海藻に毒がない理由・上

 

 『海辺を食べる図鑑』の著者として、今度は鹿児島の青年団に呼ばれた。一般参加者を入れて80人と一緒に、海に行って獲物を食べようと、県青年団の事務局が企画したのだ。

 

 一昔前、田舎の子供たちなら誰でも、海や山に行って食べ物を獲っていた。今では田舎の青年団と言えど、海や山は遠くなっているらしい。

 

 でも、80人を収容できる海なんてあるのかい。小さな磯なら小さいビナ(巻貝)まで獲り尽してしまう。

 

 これが、あるんですね。80人はおろか、500人でも1000人でも遊ばせてくれる懐の深い海辺が。

 

 思いついたのは、出水の干拓地の外側に広がる干潟。狙いはマテガイ。鍬で砂を剥いで1cmくらいの巣穴を見つけ、塩を入れたらピュッと飛び出してくる。それを手で引っ張るだけだから、子供でも年寄りでも確実に獲れる。3月からの大潮の干潮ごとに、県内各地から2000人が干潟に繰り出す。それでも獲り尽されることはない。鹿児島に唯一残された素晴らしい干潟だ。運が良ければ、日本中から姿を消しつつあるハマグリ君にも出会える。

 

 

 

 かくして6月10日、大型バス2台を連ね出水に向かった。突然、講師役の私にバスの中で何か話せという。それも、阿久根の道の駅まで1時間ときた。まあ、いいや。
 野山や海の食べ物の獲り方を思いつくまま話すことにした。南方新社では、『野草を食べる』『食べる野草と薬草』を出している。近く『毒毒植物図鑑』も出す。こういう話は得意分野だから1時間でも、2時間でもOK。

 

 陸上の植物は、虫や動物に食べられないように、大抵その種特有の毒をもっている。だけど、その植物を食べる虫もいる。アゲハはミカン科、モンシロチョウはアブラナ科、ムラサキシジミはカシ類というように、幼虫は特定の食草の毒をクリアする術を身に着けてきた。私たちの食べる野菜は、毒を少なくしようと、人間が長い時間をかけて作り出してきたものだ。食べられる野草も、その毒(アクともいう)が、体重の大きい人間には問題のないレベルであるに過ぎない。要は、どの植物も、毒をもっているということ。

 

 海藻の話もした。ほぼ100%食べられるのだ。話しながら、疑問が一つ湧いた。何で同じ植物なのに海藻は毒をもたないの? うん、実に不思議。

 

 何故だと思う? でも、後日ひらめいたんですね。海藻の生活史のせいだと。大抵の海藻は2月から4月までが旬で海辺を覆う。やがて姿を消して、5月から翌1月までは、どこかに着床した胞子が、しみじみ暮らしている。と、ここまでで紙数が尽きた。続きは次回。みんなも考えてね。


ヒヨコが入った

 

 会社の庭のトリ小屋では、メンドリと烏骨鶏のオンドリの2羽の暮らしが続いていた。
 最初、採卵用に10羽を入れ、毎日エサ当番がその日の卵をもらえるという決まりを作っていた。若いうちはほぼ毎日卵を産むので、結構みんな当番を楽しみにしていた。

 

 そして時がたち、タヌキに襲われたり、客人が来るというので私たちに襲われたりして、初代のメンドリは1羽だけになっていた。しかも10年近くたつので卵は産まない。毎日エサをやるだけのペットになっていた。

 

 ヒヨコを入れよう!が、この春のスローガンだった。
 知り合いを尋ねまわって、やっとある農家にたどり着いた。
 薩摩鳥のオスと碁石のメスを掛け合わせた真っ黒な黒鳥だ。孵卵器で自家繁殖しているという。分けてもらったのは、産まれたては体温調整が難しいので、鳩くらいに成長したやつ。それでもピヨピヨと鳴いている。

 

 

 問題が一つだけある。オスかメスか分からないのだ。相当のプロじゃないと見分けられないらしい。運が悪けりゃ、全部オスだってありうる。実際うちに回ってきた烏骨鶏は、店で売っていた卵を孵化させたもので15羽中15羽全部オスだった。朝まだ暗いうちからコケコッコーの大合唱。うるさいので、もらってくれと頼み込まれたものだ。あと2カ月もすれば、トサカの具合でオスメスはっきりする。

 

 こうして大人2羽のトリ小屋に、新入りヒナ10羽が同居することになった。ところがすぐに事件が起きた。
 ヒナの1羽が大ケガをしたのだ。気の荒いメスが、えさ場に集まるヒナが気に食わないらしく、頭をつついて皮を破ったのだ。

 

 

 このままでは死んでしまう。消毒薬を塗って、トリ小屋の中にまた部屋を作って隔離してやった。犯人のメスは小屋から放り出した。
 長年住み慣れた小屋から追い出されて、さすがに反省したのかうなだれている。「もう、いじめたりしないから許しておくれ」と言ってるようだが、とにかく次の被害者が出たら困るのでそのままにしておいた。

 

 土日を挟んで月曜日、メスがいない。失踪か!タヌキにやられたか! 何日か後に真相がわかった。
 このところ屋根の修理に来ている兄ちゃんが持って行ったのだ。「卵を楽しみに飼っている」と言う。「もう産まないよ」と教えるとさすがにがっかりしていた。今では「飼っていたら煩悩がついてかわいい」と言う。うちにいるより良かったかも。

 

 頭に大ケガしたヒナも傷は塞がった。人間もトリも幸せがいい。


自然の営み

 

 4月、また自然の営みを実感する季節がやってきた。
 下田の会社に出社しても、玄関に入るまでに30分はかかる。庭や藪をぶらつかずにはいられないのだ。

 

 友人がトリ小屋の奥の茂みにハチの巣箱を置いた。セイヨウより一回り小さい二ホンミツバチの群れを呼び込もうという算段だ。今、群れの偵察隊が出たり入ったりしている。うまく入れば、秋には鳥肌が立つほどおいしい蜂蜜を食べさせてくれる。

 

 

 

 トリ小屋には卵を産まなくなっためんどり1羽とオスの烏骨鶏1羽がいる。若いヒナを入れなければ。

 

 トリ小屋の脇に生えているビワの木には、今年はたわわに実がついている。6月、熟すのが楽しみだ。

 

 去年ヘチマが10本ほどなった畑には、3月中旬にインゲンの種を蒔いた。芽が出ないのであきらめていたが、4月10日、やっと芽吹いてくれた。こいつも日に日に大きくなっている。6月、実をつけ始めるだろう。インゲンの周りに白い花を咲かせているのは、ウシハコベだ。よく見ると、葉の小さいコハコベもある。ちょっと離れるとミドリハコベもある。わずか2m四方に3種類のハコベがあるってどういうこと? 環境に適応して種は分化したはずだが、3種は、ほとんど同じ環境に棲むように見える。土、日照などに微妙な違いがあるのだろうか?
 

 12年前、下田の事務所に移ったその年に木市で買ったハッサクの苗6本。玄関脇に元気に育って冬には100個と言わず食べさせてくれた。いま若葉の間にしっかりした花芽が見える。あと2週間で花を咲かせ、虫を呼ぶ。

 

 そんなこんなであっという間に、30分、1時間が過ぎてしまう。足元の移り変わりと新しい発見。自然がもたらしてくれる喜びに勝るものがあるだろうか。

 

 屋久島から送られてきた「愚角庵だより」に、山尾三省さんの「高校入学式」と題する詩が掲載されていた。

 

  島は 山桜の花が 満開である
  教師たちよ
  この百十八名の新入生の魂を
  あなた達の「教育」の犠牲にするな
  「望まれる社会人」に育て上げるな
  破滅へと向かう文明社会の
  歯車ともリーダーともするな(略)

 

 娘の進学に合わせて書いた詩だという。いま、この喜びの季節にそぐわない核戦争の危機が忍び寄り、核の大惨事を自ら招く原発再稼働の動きが続く。昔も今も問われるべきは、もちろん教師たちだけでなく、政治家や、マスコミ、この出版業界、あらゆる職業、生き方なのだと、あらためて思う。



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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