ヒエ田んぼ


 7月10日、知事選の投票日。去年の投票日も田んぼにいたなあと思いながら、この日も田んぼの草取りに精を出していた。
 自分の田んぼじゃない。83歳のばあちゃんがやっている3枚上の田んぼだ。83とくれば、経験豊か。だけど、その経験があだになって、今年はひどいありさま。ヒエが一面芝生のように生い茂っているではないか。


 アイガモで米を作るとき、田植え後の最初の1週間が何より大事だ。
 カモに期待する最大の働きは除草だ。生えた草を食ってくれるというわけではない。カモが泥をかき混ぜながら泳ぎ回って、ヒエが生えないようにしてくれるのだ。

 

 だが、田植え後にすぐカモを放すわけにはいかない。根付いていなければ、苗は浮き上がってしまう。ちゃんと根付くまでの1週間、その間に田んぼの水が少なく、土が露出でもすれば、ヒエが一斉に芽吹いてしまう。
 田植えの後、何度か「ばあちゃん、土が見えてるよー」と電話で連絡していたのだが、その度に、「天気予報で雨が降るから放っておくよー」だった。

 

 それも理由があった。水が多すぎると、田植えすぐの小さい苗は水没する。水没したままだと苗が腐ってしまう。畦が壊れるのも怖いときた。
 結果、案の定、ヒエ田んぼだ。「ほうら、言ったこっちゃない」と悪態をついたが後の祭り。

 

 稲刈りのときに世話になる橋口さんに連絡すると、「ヒエはコンバインに負担がかかるんだよねえ。困ったねえ」とくる。

 

 なにせ83歳、このところめっきり足が弱くなって杖を突いている。これじゃ田んぼの草取りどころじゃない。バッタリ田んぼの中で倒れたら、起き上がれないかもしれない。
 ヒエも、子供のうちの今が勝負。「やれやれ」と呟きながら、ばあちゃん田んぼに入ったという次第。

 

 はじめは、丁寧に手で取って泥に埋め込んでいたが、1時間で3列しかできない。中腰の姿勢は、昔、中学の部活のしごきでやらされたスクワットと同じだ。太ももの裏がヒクヒクいいはじめている。こりゃあダメだ、というわけで、足で踏みつける作戦に転じた。ヒエを足で踏んづけて、泥の中に埋め込んでいくわけだ。往復2回も歩けば、かなりきれいになる。
 端から順にやるのもつまらない。気の向くまま、あっちを歩き、こっちを歩き、とにかく歩き回ること4時間。シトシト降っていた雨が土砂降りになってきた。終了。

 

 ばあちゃん曰く、「来年は無理かもねえ」。この谷で田んぼやってるのは、私を除いてみんな70代、80代だ。

 


モグラ戦記

 
 6月19日、田植えが終わった次の日曜日。この日はわが田んぼの合鴨君のための網張の日と決めていた。合鴨君が逃走しないように、田んぼの周囲をぐるっと網で囲うわけだ。
 平日は仕事が山と溜まっているから、呑気に田んぼに行くわけにはいかない。スタッフにばれたら、「仕事もせんで」と冷たい視線を投げられる。

 

 雨天決行。だが、早朝から大雨。おまけにゴロゴロ雷も鳴っている。カーボン製の支柱は雷を呼びやすいとビビったが、田んぼは谷間にある。まあ大丈夫だろう。というわけで、9時過ぎに田んぼに到着。


 日置や長島で時間80ミリを記録した大雨だ。溢れているんじゃないかと心配したが、パッと見る限り無事だ。排水口を除くと勢いよく水が流れていた。でも、ちょっと腑に落ちない。これだけ? ひょっとすると、と心配になって畦を細かく踏み続けている内にズボッ。空洞だ。露わになった洞に水がガンガン噴き出ている。やはり、水の出口は排水口だけではなかった。

 

 田んぼの水位が上がって、モグラの穴から入った水がどんどん土を洗いながら畦の反対側に流れ出ていた。穴の入り口は無事で、出口側から土が流れ出て空洞になっている。ほう、こうして崩れるのね、なんて感心している場合じゃない。


 慌てて、会社の隣の町内会長さんに助けを求めた。
 「土嚢袋、いくつか下さいな」
 モグラ穴の入り口を足で踏み固めて水を止めた後、空洞に土嚢を積む。よろよろしながら運んだ土嚢は8袋にもなった。
 あと、1時間発見が遅れていたら畦は決壊し、田んぼはむちゃくちゃになっていたに違いない。ほーっ。


 もう一つ幸運が重なった。用水路から水が来ていなかったのだ。ずっと上流で土砂崩れがあり、おかげで、こっちの田んぼへの水の取り入れ口が土砂で埋まり塞がっていた。
 大雨とともに用水路からも水が来ていたら、田んぼは溢れていたに違いない。越水も畦崩壊の呼び水になる。全く運がよかった。


 こうして午前中は畦の修理にすっかり時間をとられ、午後から網張と相成った。
 ここで、問題がまた一つ。上の田んぼの崖から、水が噴き出ているのを発見。またまた慌てて上の田んぼのモグラ穴を潰し、排水口の水の出を最大にした。


 モグラは生きるために懸命に穴を掘り、人間も生きるためにこれまた懸命に穴を潰して回る。この営みは、ずっと昔から続いてきたし、これからも続くんだね。

 

  

 

 


たい肥2トン


 5月に入ると、田んぼの周りが急に生き生きとしてくる。
 先日は会社への道すがら、軽トラが何台も連なって停まっていた。年寄りたちが、何やらしている。用水路の点検を兼ねた草刈りだ。
 オー、田植えの季節がやってきた。

 1反5畝のわが合鴨の田んぼには、2トンのたい肥を撒いた。と書けば、わずか1行だが、軽トラにズシンとくる山盛りのたい肥を積んだまま、田んぼに入るのは勇気がいる。
 何日か晴天が続いて乾いたように見えても、完全には乾ききっていない。去年は、案の定はまってしまい、通りがかりの年寄りに腰も折れよというほど押してもらって助かった。
 通りがかりのもう一人は、こりゃダメだとさっさと見切りをつけて、牽引するためのトラクターを手配してくれた。緊急出動のトラクターが到着する前に脱出できたので、途中で引き返してもらったが、格好悪いことこの上なかった。

 去年の轍は踏むまい! ゆらゆら揺れながら田んぼの奥まで進み、半分くらい撒いたところで動かそうとした。空回りだ! まずい。すぐにエンジン停止。安全策を取って、荷台を空にすることにした。
 軽トラ周辺にたい肥を撒き散らせば短時間に終わるのだが、離れたところまでシャベルに乗せたまま運んで行って撒くのは、たいそう手間がかかる。何とか1回目が終わって、たい肥積みに戻ったら、橋口さんがバックの方が動きやすいと教えてくれた。

 そうか、やってみよう。
 2回目は、3分の1撒いたところで、ちょっとバックしてギアを切り替えて前に進む。わだちができているから、バックも前進もやりやすいのだ。その勢いでもっと前へ。おっ、今度は大丈夫。この要領だ。
 というわけで、2日目、3回目、4回目と、はまることなく撒き終わった。だが2トンだ。利き腕の左腕と左肩、左側の背中がくたびれ果てた。3時から始めたのだが、汗みどろになって終わったのは、日も暮れようとする7時前だった。

 そのころになると、脇の農道に見慣れない家族連れの車が1台、また1台と通りかかる。
 そうなんです。この七窪の谷は、知る人ぞ知る蛍の名所なんです。世話好きの町内会長さんが、谷に誘導する案内板を立て、休耕地を駐車場に仕立て上げている。

 実は何年か前、この谷を何とか売り出そうと考えたこの会長さん、市に掛け合って道路改修させたおかげで全滅の危機に立ち至った、あの蛍だ。何とか回復してくれたようだ。よかった。


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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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