ご苦労様。柳田国男さん

 

 最近、人に会ったとき「決まりごとを破るのが大好き」と自己紹介することにしている。ある愛すべき反原発の年寄りと飲んだ席で、「決まりごとを破る」話で大いに盛り上がったのがきっかけだ。
 だがこれも、相手を選ばなければならない。ポカンとされるのはまだしも、さも胡散臭げな眼で見られるようになる。あわてて、「車が一台も通らない深夜の赤信号で、緑になるまでずっと待ち続ける人はいませんよね?」なんて付け加えても、遵法精神旺盛な人には通用しない。まあいいや。嫌われてもそれだけのこと。

 

 本作りにも似たようなところがあって、誰も信じて疑わなかったことを、ゴロリとひっくり返すような本が出せれば快感だ。最近では『奄美・沖縄諸島 先史学の最前線』がそれだ。

 


 奄美・沖縄では、実のところ長く何を食べてきたかは分かっていなかった。数ある遺跡で巻貝の殻、猪や黒兎の骨、ドングリ類が見つかっているから、それを食べてきたことは分かる。だが、栽培植物、とりわけ穀物がいつから入って来たかは謎のままだった。

 米などの穀物の粒は小さくて、炭化しているから簡単に潰れてしまう。だから、いつから穀類の栽培が始まったかは想像するしかなかった。

 

 柳田国男は、亡くなる前年、1961年に、研究成果の総まとめとして、『海上の道』を著した。そこで彼は、弥生以前、縄文の頃、はるか南から沖縄・奄美を経て日本に「米」が伝わってきたという説を、満を持して打ち出した。この説は、今でも、「そうかもね」と一般には理解されている。


 だが、ここ最近のこと、フローテーション法という新しい技術が使われるようになった。遺跡の土を水に入れ、浮いた植物遺体を顕微鏡で一つひとつ見ていくというもの。
 時代の特定された奄美・沖縄の何十という遺跡を、このフローテーション法で見たところ、日本の平安時代に当たる時期まで、一切の穀物は検出されなかった。日本の鎌倉期以降になって、ようやく大麦、小麦、稲、粟が姿を見せたのである。

 

 つまり、柳田国男の「海上の道」は完全に否定されてしまったわけだ。

 それどころか、何千年もの間、奄美・沖縄では、狩猟採集生活が続けられてきたことが証明されたのだ。

 

 これは、世界的に見ても大陸から遠く離れた島で確認された唯一の例だという。狩猟採集が遅れているというわけではない。わざわざ作らずとも、食べ物は十分獲れたということだ。


 鹿児島大学島嶼研の高宮広土氏の編になるものだが、歴史を塗り替える痛快な一冊である。

 


蜂が入った

 

 いい天気が続いている。まさに春の陽気だ。


 私の1反5畝の田んぼはレンゲが満開である。田んぼに続く谷の小道には、ウマノアシガタの黄色い花が咲き乱れ、林の縁には、マルバウツギやハクサンボクが白い小花の塊をいくつもいくつも見せている。
 日陰にはムラサキケマンの花も見える。おっと、こいつは毒草だ。先日花をつけていない柔らかそうな若葉を、セリと間違えそうになった。くわばら、くわばら。

 

 会社の庭には、この下田に移転した13年前に木市で買って植えた八朔が、白い花芽をいっぱいつけている。かなり膨らんでいるから、あと1週間もすれば花盛りだ。
 5月になれば、トリ小屋にヒヨコが入る。去年5月に知り合いの農家から分けてもらった黒ドリは、心配していた通り10羽のうち8羽がオスというさんざんな結果だった。オスは全部食べ尽くし、やっと卵を産むようになった残る2羽のメスもタヌキに持って行かれた。今は無人状態だ。

 

 昨年の内に、下田農協にオス2羽、メス10羽を注文しておいた。こちらはヒヨコの鑑定士が見るからハズレはない。
 ヒヨコが入るのが楽しみでならない。と、トリ小屋の点検がてら、その奥の林の中に置いていた蜂の巣箱を覗いてみた。なんとニホンミツバチが入っているではないか。100匹以上がブンブンしている。やったー。偵察の蜂ではなく、女王蜂を含む群れ本隊がしっかり居を定めてくれたようだ。

 

 昨年は、せっかく入ってくれた群れが、夏前に逃げてしまった。林の向こう側にある空き地で、おっさんが草を燃やしていた。運悪くその煙が巣箱の方に流れてきたのだろう。蜂は極端に煙を嫌う。

 以前、何も知らずに巣箱の近くでバーベキューをしてしまった。その翌日に蜂は集団で脱走した。

 

 発見したその日、風が強くなったけど大丈夫か、日が雲に隠れてしまったけどまだいるかい、夕方になって気温が下がった、日が暮れかけた、とほぼ1時間おきに覗きに行った。今でも、2、3時間おきに見に行っている。無地に居ついてくれ。

 

 人の世はそれぞれに欲があり、思惑があって、いろいろ面倒なことが多い。時には思いもかけない裏切りや恐ろしい仕打ちに晒されることもある。ダメージは尾を引く。

 だけど自然の世界は、突然蜂が逃げたり、木の実が成らなかったりと、がっかりすることはあるけれど、それだけだ。春だ、穏やかな光を浴びて、さあ野に山に出かけよう。

 


言うのをやめる

 

 昨年秋のことだったか、高校の同窓会があった。終わってから、気の合う4人で2次会に行った。

 

 ふとしたことで、北朝鮮の話になった。一人が、どうしようもない狂った国だから戦争してやっつけなくてはならないと言い始めた。中国も、やっつけろと言う。黙っていられなくて、戦争でひどい目にあうのは、北朝鮮や中国の一般庶民、そしてあんたの子供や孫、親戚を含む日本の一般庶民だ、と反論した。

 

 ところが、残る二人も戦争推進論に味方した。3対1だ。最初は中立を保っていたママさんも敵方に加わり、4対1になってしまった。持ち時間も4対1になるからどうにもならない。結局、こちらから言うのをやめて話題を変えた。後味が悪いのなんの。


 アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の北朝鮮分析サイトが、米朝戦争で東京が核攻撃を受けたら200万人死ぬと発表した。技術の劣る北朝鮮のミサイルが川内原発に当たるはずはないと楽観する人もいる。だが、核兵器は上空600〜1000メートルで炸裂し、半径数キロないし十数キロを一瞬にして破壊する。ということは、原子炉を直撃せずとも数キロ〜十数キロの誤差で、楽々と原発を爆発できるのだ。中国の軍事予算は、来年度も日本の3.5倍と決定している。

 

 こう書いたが、勝ち負けの話ではない。双方ともに膨大な死者が出ることを先ず想定すべきだと言いたいのだ。

 

 昭和8年、太平洋戦争突入直前、『関東防空大演習を嗤う』と書いたのは、信濃毎日新聞主筆、桐生悠々氏である。
 「国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。……従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。……如何に冷静なれ、沈着なれと言い聞かせても、……逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く、……そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ」

 

 起こるべき未来図をこうもはっきり書く新聞は、今では見られない。

 

 そういえば、毎年、数千人を動員し、何億円もの費用をかけて、川内原発の防災訓練(避難訓練)が実施されている。何の役にも立たないと、多くの人が見抜いているのに、新聞・テレビで、そう報道されることはない。

 

 これじゃ、まるで裸の王様だ。笑うほかないことは、大声で笑えばいいのにね。『川内原発防災訓練を嗤う』の記事、出ませんかね。

 



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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