイトルを付けてしまった。これには事情がある。
 先日、反原発九州住民合宿なるものが、川内で泊まりがけで行われた。九州各県の市民団体が集まって、九州の原発問題について意見交換しようというもの。
 これまで、佐賀、大分、宮崎など持ち回りで開かれてきたが、今回は川内である。東京からも、経産省テント村などから4人が駆けつけた。
 理由は、川内原発が再稼働の一番手として狙われている、鹿児島の反原発は対応しきれているのか、という危機感である。
 実際、この間川内再稼働の動きが目につくようになってきた。伊藤知事は、30キロ圏内の9市町が九州電力と安全協定を結んだことについて「再稼働に向けた環境整備が一つ整った」(2013.4.5定例会見)と述べた。九電は5月1日からの値上げについて、7月に申請する再稼働が遅れれば再値上げの可能性がある、と恫喝をかけている。マスコミも、この秋の再稼働を既定の事実であるかのように報道し始めた。
 日本で唯一動いている大飯原発は、9月には定期点検に入って、日本は再び原発ゼロになる。早い時期にゼロをなくしたい国と電力は川内にはっきり照準を合わせたのである。川内を突破口に、一気に日本中の原発再稼働に向けた道筋をつけようというわけだ。
 再稼働阻止の全国的闘いは、既に前哨戦が始まったと見ていい。その最前線に、鹿児島に暮らす私たちは否応もなく立たされてしまったのだ。
 原発は、動かせば必ず事故を起こす。4つのプレートがぶつかる世界有数の地震国日本には、そもそも原発などあってはならなかった。さらに1995年の阪神大震災以降、日本列島は大地震の激動期に突入した。まだ18年。あと32年もの間、激動期は続く。
 放射能のほとんどが偏西風によって太平洋に向かった福島で明らかになったように、西日本の原発爆発による放射能は、列島を覆い尽くす。
 川内再稼働を阻止するということは、日本に暮らす全ての人の命を守るということである。荷は重いが、やり抜かねばならない。
 野球で先制点が重要なように、5月6月7月の序盤戦が大きな意味を持つ。先ずは6月2日1100〜、ノーニュークスフェスティバルだ。真砂本町公園に集まろう。県庁を取り囲もう。
 鹿児島に暮らす者に、拝金亡者や、原発の危険を知らぬ無知蒙昧な者、権力にたやすく屈服する憶病者など、ただの一人もいないことを、今こそ知らしめなければならない。

 2013.3.21 論壇デビュー

 ちょっと自慢話。2月28日、この日はあちこちから連絡があった。「朝日新聞を見たよ」「買って読むからね!」……。おっ、大朝日新聞にうちの本の書評が載ったか? こりゃあ、また注文捌きに忙しくなるぜ。
 濡れ手に粟の予感に、ほくそ笑みながら大急ぎでコンビニに走った。新聞を買って目を通すけど、どこにもうちの本なんかない。
 すっかり気が抜けて、何か載っていたの?と連絡をくれた北海道の友人に電話を入れた。教えてくれる通りによくよく眼を凝らすと、たしかに私の名前があった! でも原稿のタイトルを入れて2行ぽっち。いーや、その2行が大したものだった。
 15面、オピニオン論壇時評面の右下隅に、論壇委員が選ぶ「今月の3点」の欄がある。小熊英二氏が思想・歴史部門で何と私の原稿を2月の注目論文3点の一つに挙げていたのだ。
 小熊英二といえば、小難しいことばっかり書いていてつまらん奴、と思っていたが、誉められればころりと転ぶのが私。これからは、巨匠小熊と呼ぼう。
 で、肝心な何を書いたのかといえば、「地域が変われば国も変わる」というタイトルの知事選総括およそ30枚。『インパクション188号』だ。
 以下に一部紹介する。
 「『国が原発を止められないのなら、鹿児島から止めて見せよう』。これは、選挙期間中しばしば使ったフレーズである。……今回、鹿児島県知事選挙で反対派が勝利すれば、日本の原発は終わっていたと思う。
 再稼働を認めないのはもちろん、具体的に廃炉に向けたあらゆる方策を選択できた。4年かけて自然エネルギーの導入に全力を尽くすこともできた。その一方では、続々と日本中の立地県の知事が反原発に変わっていっただろう。国がのらりくらりとしているうちに、あっという間に原発のない日本ができるという寸法である。
 変わるということについて付言しよう。原発に限らず、変わる単位は県である必要はない。市町村という単位、さらに言うなら集落の単位であってもよい。一つの集落でできることは日本全国の集落で出来ることである。極端に言えば、一つの集落が変われば日本が変わる、それはありうることなのである。
 巨万の人間が集中する都市では1人の人間の影響力は無に等しい。……変わろうという意志は、地域の方がその影響力を行使しやすく実現可能性が高いということなのである」
 なんて、いつもこの欄に書いているような当たり前のことを、それらしく書いただけでした。はい。

 2013.2.20 幸せのかたち

 以下は、毎日新聞一面コラム余録より。

 その夫妻の間に生まれた兄と妹は2人とも重度の脳性まひと診断された。歩けず、話せもしない兄妹の在宅介護を40年以上続けてきた夫妻は70代の老境にある▲もちろん、耐え難い苦悩の時期があった。「こん子さえおらんかったら」と心の中でどれほど叫んだことか。妻はそう明かす。だが試練に耐え抜いた夫妻は孫を抱けない寂しさや不安を感じつつ、心の底から「幸せ」と話すのだ。わが子を守り抜く決意、心優しい人々との交わりを経て到達した境地らしい▲また別の家族の場合。病院勤めの妻が交通事故で首の骨を折り、体の自由と希望を失った。肉親以外とは顔を合わせない日々が3年も続く。しかし同級生の母との偶然の出会いをきっかけに、知人たちとの交流が復活した▲リハビリにも熱が入り、両腕が動き始める。右手の親指以外の9本の指と両足は動かないが、工夫してパソコンのキーをたたき、筆で緻密な絵も描けるようになった。事故後十数年を経て彼女は「ハンディは不便でも、不幸でもありません」と言い切る▲以上は、2010年から昨年にかけて小紙の西部本社版に連載された記事の断片である。その記事は最近『幸せのかたち―七つの「奇跡」が語るもの―』(南方新社)として刊行された。九州各地の家族たちの苦闘と幸福の物語7編を収めている▲不運に見舞われても「幸せ」を取り戻した家族はあちこちにいるようだ。同時に、今も苦しみ抜いている家族も少なくあるまい。暗いトンネルを抜け出るヒントになれば、と思って紹介した。東京の通勤電車に揺られて読みながら、何度も落涙したことを付けくわえておく。2013.1.27毎日・余録

 この本の著者は、福岡賢正記者。小社からこれまで『たのしい不便』『隠された風景』『小さき者たちの戦争』『小さき者として語る平和』の4冊を出している。
 いずれも、高校や大学の入試問題に採用されたり韓国語に翻訳されて海の向こうでも読み継がれたりしている、掛け値なしの名著である。
 今回の『幸せのかたち』も、出すことに迷いはなかったが、それにしても地味である。最小部数しか印刷できなかった。
 本にはいろいろのタイプがある。すぐに役立つものは売れる部数が読める。だが、じっくり生きていく背骨を作ってくれる本もある。
 毎日新聞西部本社・福岡賢正。この人の本はぜひ手元に置いてほしい。そして、周りに手渡してほしい。
 
 2013.1.22 天皇を救った男

 敗戦後、東条英機ら日本軍の幹部は戦犯として処刑された。この極東国際軍事裁判で、なぜ昭和天皇が訴追されなかったのか。戦後史最大の謎なのだが、その詳細はいまだ明らかにされていない。
 連合国の中でも、オーストラリアを筆頭に、中国、ソ連、フィリピンなどは訴追に傾いていた。だが、ワシントンとマッカーサーは、天皇が処罰されれば日本の統一は困難になり、100万の駐留軍が必要になるとして、天皇を温存する道を選んだ。
 重要なのは、この分析を誰がしたのか、である。どうも、このカギを握る人物の伝記が小社に舞い込んできたようなのだ。
 彼は、鹿児島に縁のあるアメリカ陸軍情報部に所属する日系2世。暗号解読をはじめ的確な日本分析の功により、たいそうな勲章まで授章している。それ以上は、内緒。7月刊行予定の『天皇を救った男』をお楽しみに。
 20年前の東京時代の同僚が、アメリカ人と結婚して西海岸に住んでいる。その縁でロサンゼルスのジャーナリストから原稿が送られてきた。出版社の看板を掲げていたら、こんな面白い場面にも立ち合えるんだね。

 さて、先の土日はハードだった。19日は、終日、南大隅町の集落に出向いてのチラシ配り。12月に核施設拒否条例ができたけど、まだ安心できない。4月の町長選挙はとっても大事だ。
 20日の日曜日は、宮崎で原発のお話し会。ここに強者がいた。
 群馬出身の彼女は、ドイツから宮崎に引っ越して1年あまり。原発に洗脳された日本人の救出に帰ってきた。
 まずやったのは、しゃくにさわる九電との契約を断ち切ることだった。
 でも何の問題もない。200Wの太陽光発電のパネル1枚をアパートのベランダに置いて、田舎の年寄りが乗っている電動カートに使われているバッテリーを2個、それによく分からないけどインバーターとコントローラー、しめて7万7千円で自家用の発電所を作ってしまった。
 電気を食う冷蔵庫とか洗濯機はない。テレビは見ないからいらない。それでも不自由なく暮らしている。保育園の娘と旦那の3人家族だから大したものだ。これもいずれ本にさせてもらおう。
 彼女が語った言葉が印象に残る。「日本人は医者や弁護士とか、議員や大学教授とかの職業を、さも上の位のように扱いますよね。ドイツではあり得ない。まさに貴賎なしですよ」
 天皇制、官僚制、原発を温存させる従順な日本人、あのときああだったら、という思いがよぎった。


2012年10大ニュース&スタッフからのお便り



とりあえず 賀正 2013元旦

★ジャーン。設立20年目に突入。刊行点数400点突破。年賀に代えて近況報告。

2012年の南方新社10大ニュース


3月6日 南西諸島史料集全5巻完結。ドーンとしめて2500ページ。奄美の歴史研究の根本史料群だ。史料が散逸する前に活字化しなければという松下志朗先生の発案による。なんせ藩政期の文書だけに、ただひたすら漢字が並ぶ。ふー。校正もたいへん。ヨクヤッタ、ウメキタ
3月25日 カバン紛失。朝、目が覚めたらカバンがないっ。福岡から帰ったその足で原発の講演会に。懇親会では飲み足りず2次会へ。疲れていたのか焼酎でドロドロ、どうして布団までたどり着いたやら。会社の実印、自分の実印、デジカメ、手帳、その他もろもろ一挙に消えた。グスン
5月8日 鹿児島県知事選出馬を決める。原発を終わりにする。その一点だけで決めた。投票は7月8日。仕事そっちのけの、怒涛の日々が始まる。敵もさるもの、投票の10日前に県内全家庭に「計画停電のお知らせ」を郵送。ヤルモンダネー
6月13日 南日本出版文化賞を受賞。小社刊『鹿児島環境学』です。ぱちぱちぱちー。この賞、著者には賞状と賞金が授与されるが、出版社には何もない。と思ったら今年は賞状がもらえました。ナンダカウレシイ
7月 6日 地方出版文化功労賞特別賞受賞。おーい、『奄美沖縄環境史資料集成』が受賞だって。授賞理由「編著者以外にも出版社が相当の覚悟と見通しを持たないと発行されるものではなく、その意味で評価されるべき」だとさ。パチパチパチー
7月22日 25人が南方新社に宿泊。「坊さんたち12、3人だけど泊まれるかなー」。はいよ、と受けて、ふたを開けたら25人。南方新社における宿泊最大人数を記録した。聞けば日本の原発54基全てを回るのだとか。黄色い僧衣に、うちわ太鼓をぽんぽこ叩きながら歩く日本山妙法寺の坊さんたち。かっこいいなあ。ガッショウ
9月13日 保母の卵8人泊まる。今年も千葉の短大から保母の卵たち8人がやってきた。アイガモをさばいてバーべキュウ、近くの川で魚を釣って、カブトムシ探し。なんだか分からないけど研修だって。そうそう、川から会社に半泣きで1人帰ってきたっけ。その子は短パンで太ももに釣り針が刺さったまま。身ごと無理やり針を抜いてあげた。エイヤッ
10月14日 稲刈り。今年は日照不足のせいか、どこも平年の7割の出来らしい。そういえば田植えあと、選挙期間中も雨続きだったなあ。うちは8俵、まずまず。バンザーイ
10月18日 『100人の母たち』刊行。放射能を逃れて避難した母と子を中心としたポートレート集だ。「こうした綺麗な形でいのちを脅かすものを告発するのは見たことがない。いい仕事だ」報道写真家・福島菊次郎さん。「見つめて下さい、何度となく、それぞれの彼女を、それぞれの子どもを。それでも、あなたは原発は必要だというのですか?」作家・落合恵子さん。福岡RKBテレビも同名のドキュメンタリーを制作。イイホンダ
12月29日  アイガモ解体。田んぼで一生懸命働いてくれたアイガモ君。イタダキマス


2013年も新刊目白押し。乞うご期待。
 
スタッフからのお便り
 

昨年11月、高校時代からの友人が入籍した。結婚式は2月9日。私はそこで友人代表のスピーチをする予定だ。ここ数週間、彼女との日々を振り返る毎日。思い出すのは、私が悩みを話すと、いつも「私も同じことで悩んでいるよ」と言ってくれたこと。私だけじゃないんだと思うと、なんだか安心して、前に進む力をもらっていたことに気がついた。
そんな彼女から発せられる幸せのオーラ。
少し分けてもらいながら、今年も頑張りたい。(坂元)

小社には、三種類のカルタがある。「鹿児島ことばあそびうたかるた」、「鹿児島ことわざカルタ」、昨年末にできた「奄美ことわざカルタ」で、我が家の愛用品となっている。なぜなら4歳の孫がカルタ遊びが大好きだからだ。
とにかく、取るのが速い! 大人が遊びのつもりで一緒に始めると、途中から真剣になる。その光景が面白く、笑いが広がる。また、2歳の孫だって好みの絵では負けてはいない。
方言で書かれたこのカルタに、違和感なく馴染んでいる孫たち。
大人たちは懐かしがって復唱する。老若男女、皆で楽しんだ今年のお正月。
良い年でありますように!(桑水流)

新しい年が明けた。
今年はいいことがありそうな?
昨年の10月、お陰様で夫婦揃って、元気に還暦を迎えることができました。お友達、兄妹、子どもたちそれぞれに祝ってもらい、本当にたくさんの人に支えられて、ここまでやって来ることができたのだと感謝の気持ちでいっぱいでした。
これからの人生、一歩一歩、しっかり前を向いて明るく、心豊かに精進して参りたいと思います。(藤)

昨年4月から、有機農家の方が主催する「畑の寺子屋」に通っている。自分で種を蒔き、育てた野菜のおいしさは格別だった。強く印象に残ったのは、旬のピーマンの甘さ。そして、土の偉大さ。ゆたかな大地を汚してはならないと切に思う。話は変わるが、知らない方から続けざまに、「すごくおいしそうに、ご飯を食べてますね」と声を掛けられた。顔の筋肉の記憶をたどると、自分の表情が想像できた。生きてるってうれしいことですね。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。(梅北)

蔵満逸司先生の、「鹿児島の歩き方 鹿児島市篇」の編集を担当させていただいた。編集作業は毎晩深夜まで及んだ。休日の度に、本文に紹介されているお店や施設を訪ね、場所や原稿との食い違いがないかを確認した。本ができて、新聞の読書欄の週間ベストセラーランキングに入った。書店さんからも追加注文が来る。いい原稿に携わることができて、本当にありがたかった。
本は、出版社だけで作るものじゃない。原稿を書いてくださる著者のみなさま。デザイナーさんや印刷会社さんや校正者さん。売ってくださる書店さん、取次さん。大切なお金を払って買ってくださる、読者のみなさま。誰が欠けても、一冊の本は世に出ることはない。本にかかわるすべての人たちの顔をはっきりとイメージして、一冊一冊に魂を込めて、本を作る。これまでもそうしてきたつもりだけど、これからは、もっとそうして生きていきたい。今年もよろしくお願いいたします。(鮫島)

年に数回、休日にイベントで本の販売をする。そこへ子ども2人を連れて参加するのだが、数年前はひたすら周りで遊んでいた小6の長男が、最近立派に販売の手伝いをしてくれる。本を手に取って見ているお客様に、すかさず「こんな本もありますよ」と声を掛ける。本の内容もよくわからないはずなのに、上手にすすめている。そして、買ってくださったお客様に満面の笑みで「ありがとうございます」と頭を下げる。
そんな子どもの姿に学んで、純粋な心と目で今年一年営業に励んでみようと思う。(江並)


新年のご挨拶


拝啓 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

 ここ数年、ずっと原発に振り回されてきましたが、昨年、ついに我慢ならず、不似合いな選挙に出馬してしまいました。7月8日投票の鹿児島県知事選挙です。
 現職に破れたものの、20万518人の方が反原発の意思を表してくれました。政治は汚らわしいものと距離を置いてきたのですが、現実に原発を動かしてきたのは紛れもなく選挙に当選した首長たちでした。
 立候補に当たって、多くの方に応援していただきました。ありがとうございました。
 気になるのは、雇用政策はどうするのか、としばしば質問されたことです。
 雇用、つまり雇われるということ。労働条件がどうあれ、時間を奪われ、自由を拘束されることに変わりはありません。企業は個人の意思などよりも利益を優先します。意志なき、自由なき労働は、言葉を変えるなら奴隷労働と大差ありません。
 本人たちは意図していなかったでしょうが、本来あるべき自由への希求を放棄した存在の弱さを見ざるを得ません。福島第一原発事故の悲惨な状況を目撃しながら、なお原発を容認している多くの人のありようとも、この弱さは通底しているように思います。
 一方では、若い力の炸裂した選挙でもありました。ネットで情報が飛び交い、動画も盛んにアップされていました。圧巻は、鹿児島中央駅前に2000人を集めたUAの野外コンサート。長く語り継がれるでしょう。未来を自分の手にしたいという、一群が鹿児島の地にも確かに存在したのです。去るべき年寄りは相手にせず、自分の未来を自分の手でつかみ取れ、とエールを送りましょう。

 南方新社も4月27日に19周年を迎えます。そして20年目に突入します。やっと大人になります。若者の本離れを嘆くばかりでなく、彼らの胸を震わせるような本を作り、本の世界に呼び込むことができるよう、気持ちを新たに仕事に打ち込みます。

 今年もよろしくお願い申し上げます。

2013年旧暦1月1日
図書出版南方新社
代表 向原祥隆


プロフィール

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南方新社
鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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