出穂・カメムシ・ネオニコ

 

 毎朝、アイガモの餌やりに田んぼに通うのだが、今日、8月21日、稲の穂が出始めているのに気が付いた。出穂(しゅっすい)だ。田んぼ作りでホッとする瞬間である。

 1反5畝、一斉に穂が出るわけではない。谷間の田んぼだから日当たりが悪い。中でも一番日照時間が多い西側の一画にだけ穂が見える。よく見るとかわいい雄しべを風に揺らしている。

 


 穂の上には、出穂を今か今かと待ち構えていたカメムシが陣取っていた。カメムシは受粉して米粒が膨らみ始めたら、ミルクのような汁を吸う。そうすると、米粒に黒い傷ができてしまう。普通の農家はカメムシを嫌って、この出穂の時期にネオニコ(ネオニコチノイド)の農薬を撒く。


 といっても、カメムシが吸えるのは大量にできる米粒の1、2%に過ぎない。1、2%なら、どうってことはないようだが、米の等級に差が出てしまう。農家は、収入に直結するから撒かないわけにはいかないとくる。

 

 このネオニコ、ミツバチの大量死の原因だと、ヨーロッパでは禁止されているが、日本ではガンガン撒かれている。
 そういえば、鹿児島の蜂飼いたちも、二ホンミツバチがずいぶん減ったと嘆いていた。ミツバチは花の蜜を吸うだけでなく、稲の花粉も幼虫の餌として集める。農薬入りの花粉を食べさせられたミツバチの子供はたまったもんじゃない。イチコロだ。

 

 「おいらは蜂蜜なんか好きじゃないし」なんて言っている場合じゃない。受粉するミツバチがいなくなれば、キュウリもスイカも、ナス、オクラにトマト、これからミカンの季節だ、あらゆる実のなる野菜や果物ができなくなる。野山の草や木も子孫を残せない。こりゃ大変!なことなのだ。


 以前、グリーンピースが、米の等級制度の見直しを訴える署名を集めていた。そりゃそうだ。自然を壊す農薬を使う代わりに、黒い傷米が1、2%混じっていても、文句を言う人はいまい。でも、農薬会社の政治工作もぬかりがないのか、禁止される気配はない。

 ともあれ、あと1週間もすれば、広い田んぼ中に稲穂が出そろうだろう。カメムシたちも大喜びだ。

 

 でも、うちのアイガモたちも黙っちゃいない。朝から晩まで、稲の根元を嘴でつついている。稲の葉や穂についている虫は、揺らされて水面に落ちる。カモたちの御馳走だ。

 

 

 今日、稲穂の上で見かけたカメムシは、カモの魔の手を逃れた貴重な生き残りなのだ。
 カメムシ君、お疲れ様。美味しいミルクがもうじきタンとできるよ。いっぱい吸っておくれ。

 


なんと週休5日制

 

 明治維新150年だの、西郷どんだの耳にするたびに、当時の鹿児島の民衆、とりわけ大多数を占めていた農民たちの暮らしや意識が気にかかる。

 

 私の姓は向原である。今でも、実家の吉利では、何百年も続いてきたであろう「うっがんさあ祭り(内神様祭り)」を毎年11月にやっている。向原、上原、冨ケ原、上内、下内という5つの姓の代表が集まり、神様を崇める。

 

 神様といってもただの石ころ3つなのだが、信心は鰯の頭ならぬ石ころをも神にする。左結のしめ縄とともに、毎年、神様の台座3つをワラで結って作る。まるで鳥の巣みたいだから、皆「といのす」と呼ぶ。けっこう面倒で、いつの間にか私が「といのす」作りの唯一の伝承者になってしまった。

 

 祭りには神主を呼ぶのだが、その祝詞の中に「向原門(かど)の向原祥隆」という文言が入る。「向原門(かど)」。まぎれもなく、鹿児島独特の江戸期の農民支配の仕組み「門割制度」の名残だ。「門」とは、農民たちが怠けないように作られた、5人組のような単位のこと。門ごとに、年貢を幾らと割り当てていた。

 

 この年貢がハンパではない。「八公二民」、収穫の八割を年貢として持って行かれた。

 吉利の殿様小松家の屋敷とその周辺の麓集落から、遠い向こうの原っぱ「向原門」を、我が先祖は割り当てられた。その下に「上原」、そのまた下のちょっと豊かな「冨ケ原」、そして「上内」「下内」という門が続いた。

 

 明治になって姓を付けるとき、鹿児島の農民たちは、たいてい門の名を姓にした。例の三反園氏、どう見ても門の名ですね。

 明治になって四民平等だ、やれやれ、年貢とはおさらばじゃ、とならなかったのが我が鹿児島。他県の武士があっという間に没落していったのに対し、鹿児島の田舎の武士、郷士たちは土地を持っていたおかげで権力関係を維持し、それは敗戦まで続いた。農民にとってみれば年貢が小作の上納に変わったに過ぎない。

 

 戦後は高度成長期という出稼ぎと集団就職の時代を迎え、過疎・廃村の今に繋がって行く。
 何百年昔と同様、土間に座り込んで今も「といのす」を作っているのだが、よくもまあ「八公二民」の年貢で生きてこられたものだと思う。

 

 ここで気が付くのは、それほど税金で持って行かれることのない今なら、5日のうち1日だけ働いて、年貢の分4日遊んでも生きられるということ。それほど豊かな大地なのだ。


 週に2日も働けば十分。

 逆に言えば週休5日制が成り立つのが鹿児島の田舎なのである。

 

 

 

 


島に棲む

 

 先日、出版社から直接「中央公論7月号」が送られてきた。
 うちの本の紹介でもしてくれたのかな、とめくっていたら、ありました。「この科学本が面白い」というコーナーに、出したばかりの『島に棲む―口永良部島、火の島・水の島―』の書評が載っていたのです。評者は山極寿一氏。

 

 科学本かどうかは別にして、この本は文句なしに「面白い」。生きるということは、なんて彩り豊かで、心躍らせるものなんだと再認識させてくれる。私が多言を弄するより、山極氏の唸るような文章を下に引用する。

 

 「(略)貴船庄二さんと裕子さん夫妻は団塊の世代である。東京の武蔵野美術大学で知り合い、学生結婚した。一九六〇年代の終わり、東京には高度経済成長期の社会を問い直す嵐が吹き荒れていた。多くの日本人が歩もうとする道を拒絶し、貴船さんは生の暮らしを模索する。汲み取り作業員、焼き芋屋、サンドイッチマンなど、あらゆる職業を転々とするうちに長女と長男が生まれ、家族で住むのに適した土地を求めて日本列島を渡り歩いたあげく、口永良部島にたどり着く。(略)

 

 口永良部島はそうした工事漬けの影響をあまり受けなかった代わりに、何でも自分で作り出さなければならなかった。山で竹を切って海岸の砂で磨き、乾かして釣竿を作る。餌は海岸の岩場にごまんといるフナムシだ。それでオウムのような口をしたブダイが面白いように釣れる。イカを釣るには、浮力が強く光を反射する木を選んで餌木を作る。ヘミングウェイの『老人と海』に登場するようなオジイとイカ釣りを競う話は圧巻だ。

 

 やがて、貴船さんは廃校に残された材木を使って自らユースホステル(後に民宿として開業)を建てる。資金はない。土地を借り、材料を集め、人を募り、何年もかけて作り上げる過程は、家を建てるというのは本来こういうものなのだということを教えてくれる。
隣人とは何と愛おしく、そして厄介なものであることか。わずか百数十人の無医村で、荒ぶる自然と付き合いながら子どもを産み、育てていく暮らし。そこには私たち研究者が見逃している自然へのまなざしがある。屋根を吹き飛ばす台風の襲来、高波による難破、火山の噴火、島の老人に訪れる死、思わず息を吞むような緊張感と解放感が伝わって来る。(略)」

 

 貴船庄二さんは、本が出来上がった直後に逝去された。フナムシを餌に、リールを使わず、竿と糸と針だけのハジキ釣りに連れて行ってもらいたかったが、もう叶わない。だが、私にとっての勇者の記録は残った。

 

  

 



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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