新年のご挨拶



拝啓 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

 福島第一原発事故の影響なのでしょうか、昨年は小社の原発関連の本を中心に、堅めの本がよく出たように思われます。全国的にも、本離れが顕著だった若年層が、本に戻ってきたと言われました。信用できない国やマスコミを目の当たりにして、何も頼らず自分で自分の道を拓いていくほかないと、やっと気づいたのでしょう。
 10年ほど前、台湾、韓国を訪れたとき、大学周辺の本屋に若者が溢れているのを見て、愕然としたものです。閑古鳥の鳴く日本の大学生協の書籍コーナーとのあまりの落差。とうの昔に日本の大学は学問の府などではなくなり、知的レベル(考える力)も台湾や韓国よりはるかに劣っていたのだと思います。原発爆発を招いた一因がここにもありそうです。
 
 「福島から放出された放射能は100万人を死に至らしめる」という英アルスター大学クリストファー・バズビー教授の予測を、英紙インディペンデント電子版が昨年8月に報道しました。桁違いの悲劇がこれから訪れます。かつて、奄美諸島徳之島に核燃料再処理工場の計画が浮上したとき、徳之島の住民は次のような宣言文を採択しました。

 こういう怪物をなぜ私たちの奄美に、徳之島に持ち込もうとするのか。私たち徳之島の住民を、無知蒙昧な未開の民と考えているのか。はたまた、父祖伝来のかけがえない土地を、海を、空を、金と引き換えるような拝金亡者の集まりと考えているのか。あるいはまた、権力による脅しやすかしに難なく参ってしまう、臆病者の集まりと考えているのか。私たち徳之島町民の中には、このような者は一人もいないことを、憤りを込めて表明する。(1977年2月)
 
 私たちも、いやが上にも結束を固め、聖なる鹿児島の地から川内原発廃炉に向けて立ち上がり、粘り強い闘いを開始するときを迎えました。
 
 今年もよろしくお願い申し上げます。


図書出版南方新社
代表 向原祥隆

2011.7.19〜2011.12.20

 2011.12.20 ヤマイモを食べる

 このところ、仕事がはかどらない。やらねばならない仕事を書きだすと、すぐに20項目位になる。
 簡単なものから片付けるから大物がデーンと立ち塞がる。1000頁の超大物、『奄美諸島の諺辞典(仮)』の校正紙は本当に頭が痛い。
 1時間で10頁進むのがやっとだから100時間は必要だ。1日2時間とったとして、たっぷり50日もかかる。完全なフン詰まり状態だ。夏前に出す予定を年末にずらしたが、とっくに年末になってしまった。それでもゴールは見えない。学校などから予約注文をもらっているから、年度内には出さないとまずい。
 土日も会社に向かう。日曜日の朝、いつものように稲刈りの終わった田んぼの脇をトコトコとバイクで出勤していたら名文句が浮かんだ。
 「毎日が日曜日」である。何のことはない。日曜日にも出勤しているから毎日が日曜日なのだ。最近では仕事にストレスを感じることもなくなった。もっとも、私が社長なのだから「会社に行きたくない病」になんかなったら、会社は消えてしまう。
 それでも、奄美の諺の数々には癒される。「待てぃば大魚(ふうゆ)」は、釣り好きな私をしばしの恍惚に誘ってくれる。
 「冬ナベラや嫁んじ食(か)ますぃ、冬タナガや娘んじ食(か)ますぃ」(冬の硬いヘチマは嫁に食わせ、冬の身の詰まった美味しいタナガ<テナガエビ=ダンマ>はわが娘に食わせてやろう)は、嫁いびりの比喩なのだが、そこらの川でたんと捕れるダンマエビが一番美味しいのは冬だと教えてくれる。
 「いざ、エビ捕りへ!」。仕事をしている場合ではない。何もかも放り投げて行きたくなる。
 自然の恵みということでは、今年ほどヤマイモ(自然薯)を食べたことはない。いつも落ちているムカゴはポリポリ食べるのだが、1カ月ほど会社にいた居候氏が、会社の裏山に自生するヤマイモを片っ端から掘り上げたのである。大体1メートルは掘る。そしてゲットした曲がりくねったヤマイモを、タワシで洗って皮のまま摺り下ろす。
 その粘りたるやすごい。ご飯にかければ最高だ。昔から滋養、強壮、強精の妙薬としても名高い。「女性は肌の潤いで、男性は朝になったら効果が分かる」とは、どこかで聞いたような宣伝文句だが、とにかくお試しあれ。
 というわけで、早速、ヤマイモの蔓の見分け方から、掘り方、料理法、はたまた栄養分から薬効まで、ヤマイモの全てを解説した『ヤマイモを食べる』を作ることになった。来夏刊行だ。

 2011.11.21 収穫2題

 この一カ月、本は作らんといかん、原発では福岡集会、天文館で街頭署名もやった、来年3.11鹿児島集会の準備も始まった、畑もある。なんだか慌ただしかった中で、今回は、ちょっとほっこり収穫2題。
 1020日。この日は借りている田んぼの稲刈りだ。と言っても私がすることはほとんど何もない。この日までにすることは少しあった。
 合鴨が逃げないように田んぼの周りを囲っているネットを片づけておくこと、カラス除けの糸を巻き取っておくこと、それに機械の苦手な田んぼの四隅、2m×4mの稲を手で刈っておくことであった。
 することがなくても、何だかうきうきしてしまうのが稲刈りというもの。数年前、会社近くの田んぼの光景を思い出した。何にもしなくていいはずなのに、年寄り夫婦が立派ないでたちで、ただ機械が刈り取っていくのを、にこにこしながら眺めていたのだ。
 ドドドドッとコンバインが刈っていく。8畝ほどの田んぼがものの1時間もかけずにきれいに刈られていった。台風で倒伏した稲は機械で刈れない。食べられそうな分は手で刈っておけば少しは稼げたかもしれないが、これは来年の課題。もとい。大事なことは倒伏しない稲作り。
 田植えから3週間目位に一度田んぼに入れば、ヒエの生え方がまるで違うという。来年はちゃんと草を取ろう。
 収量は平均的な田んぼの6〜7割だろうか、胸を張れるものではなかった。それでも、数日後に乾燥済みの米7.5俵(225キロ)を手にすることができたとき、生温かい籾の感触が何とも言えなかった。フッフッフッフー。
 11月8日、吉利の実家に暮らす母親が、入れ歯の調子が良くないという。鹿児島の歯医者に連れて行ったのだが、畑の時間が確保できた。
 昨年も一昨年も、植えたカライモを年内に収穫しきれず、かなりの部分を年明けまで放っておいてしまった。案の定、掘ってみると、霜にやられて全滅。腐っていたのだ。
 今年は、何とか霜の降りる前の11月に掘りきることができた。
 1mの畝に2列に植えていた。端っこからイモの蔓を目当てにクワを入れる。すると、土の湿気に濡れた、真っ赤なベニアズマが顔を見せる。オー美しい。何とも言えない瞬間である。
 掘ったイモは、後からまとめて袋に入れやすいように何カ所かにまとめて置いておくのだが、袋に入れるころには真っ赤な顔も乾いていて、ただの汚れたイモになっていた。
 2時間で20キロ。苗を植えたっきりで何もしなかった割には上出来だ。すごいなあ、カライモ。


 2011.10.17 食べる地魚図鑑

 「何かあったな」。自然に言葉が出た。10月11日、3連休明けの火曜日、毎朝チェックする本の注文メールにかすかな兆候が感じられた。
 注文件数は20件余りだから、3日分としてもちょっと多目だ。しかも、注文の本に『食べる地魚図鑑』が8件と目立つ。地域は東京4件、横浜2件、埼玉1件、石川からも1件あった。その他の注文本はバラバラである。この形は、『食べる地魚図鑑』が広域に紹介されたということを示していた。
 この本の著者は鹿児島大学水産学部の大富教授。店先に並ぶ魚はもちろん、漁師や釣り人だけが知っている魚も合わせて、合計550種を掲載した。巻頭には魚料理の基本、さばき方から、刺身、茹で、煮、焼き、揚げまで丁寧に手ほどきしている。
 全ての魚について、6段階の入手の容易度、5段階の味のランクも付いている。
 また、本書に登場する魚は、実際に著者が全て味見した。掲載した料理の写真数は約1500枚。本書の制作にかかった期間は3年、3年で1500種類というと、なんと1日平均1.5種類の魚料理を著者は食べたことになる。
 その日の昼過ぎ、著者の大富教授から興奮気味のメールが入った。
 「yahooニュースの経済トップニュースの一つとして掲載されていました。そのせいで(?)Amazonランキングで一時43位,現在も40番台にあり、ヒット商品(急激に売り上げが増した本)のぶっちぎり国内第1位となっています」
 yahooニュースを確認すると、「ヒトデはカニみその味、魚1500品食べた教授」とタイトルにある。さすがに上手だ!
 この時全容が確認できた。読売新聞が全国版で紹介し、それをyahooニュースが転載したというわけだ。
 記事を見て今度は、FM東京からこの本を紹介したいという連絡が入った。こちらも全国ネットだ。
 広告宣伝費を予算化できない田舎出版社にとって、こうしてタダで紹介してくれる記事や番組はありがたい。いつだったか、『世界の果てまでイッテQ』というテレビ番組で、目玉の大きいタレントのベッキーが、無人島体験にうちの『野草を食べる』を持参してくれた。あの時と同じくらい期待してしまう。
 先週は、500冊ほど注文が舞い込んだ。今週も同じくらい出ていく気配だ。本当にいい本なら、買ってくれた人が、別な人に紹介してくれる。売れた分だけ、また口コミで広がっていくことになる。その、好循環に乗れるかどうか。ここ一月がポイントだ。

 2011.9.20 アイガモ農家

 これまで内緒にしてきたが、実は今年アイガモ農家をやっている。
 田んぼを2枚持っている年寄りのおばちゃんの代わりに、2枚分の畔の草刈りとカモのネット張りをすることと引き換えに、1枚の田んぼの米をいただくという条件である。
 面倒な田のこしらえや田植えは、橋口さんにブーンと機械でやってもらう。稲刈りも機械でやってもらう算段だ。
 こりゃ楽チンな田んぼ作りだなと思っていたのが大間違い。誤算はカモを田に放った、その翌日に起きた。1反だから15羽入れたカモが、翌日は14羽、その次の日は13羽になっていた。あれれ、数え間違いだろうか。そう思っていたら、なんと3日目には6羽に減った。
 大慌てで橋口さんに連絡したらカラスだという。鳥よけの黄色い糸を田の上に縦横に張っていたのだが、頭の良いカラスには黄色ではダメとのこと。見えないテグスを急きょもらって追加で張ったらバッチリ。以後カモが誘拐されることはなかった。
 しかし、1反に6羽はいかにも負担が大きすぎた。休むことなく泳ぎ回っていたようだが、カモによる除草は追い付かず、あれよあれよという間にイネの大敵ヒエが生えはじめたのである。
 真夏の草取りほどつらいものはない。朝の6時から始めても、9時にもなれば陽の光が背中を焼きつける。このころが限界である。実家の田んぼでつらさを知っているだけに、やる気になれない。
 そうだ、人海戦術だ。「無農薬アイガモ米1俵!」。声をかけたらたちまち5人が集まった。
 6時集合の予定がバラバラ来て7時スタートになったのはまだいい。問題はイネとヒエの区別がつかないことであった。ほとんど同じ色形。違いは節に短い毛があるかないかだけなのだ。やれやれ、ちっとも進まない。
 そのうち、女性の一人がゲロゲロ吐き始めた。どうも慣れない仕事のせいで、熱中症になったようだ。日陰で休憩しても治まらない。この日は早々と終わることになった。
 それからというもの、休みの朝、2時間、3時間とヒエとの闘いが続いた。3分の2ほどクリアしたところで、台風15号。ヒエは丈が高いからか、残った分だけ倒伏してしまった。
 8月の出穂期、カモを田んぼから上げるのも大変だった。凶暴な私の顔をカモが警戒して近づかないのだ。このままではコメがやられてしまう。害鳥になる寸前で何とか確保した。
 いろいろあったが、稲刈りまであと一月。人事を尽くして天命を待つ。

 2011.8.12  続・天然ウナギ

 天然ウナギと養殖ウナギの違い、知ってる?
 天然は腹が黄色、背中は深緑。養殖は腹が真っ白、背中は黒い。一目瞭然だ。でも、なにより味がまるで違う。天然は身が弾けるようにプリプリしている。君たちはドヨーンとした養殖もので満足してくれたまえ。
 前回、天然ウナギを4匹つかまえた話をしたが、最高のうまさだった。
 頭を釘で真名板に打ち付けて、なんて技は端からあきらめて、ヌルヌルを取って、10センチくらいに筒切りにした。ヌルを取るのは昔からカボチャの葉っぱと決まっているらしいが、私は新聞紙で代用した。
 筒状のウナギを腹から開きワタをと中骨を取るだけである。背びれの骨はそのまま。
 それを網に乗せて白焼きにする。程よく焼けたところで塩を付けて食う。ウマイイ!! 残った白焼きを砂糖醤油のタレに付けて焼く。タレに付けてまた焼く。何回か繰り返せば立派な蒲焼きの出来上がりだ。熱々のご飯に乗せれば、へーい、うな丼一丁ー。
 うまいこと、うまいこと。
 実はこの話には後日談があって、久々に大声を出して笑った。川に放置してあった水道用のパイプで捕ったのだが、捕った場所と捕り方を吉利在住の友人Nさんに教えたのだ。
 「そうか天然ウナギか、うまそうだな」と言いながら帰っていった彼は、早速数日後の早朝5時に息子を連れて件の永吉川、浜田橋に向かった。
 私に教わった通りにやってみると大成功。親子とも大はしゃぎで捕っていたのだが、やがて橋の上に60歳過ぎの夫婦連れが現れた。「お前の仕掛けたのはどれだ。言ってみろ」。おじさんは問い詰め、おばさんは黙って睨みつける。Nさんはしどろもどろ、「ごめん」と謝ってウナギを川に戻さねばならなかった。
 「酷い目にあったぞ。俺はおっさんに怒られるし、息子は下を向いているし。ウナギは放さんといかんし」
 情景がまざまざと眼に浮かぶ。申し訳ないが笑うほかない。
 彼は、すぐさまホームセンターでパイプを買って川に仕掛けたという。こうなったら、意地でもウナギを捕らねば気が済まないという。
 その後何日かして田舎で叔母の葬式があった。ウナギの話をすると、喪主である私の従兄Sは、「そのパイプを仕掛けたのはMよ。文句を言ったのはTだ」。永吉川ウナギマフィアは、従兄の仲間3人組だった。世間は狭い。
 私が見つかってもSの従兄だと言えば問題はない。Nさんの仕掛けで私がウナギを捕っても、よもや怒りはしまい。私はウナギ捕り放題だ。

 2011.7.19 天然ウナギ

 鹿児島市から車で1時間の距離、日置市の国道沿いの実家に、母が一人で暮らしている。
 7月12日、この日は介護保険の更新のために母を医者に連れていかねばならなかった。仕事を休んで実家へ。道すがら、その日は間もなく満月の大潮であることに気が付いた。ちょうど昼ごろ、干潮である。
 「かあちゃん、病院行きは1時間待ってくいやん。いっとっ、エビ捕いけ行たてくっで」
 というわけで、近くの川に急行。もちろん車のトランクには、魚捕りの網(100円ショップで買った)やバケツも常備している。橋のたもとにちょうどいい車を止めるスペースがある。車を置き、いざ、エビ捕りだ!と、いさんで川辺に降り立った。
 エビは水深の浅い干潮時が捕りごろである。岩の間に潜むやつらを棒で追い出し、逃げ道にあらかじめ網を仕掛けておけば、一網打尽というわけだ。
 順調に漁獲を重ねていくうちに、青い水道パイプが川の中に沈んでいるのに気が付いた。そんなパイプの中には、ウナギが潜んでいるものだった。両端を手で押さえ、岸で中の水を吐いたら、案の定大きなウナギが飛び出してきた。振り向くと、もう1本、パイプが沈んでいるではないか。こいつにも同様にウナギが潜り込んでいた。バケツにはエビに加えてウナギも仲間入りだ。
 ふと見渡せば、5、6本、てんでバラバラに沈んでいるのに気が付いた。竹の筒もあった。予想通り塞がっているはずの節は開けてあった。
 ここに至って、私の推理は確定的なものになった。このパイプ群は人為的な、つまりウナギ捕りの仕掛けとして、持ち込まれたものだったのである。だが、ランダムに置いていては、大雨の時に簡単に流失してしまう。幾重にも石で覆っていなければならない。
 なるほどね。誰かが仕掛けたウナギ捕りのパイプ群の、被せてあった石をどかして、ウナギだけ横取りしてそのまま放置したわけね。
 1本だけ、上から石が載せてあるパイプを見つけたけど、横取りくんの目を逃れたやつだろう。
 途端にバケツの中のウナギの処置に困った。通りがかりの人に見られたらまずい! 他人の仕掛けと知って捕れば泥棒だが、知らずに捕ったものはどうなるのだろう。さらに、仕掛けは一旦荒らされ、おまけに大分日数が経っている。所有権は放棄されているとも受け取れる。仮に、パイプの所有権はあったとしても、中のウナギは誰のものでもないのではないか。様々な思いが交錯した。
 後ろを振り向かず、さっと車に乗って実家に向かった。


2011.1.19〜2011.6.22


 2011.6.22 オーストロネシア


 「最悪を想定していたら、絶望することはない」。福島の事故の後に会った小社の知恵者の著者が、幾度となく口にしていた言葉が、今もよみがえる。
 殴られ過ぎて、反応の弱くなったボクサーのように、福島の悪いニュースにもずいぶん慣れてしまったような気がする。暗く沈んだ気持ちになるくらいなら、知らない方がいい、そんな気持ちもどこかに芽生えている。
 見て見ぬふりができるのも、これ以上酷いことが我が身に降りかかることはないだろうという、他人事のような意識があるからに違いない。
 しかし、ネットのUストリームに流れていた小出裕章さんの話を聞いて、今は序の口で、事態はますます進みつつある、さらに最悪の事態も考えられることを知った。
 核燃料がメルトダウンを起こして圧力容器を突き抜けているのは報道されたが、さらに格納容器も溶かして、地下に向けて徐々に潜りつつあるかもしれないのだという。
 鹿児島大学の物理の教員でもあった橋爪健郎さんに詳しく聞くと、ドロドロの核燃料は、原理上無限に温度上昇するという。数百万度に上昇ということもある。そんな高温の核燃料が地下水脈と接触したとたん、ドッカーン! 大爆発することもありうる、という。水蒸気爆発だ。
 鹿児島では、数十メートル掘ったら温泉は無理でも地下水はすぐに出てくる。福島原発は海沿いだから、そこらじゅう地下水脈だらけだと言っていい。
 燃料が爆発を起こせば、その原発のほぼ全ての放射能が大気中に放出される。付近はさらに高濃度の放射能に覆われ、1号機から6号機まで人の立ち入りはできなくなる。となれば冷やすこともできなくなり、いずれ、全ての原発が爆発に至る。これまでの数百倍から数千倍の放射能が飛散することになる。
 さて、日本という国が残っているか、さえ危うい話になる。「最悪」とは、家を捨て、土地を捨て、諸国を流浪する原発難民の自身を想定することだろうか。
 ときに今、『琉球の成立』という本を作っている。琉球人がどこから来たかを追求することは、鹿児島人がどこから来たかを解き明かすことにもつながる。かつて、台湾、フィリピン、インドネシア、アボリジニ、マオリといった広く南方島嶼圏世界に広がっていった人々をオーストロネシア語族という。その痕跡が、沖縄はもちろん、南九州のこの鹿児島にも、随所に息づいている。もう一度、その子孫たちは、放射能を逃れて南方島嶼圏世界を旅することになるのだろうか。

 2011.5.20 シジミ採り

 以前にも紹介したが、海辺の生き物を食べる、そのものズバリのタイトル『海辺を食べる』という本を制作中である。
 かれこれ60種類くらいは網羅できただろうか。後は漏れていたものを埋めていくだけである。
 こんな本を作っていると、どこに行ってもキョロキョロしてしまう。先日、川内の高江にある江之口橋を見に行った。江戸末期、肥後の石工・岩永三五郎の手になる石橋である。その時も、思わず川辺に降りてシジミを探してしまった。予想通り、発見。鼻が効いてくるものである。
 会社は天文館から車で15分の鹿児島市内にある。たった15分なのに田園地帯が広がり、真ん中には稲荷川が流れている。そこから引かれている用水路でもシジミを発見した。じっと見ていると、水の流れの向こう側、水路の底に貝の殻があった。殻があるということは、生きた貝もいるということである。先日、雨靴を履いて、シャベル、ザルを手に本格的にシジミ採りに挑戦した。ものの30分でザルがいっぱいになった。
 後は洗って、泥を吐かすだけだ。カルキが心配だったが、そのまま鍋に水道水を入れてシジミを投げ込んでいたら、うまい具合に吐いてくれた。自分でタダで採ってきたシジミの味噌汁。店で買っても数百円なのだけど、値段で測れない満足感を味わうことができた。今年鹿児島で、自分で採ったシジミを食べたのは、一人もいないかもしれない。私は食べたぞ。エッヘン。ワッハッハッハー。
 本来は海辺の生き物を食べる本なのだが、これを機に川の生き物もおまけに付けることにした。テナガエビ(だっま)、モクズガニ(山太郎)、ウナギにスッポンなどだ。いずれも子どもの頃よく捕った。
 ウナギは梅雨時がベストシーズン。雨で川が濁ったとき、釣り針に畑にいる大きなミミズを付けて放り投げ、置き竿で狙うものだった。エビはカライモを噛んで川の流れのゆるいところにペッと吐けば、石の間からのそのそ出てくる。カニとスッポンはカニ籠で捕ろう。
 毎日毎日、朝からウナギやエビ、カニ、スッポン捕りに出かけ、捕った獲物を料理して写真を取る。もちろんビール片手にゆっくり味わうことになる。いやいや、これが出版社の仕事なのさ。なかなか大変なんだよね、これでも。なんて言ってみたいね。
 ときに今年の南日本出版文化賞。小社刊『奄美民謡総覧』がめでたく受賞。シマ唄千曲を記録した不朽の名作だ。賞状も賞金も、うちにはなんにも来ないのだけど、やはりうれしいものである。

 2011.4.15 原発本の復刊

 小社では1998年に九州の原発を扱った『原発から風が吹く』を刊行した。その在庫が3月の福島の事故で一気にはけたため、『幻の楼閣 九電と原発』と改題し、復刊することにした。以下は、復刊の辞である。

 原発ある限り、九州は第二の福島になる

 二〇一一年三月十一日の東北地方を襲った大地震と津波は、福島第一原発を廃墟にした。それだけではない。膨大な量の放射能を大気中や海洋に放出してしまった。
 福島の事故とともに、九州電力と原発を総括的に扱った本書は、瞬く間に人々の間に消えていった。ここに新しく装を改め、本書を送り出したい。
 本書は一九九八年に『原発から風が吹く』という書名で刊行され、九州の原発問題を知るための格好の手引書として広く読み継がれてきた。原発は、事故時だけでなく、ウラン燃料の採掘の段階から放射能汚染と無縁ではない。放射能のゴミも百万年の未来まで人類から隔離しなくてはならない。電力の需給といった個別の局面だけでなく、原発を取り巻く全容を見なければこの化け物の正体はつかめないのである。
 本書の初版刊行から十三年を経て状況の変わった部分もあるが、巻末の資料に最近の動きをまとめているので参照されたい。玄海原発でプルサーマルが開始され、川内原発では三号機の増設を鹿児島県知事が容認した。串間は新規立地の動きが住民の反対運動でいったん白紙になったが、また九電の画策によって浮上しつつある。

 これまで原発で事故が起きたとき、国や電力会社がとる行動には、決まって二つのパターンがあった。その一つは、「事故を出来るだけ小さく見せようとする」というものである。
 事故がなくても、川内原発から日常的に排出する温廃水の拡散範囲をごまかすなど、九州電力にとっては朝飯前であった。高温の温廃水が拡散している範囲を小さく見せるために、等温線を実際より狭く書き換えていたのである(図1)。温廃水の流れてくる下流に当たる、いちき串木野市の海は惨憺たる状況となった。ワカメやヒジキ、テングサは全滅した。魚も消えてしまった。ある漁協の漁獲は、原発稼働直後の五分の一に激減した。
 二〇一〇年二月三日、等温線の書き換えを朝日新聞でスクープされても、九電は知らぬ顔。国策として原発を推進してきた国も問題なしとした。電力会社をチェックする立場の原子力安全・保安院など、あってもなくてもどうでもいい、ただ電力会社を追認するだけの存在だったのである。伊藤祐一郎鹿児島県知事も、新聞報道の三日後に問題ない旨を住民に回答している。ちなみに、二〇〇二年から二〇〇九年までの十七枚の等温線の虚偽記載については、住民およそ二百人が原告団を結成し鹿児島地裁に提訴している。
 また、九電はこの原発からの温廃水に放射能はないとしている。何のことはない。大量の海水で薄めて検出限界以下にしているだけなのである。薄めて検出されないのと、出していないのとでは、雲泥の差がある。実際は、定期検査時に放射能のホコリの付いた作業着の洗濯水や、様々な経路で漏れ出た放射能を含んだ水を、温廃水に混ぜて海に捨てている。どれだけの量の放射能をこれまで棄ててきたのか、九電は明らかにしていない。
 実際に事故があったとき、あるいは地震が原発を襲ったとき、九電がどういう態度をとってきたかは本書に詳しく記述してあるが、都合の悪いデータは出さないということは共通している。地震のときには地震計が壊れていたと言い出す始末であった。
 これまで、このようなことがまかり通ってきたのである。新聞、テレビなどのマスコミも、高額の広告費と引き換えに、電力会社を追及する意思も能力も放棄したかのようであった。

 何が起きてもおかしくないのが、国と電力会社が一体となって嘘で固めた日本の原発であった。
 案の定、福島で大事故が起きた。まず国がやったことは、大幅な安全基準の緩和である。
 作業員の被曝限度量が一〇〇ミリシーベルトから二五〇ミリシーベルトに引き上げられた。飲料水の放射能も三月十七日に、ヨウ素131については、それまでのキロ当たり一〇ベクレルから三〇〇ベクレルに引き上げられた。アメリカが〇・一、ドイツが〇・五という数字であることを考えると穏やかではいられない。
 野菜もかつてチェルノブイリ事故のときの輸入制限がキロ当たり三七〇ベクレル(セシウム137のみ)だったのに、ヨウ素131について二〇〇〇ベクレル、セシウム137は五〇〇ベクレルまで大丈夫ということになった。アメリカの輸入制限はヨウ素131について一七〇ベクレルである。
 これほど、バーゲンセールのように安全基準が緩和されると、この日本という国は本当に国民の命を守る気があるのか、疑わしくなってくる。先に述べた三月十七日の突然の飲料水の放射能緩和についても、実は十六日以前に水道水をこっそり調べていて高い放射能が見つかったことから、パニックを防止するためになされたものとも言われている。放射能の放出量は十一日から十六日までの間が特に多かった。そして、三月二十二日に東京の水道水で二一〇ベクレル検出と発表されたのである。
 体内に取り込まれた放射能からの内部被曝について、国からのコメントは一言もない。放射線の強さは距離の二乗に反比例する。つまり近ければ近いほど強烈な放射線を浴びることになる。体内に取り込まれた放射能は、ごく至近距離から放射線を細胞に発射する。放射能が一ミクロン先にあった場合、一メートル先から飛んでくる放射線の一兆倍強いことになる。
 海にも大量に放射能が流れてしまったが、国や御用学者たちは薄まるから大丈夫と言っていた。薄まって問題ないのなら水俣病など起きていない。プランクトンや海藻、大小の魚たちという食物連鎖を通じて、百万倍、一千万倍と濃縮されていくことを生体濃縮という。濃縮された放射能が、めぐりめぐって私たちを襲う。
 放出された放射能が大地に降り積もり、放射線を人々に浴びせ続ける。水や食べ物と一緒に取り込まれた放射能は、人々の内部から放射線を突き刺し続ける。ガンや白血病、遺伝障害もある。放出された放射能が、果たしてこれから何人の命を奪うのか。何万人か、何十万人か、あるいは何百万人か。国が正確な数字を出すことはないだろうが、津波の犠牲者をはるかに超えるのは間違いない。
 一〇〇ミリシーベルトの被曝について、百人の内一人のガン死が増える程度だから心配するほどではないとも説明された。今では百人のうちの五十人がガン死するのだから、五十一人になったところで大したことではない、という説明も付いていた。
 恐ろしいことである。今回の被曝は東電と国による無用な被曝にほかならない。それによって何人が死のうが大したことはない、と言い放つ人間がいるのである。殺人行為が許されるはずはない。
 避難範囲にしても、事故直後の三キロ以内とされていたが、その後一〇キロに、さらに二〇キロになった。京都大学原子炉実験所の今中哲二氏の調査では、原発から北西約四〇キロの飯館村で土壌のセシウムが一平方メートル当たり三二六万ベクレルで、チェルノブイリ原発事故で強制移住対象とした一四八万ベクレルの二倍超であることが既に判明していた。
 それにもかかわらず事故直後は国際基準でスリーマイル原発事故より低いレベル4、一週間後にはそれより高いレベル5、やっと四月十一日にチェルノブイリ原発事故と同じレベルの7に上げざるをえなくなった。

 原発事故に際して、国や電力会社がとる二つの行動パターンの一つ、「事故を出来るだけ小さく見せようとする」ことについてこれまで見てきた。
 これほど酷いことになっても、国や電力会社の行動パターンは変わっていないのである。だとすると、もう一つの行動パターンにも十分注意する必要がある。それは、「その原発事故を個別化しようとする」動きである。福島の事例を、特別なものとして他の原発から切り離し、他の原発に類が及ばないようにしようという動きが必ず出てくる。福島がダメになったのは想定外の津波による外部電源の喪失であったとして、国と電力会社は、特に危険な原発の津波対策と電源対策さえすれば日本中の原発は大丈夫だと巻き返しを図ってくるに違いない。かつてチェルノブイリ原発事故の後、「日本の原発は構造が違うのでそのような事故は起こりえない」と言ったのと同じ論理である。
 だが、福島の事故は、数ある大事故の可能性の一つが現実になったにすぎない。自然は人間の浅はかな想定を超えて猛威をふるい、奢った人間を打ちのめしていく。人間の作った機械は、人間の期待を裏切って壊れていく。人間そのものも、考えられない失敗をするものなのだ。
 二〇一〇年、今回の福島の原発震災を予告した地震学の権威である石橋克彦・神戸大学名誉教授は、鹿児島県の薩摩川内市で講演をされた。氏は、「活断層がないからと言って大地震が起きないということはない。川内原発の直下で最大級の内陸型大地震が起こる可能性がある」と、明言した。
 放出された放射能の大半が偏西風によって太平洋に飛散して行った福島と異なり、玄海原発や川内原発で同様な事故が起これば、放射能は人々の暮らす陸地に降り注ぐことになる。けた外れの被害は免れないだろう。
 第二の福島を生んではならない。そのためには、佐賀県の玄海原発と、鹿児島県の川内原発に消えてもらうしかないのである。九州に暮らす一人ひとりが、国や電力会社に殺されたくないのなら、殺される前に「原発やめろ!」の声を上げなければならない。

 2011.3.23 ワカメ万歳

 紙に文字を印刷して売る商品には、新聞、雑誌、本の3種類がある。その商品としての寿命は、新聞なら1日、週刊誌なら1週間、月刊誌なら1カ月とだいたい決まっている。
 ところが、本の場合は特に決まっているわけではない。言い換えれば無限の寿命が約束されている。うまい具合に、広く読まれる本を作れば、時間に関係なく、ずっと売れ続ける。
 在庫がなくなれば、刷り増しする。本を印刷しているのだが、後から後から現金に変わっていくわけだから、お札を刷っているのと同じことだ。
 と、そういう本ばかりなら苦労はないが、そう世の中は甘くない。
 だが、規模は小さいけれど、そんな夢を見させてくれた本も、これまで何点か出している。その一つが、累計2万部の『野草を食べる』である。野山に自生する、言ってみれば「草」の食べ方を教えてくれる本である。「地球の果てまでイッテQ」というテレビ番組がある。どんぐり眼のベッキーもこの本を片手に無人島に挑んだ。
 今取り組んでいるのは『海辺を食べる』。はっきり言って柳の下の2匹目のドジョウを狙った本だ。ただで獲ることのできる海辺の生き物、海藻、貝、魚などの見つけ方、獲り方、食べ方を解説する。今年中に取材を終えて、来春には刊行する。
 この季節、春先といえば、何といっても海藻である。これまでに、いろんなものを食べたが、海藻のベスト3は、やっぱりアレだ。
 アレ!とは即ちアオサ、ワカメ、ヒジキである。条件は3つだ。第一にうまいこと。そして第2に大量に簡単に獲れること。第3に保存がきくこと。
 アオサやワカメは洗って干す。カンカンに乾燥させれば、冷蔵庫に入れずともずっともつ。ヒジキはなぜか一度湯通ししてから干す。
 私の好みは、海で洗って、そのまま干した塩けの効いたアオサを、ちょっとあぶって少しずついただくやつ。ご飯に載せても、そのまま焼酎のつまみにもいい。ヒジキなら生をそのまま湯がいて野菜のようにワシワシ食べる。ワカメは茎の部分を薄切りにして食べる。噛めば噛むほどヌルヌルが口の中に広がって最高だ。
 不思議なのは、これだけたくさんあるのに、ほとんど獲る人がいないこと。海藻には旬がある。ざっと言えば、アオサは2月、ワカメは3月、ヒジキなら4月。それを過ぎたら、もう消えてなくなる。アオサは貝殻でしこしこ獲るが、ワカメやヒジキは、鎌で刈るから、ものの30分でバケツ一杯になる。
 ただで、食い物を獲る! しかも新鮮でうまい! どうだ、この快感を味わってみたくはないか。

 2011.2.15 茶畑にて

 2月13日、日曜日。1年に1回のお茶の刈り込みの日である。私は田舎の畑にいた。
 鹿児島の田舎では、どこの畑もお茶が回りを囲っていたものだ。いわゆる畦畔茶(けいはんちゃ)と言うやつである。隣の畑との境界が分かるし、吹上浜沿いでは冬場の浜風から作物を守る防風の狙いもあっただろう。もちろん、自給用のお茶を確保するというのが一番の目的である。
 5月の連休には家族総出で茶摘み。都会に暮らす子ども達も帰省して、賑やかな光景が繰り広げられるものだった。村に1件の茶の加工工場も、年に1週間だけ稼働するのだ。
 去年摘んで以来、ほったらかしの茶の枝は、四方八方に伸びている。それを刈り込みバサミできれいに整えていく。そのままにしておけば、新芽が出ても手で摘まねばならない。きれいに整えておけば、5月になれば袋付きのハサミであっという間に収穫できるというわけだ。
 去年もしたし、一昨年もした。ずっと毎年やっているのである。毎年同じ畑だし、全く同じ手順でやっている。毎年変わらずに、同じことができるというのは、なんとも落ち着きがいい。
 資本主義は、拡大・発展を善とする。環境破壊を止めようと作り出された標語ですら「持続的発展」だった。
 しかし、自然の営みは毎年繰り返されるものである。ずっと昔からそうであったように、自然に寄り添って暮らそうとするなら、同じことの繰り返しこそが、ありがたいものであり、重要だということになる。
 暗くなるまで、刈り込みを続けていった。ときは6時半、やっと一段落。その時、思い出した。なんと、6時に天文館で待ち合わせがあったのである。ここは、吉利の田舎、鹿児島まで1時間はかかる。ガーン。
 徳之島から小学校時代の同級生が来る。鹿児島にいる同級生に連絡したのも私だ。私は携帯電話を持ってはいない。相手の携帯の番号も分からない。とかとか、慌てふためいたが、持っていないのは私だけで、後の連中は現代の最新鋭の武器で連絡を取り合うはずである、と気がついた。
 無事合流。謝りまくって何とか許してもらったが、忘れることも加齢という自然のなせるわざ、なのである。
 いま、『奄美沖縄 環境史資料集成』という700頁を超える本にかかっている。生物の多様性は地球上に一様ではなく熱帯地域に集中し、自然を利用する人間の文化もまた熱帯がより多様なのである。琉球弧は、多様性における世界のホットスポット10カ所の一つ。その自然資源利用の知恵は、全人類の大きな財産なのである。

 2011.1.19 奴隷根性

 年が明けて間もない110日、私は徳之島にいた。世界自然遺産候補となっている徳之島で開かれたシンポジウムを覗くためだ。
 と、言いつつしっかり受付前に本の売り場を確保。小社は機会あるごとにシンポなど人の集まるところに行商するようにしている。書店がどんどん消えているこのご時世では、行商は貴重な販売ルート。先ずは許可してくれた主催者に感謝。
 さて、当日の会なのだが、なんだか奇妙な空気に包まれていた。それは会場にあふれんばかりに訪れた400人程の島民の期待と、世界遺産に持っていきたい国側の思惑の微妙なズレがもたらすものだったように思う。
 島民の抱く、何かいいことがあるかもという淡い期待。国側の示す、自然を守りぬく島民の熱意という条件。極論すればこのようになるだろうか。お互いの思惑が、正面から衝突することはなかった。まあ、シンポジウムだからしょうがないか。
 会も終盤に差し掛かったころ、司会者が会場にマイクを振った。高校生が「卒業したら島を出るが、何年かしたら帰ってきたい。仕事があればいいと思う」と発言。司会者も盛んに雇用の必要を言い募った。
 これを聞いていて、無性に腹が立ってきた。鹿児島の他の町でこのような発言が出ても、私は「そうだね」と受け流すだろう。だが、ここは誇り高き徳之島だ。
 藩政時代、本土では1回もなかった一揆を、犬田布一揆、母間一揆と2度も勃発させた徳之島である。初代朝潮、柔道の徳三宝、徳田虎雄……幾多の反骨の英雄も生み出した。つい昨年も、基地移設を吹き飛ばし鳩山首相を辞任に追い込んだ徳之島ではないか。
 雇われるというのは、自由を奪われ、奴隷になるようなもの。そういった奴隷根性はいつ身についたのか。君のじいさんや、ひいじいさんは、雇われることを考えたか。米を作り、キビを作り、野菜を作り、牛を飼い、魚を獲り、誰でもがしっかり大地に足を付けた大人になり、子どもを育ててきたではないか。みんな今でいえば経営者だったのだ。
 あんまり腹が立ったから、終わって会場から出てきた大久保伊仙町長に言った。
 「雇用なんか考えたらいかん。経営者100人を作ることを考えてほしい。1人が10人雇えば1000人になり、5人家族なら5000人が島で暮らせる。小、中、高校生に、自分が雇われることなしにどうやって生きていくか、それを考えさせることが大事。でなければ世界遺産が来ても、本土資本の奴隷になる」
 小学校時代の一時期を過ごした徳之島には、ついつい熱くなってしまう。



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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