バチが当たった

 

 会社のすぐそばの七窪水源地の谷は、田んぼが連なり、脇を流れる小川にはきれいな水が流れ、5月には蛍が舞ってくれる。
 この谷沿いの小径は木々に覆われ、付近の住民はもとより少し離れた伊敷ニュータウンからも散歩をする人を見かける。
 谷の田んぼを借りていることもあって、毎朝この小径を通るようになって10年ほどになるだろうか。すっかりなじんでしまった。

 

 谷の入り口には、ふた抱えもあろうか、大きなタブノキが迎えてくれる。樹齢は100歳は下るまいという年寄りである。
 6月には、気の早いコクワガタが姿を見せ、夏も盛りになるとノコギリやヒラタ、カブトムシが樹液の食卓に集合する。スミナガシといった蝶もたまには顔を見せる。

 

 どこの子が仕掛けたのだろうか。クワガタやカブトを誘うバナナの罠を目にしたこともある。

 

 夏には決まって、幾千幾万という実を付けた。数知れぬ鳥たちや野の獣たちがお腹を満たしたことだろう。
 

 ある日のこと。この谷の入り口でゴザを敷いて神主が何やら祈っている場面に出くわした。一緒に拝んでいるのは工事関係者らしい。
 ん!?嫌な予感がした。
 翌日その谷を通って愕然とした。入り口の大タブが消えているではないか。ノコギリの跡も真新しい切り株だけが残っていた。さすがに100年木を伐るのは恐ろしく神主を呼んだということか。だが、伐られたのは木だけではなかった。

 

 

 

 道行く人には木陰を与えていた。どんな冷房の効いたおしゃれなカフェで涼むより、何百倍も気持ちよかったに違いない。子ども達には夏の思い出をくれていた。何万円もする高価なゲームなどより、ずっと興奮させてくれたはずだ。虫や獣、鳥たちには生命のもととなる食べ物をくれていた。それらを根こそぎ全部、奪い去ったのだ。

 

 この大バカ者め、プンプン。
 首謀者は見当がついた。この谷を「自然と触れ合う谷」として熱心に売り出し中の町内会長ではないか。

 

 出会った彼に聞くと案の定である。あんまり腹が立ったので、「木を伐ったら絶対バチが当たっど」「神主呼んだくらいで許してはくれん」「絶対バチが当たる」「絶対バチが当たる」「絶対バチが当たっど」・・・と10回ほど言ってやった。
 それから、顔を合わすたびに「まだバチは当たらんケ」と聞いていたら、2週間後「酷い腰痛になった」と返ってきた。ホラネ。やっぱりバチが当たっただろう。


奄美流人の研究

 

 出版社を長くやっていると、いろんな原稿が舞い込んでくる。
 特に大学の研究者というわけでもない、ごく普通の人が、舌を巻くような原稿をものにしたりする。いま取り掛かっているのは、『奄美流人の研究』(仮)という本だ。先祖が、どうも鹿児島本土からの流人らしいという奄美大島の出身の方が書き上げた。

 

 流人のことを調べたくて本を探したが、まとまったものはない。奄美各島の代官記、各家の古文書、郷土史や明治期に刊行された本に散発的に出てくる流人関係の記事を拾い集め、体系化しようという労作である。

 

 一体、何百冊の本を読破されただろうか。江戸期の文書は漢文、まるでお経だ。生半可な姿勢ではすぐに音を上げる。石にかじりつくように少しずつまとめられていったと想像できる。

 

 把握できた350人の流人のほとんどが武士である。
 一覧表を見ていたら、以前、南方新社にいた鮫島君と同じ名前の「鮫島某、淫乱の罪で遠島」が、目に飛び込んできた。よっぽど酷かったのかとおかしくなった。さすが、鮫島!

 

 目立つのは政治犯だ。来年のNHK大河の主人公、西郷ドンも二度遠島にあった。一度目は奄美大島、二度目は徳之島と沖永良部島。
 筆まめな西郷はいろんな手紙を残している。しかし、そこに見える西郷は、「敬天愛人」とはかけ離れた、偏狭な俗物でしかない。

 

 奄美大島に着島後30日、大久保利通宛ての手紙では、島の女性を「垢のけしょ(化粧)1寸ばかり(略)あらよう」とおどけて見せ、男性については「誠にけとう人(毛唐人)には困り入り候。矢張りハブ性にて、食い取ろうと申す念ばかり」と差別丸出しである。3カ月後には、龍郷は酷いところだからと場所替えを代官に願い出て、さらにその1カ月後にも大久保に対し、「このけとう人の交わり如何にも難儀至極、気持ちも悪しき」と嘆いている。

 

 二度目の徳之島では、「大島よりは余程夷の風盛ん」と、夷と毛唐を同義語として使い、徳之島の方が酷いと訴える。

 

 明治4年、政府重鎮の西郷は、大蔵省にばれないように士族救済のために奄美の黒糖専売(搾取)を継続せよと、県参事であった桂久武に指示した。
 そういえば、大島で愛加那との間に生まれた男の子は菊次郎だった。赦免後正妻との間に生まれる男子を思って次郎にしたとか。確かに、後で生まれた嫡子は寅太郎だ。

 

 西郷は、士族王国鹿児島の英雄である。だが、奄美から見た西郷は、また別の表情をもって立ち現れてくる。


海藻に毒がない理由・下

 

 前回の続きです。

 

 陸上の植物は、ほとんどの種が虫や動物に食べられないように毒をもっている。でも、同じ植物の海藻には毒がない。
 体に石灰質を蓄えてジャリジャリするものや、ごく一部に硫酸をもつものもいるが例外的だ。なぜ毒をもたないのか。

 

 大抵の海藻が一年のうちで2月から4月までが旬で、海辺に森のように繁茂する。だけど、5月から翌年の1月まではどこかに着床した胞子がゆっくり育っていて、肉眼ではどこにいるのかほとんど分からない。この生活史のせいだと思いついた。

 

 海の最大の捕食者は魚だが、一年のうちたった3カ月しか生えない海藻を食べる菜食主義を通そうとしたら、残りの9カ月は食べ物がないことになる。食べなければ死んでしまうのは人間も魚も一緒。プランクトンや自分より小さな魚やエビ・カニなら、年中ありつける。だから、魚たちは菜食ではなく肉食を選び、海藻は、わざわざ体に毒を蓄えなくてもいいようになったというわけ。

 

 もちろんどこの世界にも例外があって、春先の海藻が大好物のブダイなどもいる。種子島なんかでは、藻(モ)を食べるからモハミなんて名前を付けてもらったほど。その他の季節は、エビやカニ、小魚を食べる雑食性の魚なんですけどね。
 生き物の世界って不思議なことばかり。

 

 さて、いま日本中で一番注目されている生き物はヒアリではなかろうか。全米で毎年100人が刺されて死んだとか、死んでいないとか。火蟻と書くくらいだから、刺されたらさぞ痛かろう。スズメバチと同じくらい痛いとも聞いた。

 

 いま、日本中で発見が相次いでいる。女王アリも見つかったと報道された。世界的な生息域拡大の様相から、以前から日本に上陸するのも時間の問題とされていた。定着すると、人間も嫌だが、畜産業界は大打撃をこうむるという見方がある。

 

 じつは、南方新社では、7年前の2010年、「最悪外来種ヒアリとアカカミアリを日本で初めて詳細図解」と帯に謳った『アリの生態と分類』を刊行していた。ページをめくると、ヒアリのコーナーがある。働きアリ、雄アリ、女王アリまで登場する。いかにも凶暴な面構えだ。

 


 この本、いま全国から注文が相次いでいる。定価が4,500円+税と、けっこうな値段にもかかわらず、どんどん売れていく。
 大きな声では言えないが、ちょっとしたヒアリ景気だ。



プロフィール

南方新社

南方新社
鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

南方新社サイト

カテゴリ

最近の記事

アーカイブ

サイト内検索

others

mobile

qrcode