2010年10大ニュース&スタッフからのお便り



とりあえず 賀正 2011元旦

★ジャーン。設立18年目に突入。刊行点数310点突破。年賀に代えて近況報告。


2010年の南方新社10大ニュース

1月10日 九電の大ウソ発見。九電から県への報告書を眺めていたら目が点になった。原発の温廃水の一度上昇範囲を描いた等温線に明らかなごまかし。出るは出るは、半分の報告書がウソ。朝日新聞でも大きく報道。それでも進める増設。天下の大企業九電が、セコスギルゼ
4月28日 ジュンク堂書店の鹿児島2店目が天文館のデパート・マルヤガーデンズに大々的にオープン。鹿児島本を大事にしてくれるジュンク堂書店、がんばれっ。普段縁のないハイカラなデパートにも雪駄を履いて、イクゾー
5月28日 iPadが日本初登場。電子書籍元年なんて騒がれたけど、紙の本がそんなに嫌いなのかね、あの人ら。そんでもって紙の本が消えるって?はい、どうぞ、どうぞ。携帯なしでも生きていける私らには、関係ナイモンネー
7月17日 怒涛の奄美合宿。大島は笠利町佐仁の一軒家で2泊3日の合宿だ。船で行ったから4泊5日だけどね。沖縄の出版社ボーダーインクの精鋭たちも合流。深夜1:00まで勉強会。昼間はリーフで『海辺を食べる』(6月刊)の取材。シャコ貝は絶品。ウマイーッ
7月28日 『小さき者たちの戦争』刊行。毎日新聞連載に加筆したもの。注文書に付記されていた他紙記者のコメント。「福岡記者の連載は、毎回切り抜いてスクラップしていました。口先だけの平和論や戦争論を粉砕してしまう真実の重みがあり、感動でふるえながら読んでいました」。はっきり言って、名著デス
8月 10日 屋根の補修完了。会社は豪邸だけど雨漏りがする。業者に頼めば1カ所150万だって。それが3カ所もある。ブルーシートでしのいできたが、1年で劣化。ホームセンターで、3倍の耐久性のあるシルバーシートを発見。本も作れば屋根も修理するのだ。これで、当分アンシン
9月 30日 ニワトリの生態、世紀の大発見。放し飼いのニワトリは夜どこで寝るか知ってる?そう、木の上で寝るのです。で、雨の夜は?こっそり覗いてみたら、普段は水平にうずくまっているのに、大雨の夜は頭を上に向け立って寝ていた。知ってるのは、世界で私一人だけかも。エッヘン
10月 6日 九電を提訴! 温廃水の下流に当たる串木野方面では漁獲が以前の5分の1に激減、ワカメもヒジキも全滅した。よくよく見たら、3号機の環境影響調査もウソばかり。原告団は183個人団体。ユルサン
11月13日 鮫島結婚式挙行。鮫島弟、はしゃぎすぎてひざを負傷、親父さんは酔っ払って大受け。嫁さんのご両親の不安そうな顔。不思議な式だった。でも、嫁さんのおなかには双子のベイビー。エライコッチャ
12月 20日 会社の夏ミカン初収穫。4年前に川べりの木市で買った苗6本が順調に育ち、うち1本に初めて実がなった。30個のミカンを重そうにぶら下げている姿は和む。根元にカミキリムシが食い入って一時はピンチに。それも、針金を突っ込んで撲滅。ヤッタゼ


★    2011年も新刊目白押し。乞うご期待。


スタッフからのお便り
 

昨年、『奄美民謡島唄集』の編集を担当。年末、著者の片倉輝男さんが島唄を教えている生徒さんたちの「発表会」に出席した。そこで目についたのが、生徒さんが手にしていた本たち。付せんがたくさんついていたり、角が折れ曲がったり、どれもくたくたになっている。何度も何度も本はめくられたのだろう。使い込まれた本の姿を見て、私はなんだか心が温かくなった。そんなふうに活用してもらえる本を今年も作りたい。(坂元)

久々の研修旅行で奄美大島に向かうフェリーでの事。ビールや弁当を買い込み、総勢9名甲板での食事。初夏の夕風は心地よい。
まわりではラグビー部の大学生の集団が肩を組んで歌ったり、一人旅のアメリカ人が可愛いOL二人組と戯れている。あとはカナダ人とイギリス人の若い男女二人。そのうちバラバラのグループがひとつの輪になり、老いも(私たち)若きも飲んで食べて語りあった。 
翌朝、鹿児島に来たら「南方新社」に泊まりにおいで!と別れた。船旅の醍醐味を感じたひと時だった。(桑水流)

新しい年が明けた。今年こそは○○を、と思いを新たにするのだが、なかなか思うようにいかないのが私の在りようだ。今年届いた年賀状に「多忙の毎日ですが今年こそは時間を作って趣味の油絵を描けたらいいなと思っています」と添えられていた。こんな風に書ける友を羨ましく思えた。
幸せな事に沢山の書籍に囲まれてお仕事をさせて頂いているのに日常の業務に追われ、なかなかじっくり読めずにいるので、今年こそは多く読めるよう努力しようと思います。そして感謝の気持ちを忘れず精進して参りたいと思うことでした。(藤)

ウォーッ!!2011年がやってきた。愛媛は西条市からやってきて5年。深く郷土を想う多種多様な人たちと出会い、活動をともにし、鹿児島での暮らしを楽しんでいるが、それと同時に、自分のルーツである土地のことを何も知らないと痛感する。特にここ鹿児島には、掘り下げるべき分野がいくらでもある。そんな好奇心を満たせる「紙の本」をたくさん作りたいと思う2011年である。
個人的には「タイミングと直感」、これあるのみ。唐突ですが、そんな感じで。(梅北)


不肖鮫島、小社に在籍すること苦節4年、初の企画本『みんなの桜島』がいよいよ2月末、刊行です。
数百年に一度、あたりが灰燼に帰すほどの巨大噴火を繰り返してきた桜島。溶岩と灰と火の島に、人々は逞しく生きています。噴火の仕組み、文化、観光、暮らし。桜島の魅力をぎっしり詰めた一冊。目下予約受付中。なんと今回予約特典として「桜島の火山灰」をプレゼント!脳内では、書店さんで桜島フェア大展開のイメージもバッチリ。あとは、編集するだけ!?
なんだか元気のないご時世ですが、今年は景気よく大噴火ドッカン!!行こうぜ!!!(鮫島)

昨年一番心に残っているのは、奄美への研修旅行。“慰安旅行”ではなく“研修旅行”と言う名のその旅に、不安と期待一杯で出発!そう言えば、首を痛めていておかしな動きで過ごした初めての奄美…それでもやっぱり美しい海には感激。
夜中まで続いた研修には正直ぐったりだったが、その分得たものも大きかった。本の売れないこの時代、書店も次々に閉店していく…。それでも私たちは本を作り続け、生き残らなければならない。あの研修が無駄にならないよう、今年は改めて自分の出来ることを考え、努力していきたい。(江並)

2010年10月からアルバイトとして勤務しています。今年刊行予定の下野敏見先生の『南九州の民俗文化誌』の第四章「伊佐市の民俗誌」では、かつて大口市(現在、伊佐市)の年始の各日に行う行事・仕事が非常にきめ細かく決められていたと、述べられています。最近は、元旦から開いているスーパーもあります。「お正月も普段の生活とあまり変化がない」と今年は改めて感じました。けれど、どんなに生活が変わっても、新年の「今年こそは新しいことをしよう、向上しよう」という気持ちは大切ではないかと思います。(武藤)

今年もたくさんミミズを食べて、たくさん卵を産みたいです!(庭の南方ニワトリ軍団)

新年のご挨拶


拝啓 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

 2009年1月、突然、鹿児島の川内原発3号機の増設騒ぎが降りかかってきました。それからというもの、仕事以外の雑事に忙殺され、とうとう昨年は新年のご挨拶もできず仕舞いでした。誠に失礼しました。
 昨年、世をにぎわした電子本騒ぎも、田舎の出版社などにはどこ吹く風です。日々本作りと販売にいそしんでいます。そういうことは全く気にならないのですが、気掛かりなのは、世の一人ひとりの気力が削がれているのではないかということです。
 これまでのテレビがゴミになってしまう地デジをはじめ、多少省エネ効果があろうが新しい車や家電製品を買うことがいかに資源の無駄遣いであり、環境に負荷をかけるかは自明なのに、エコカー減税やエコポイントなどが大した批判も受けず、まかり通っていく現状に強い違和感を持ってしまいます。
 便利になればなるほど、人間本来備わっている肉体的な野性は衰えていきます。そしていつの間にか精神的にも野性は消えていくでしょう。自然から離れ野性を失うことは、言葉は悪いのですが「家畜化」していくということです。情報、通信、自動車、電力、住宅、建設、食品、マスコミ……あらゆる産業界あげて、人々の小さな欲望に火を付け、消費の熱狂を作りだそうとしています。
 電力の大量消費、言葉を換えれば家電製品の大量消費を前提とする原発。海や大地に日々放射能をふりまき、百万年単位で管理せねばならない放射能毒を日々作り出す原発を受容する社会とは、何でしょうか。いずれにせよ、家畜化した人々は、自ら考えることを放棄し、本を読むことなどないでしょう。
 大地の上にしっかり両の足で立ち生きていく喜びを見いだせる、そんな本作りを目指していこうと思います。
 
 今年もよろしくお願い申し上げます。


図書出版南方新社
代表 向原祥隆

2010.7.21〜2010.12.15

 2010.12.15 雨のニワトリ

 南方新社には今、ニワトリが12羽いる。うち9羽は小屋の中にいるが、3羽は庭で放し飼い。
 昼間は藪に入り込んで土をほじくって生き物を探したり、柔らかそうな草をついばんだりしている。
 そういえば、こんなこともあった。庭の隅っこを耕して、秋口に大根の種を植えた。トリに狙われるかな、と心配していたが無事発芽、順調に葉の数を増やしていた。ずっと気づかれないままでいておくれと祈っていたが、ある日、1羽が気がついた。それからはあっという間。3羽が大根の株の間を楽しそうに走り回り、葉っぱは根こそぎ食われてしまった。
 いたずらもするが、ニワトリのいる風景は何とも和む。
 そんなニワトリは、夜どこで寝るか知ってる? そう、木の上で寝るのです。1羽のオスは玄関前のツガの木の上。高さ2mほどのところにねぐらを決めている。一気に飛んで行けないから、羽を手のように動かし、足を枝に引っ掛けて上手に登っていく、かどうかは見ていないから知らない。夜、気がつけばそこにいる。
 もう1羽はその近くのヒトツバの木。残りの1羽のねぐらは今もって不明。どこかの木の上であることは間違いないだろう。
 夜行性の天敵から身を守る本能のなせる技だ。
 さて、もう一つ質問。雨の夜はどうしてる? そう、ずぶ濡れになりながら木にしがみついているのです。小雨の夜に濡れているのは知っていたが、先日のザーザー降りの大雨の夜、こっそり覗いてみた。
 ここで新発見があった。木の枝にしがみついているのだが、いつもと姿勢が違う。晴れた夜は水平にうずくまっているのに対して、大雨の夜は、何と頭を上に向け立って寝ているのである。雨の当たる面積を最小にし、かつ雨が流れやすい姿勢なのである。
 試しにもう1羽も覗いてみたが、案の定立って寝ていた。
 さて、トリ話はこのくらいにして、今とりかかっているのが、「奄美諸島の諺辞典」。1000ページに1万項目の諺が収録されている。あ行の最初が、歩行者(あつきゃんむん)ど糞履(くすく)みゅん。家をいい加減にして意味のない外出をすることは災いのもと、歩けばこそ余計なことに出遭うとの意。いいねえ。正月は家でじっとしましょうね。この本はまさに奄美の宝。4月刊予定。
 鹿児島にもあるはずの伝承されてきた諺。篤姫や竜馬にうつつを抜かしている間に宝が消えているのを気付いている人が、果たしてどのくらいいるのだろうか。

 2010.11.18 氷河期突入

 急に冷え込んできた。
 夏場にあれほどほこっていたカライモ畑のつゆ草やイヌタデが、すっかり元気をなくして風前の灯になっている。
 こいつらのしぶとさをご存じだろうか。抜いても抜いても、直ぐあとから次の世代が芽吹いてくる。抜いたやつらも、簡単には死なない。そこらに放っておけば、茎の途中から根を出して、いつの間にか甦っていた。それがちょっと寒くなっただけで、あっさり降参だ。
 夏の草が消えたからといって、地面が露わになるわけではない。目を凝らすと、畑には春草が芽吹いていた。ホトケノザなどは、赤い小さな花をつけた気の早いやつもいる。おお! なんとかわいい。
 寒さがきつくなるに従って、この可憐なホトケノザや、イヌノフグリ、ハコベといった柔らかな春草で畑は覆われてゆく。
 同じ畑でも、季節によって草が交替していく。その様がはっきり分かるこの初冬は、寒さに向かいながらも春を感じることができて、なんともほっこりした気分になる。
 今年は、カライモの苗を500本ほど植えた。肥料もやらず、草取りもしないから多くは稔らない。でもその分、ひと蔓にせいぜい2個のイモは甘みが詰まっている。それも畑全体では1000個ほどになる。1日に10個食べても、100日分の食料は確保できる勘定だ。うむ、満足!
 白状すれば、去年は年の内に段取りがつかず、掘り上げたのは年明けになってからだった。案の定、全滅。カライモは低温に弱く、霜にやられてしまったのだ。
 南米の熱帯生まれのカライモは、コロンブスに連れられて西欧に向かった。それから世界中を旅して、我が吉利の畑にたどり着いた。寒さが苦手なはずである。
 カライモはイモから伸びた蔓を畑にさして植え付ける。考えてみれば、コロンブスが食べたカライモのクローンであり、同じ遺伝子がつながっていることになる。
 冬に向かうこの季節119日、何と「13年以降にミニ氷河期?」という記事が朝日新聞に載った。東大大気海洋研究所が調べた結果、「太陽活動は2013年をピークに数十年の停滞期を迎えることが予想されており」小氷河期を迎えるという。なんだか分からないが、米科学アカデミー紀要電子版に掲載。
 おいおい、温暖化はどうなったの?かなり怪しいとは思っていたけど、CO2を梃子にした原発推進の根拠は消えることになる。散々ツキまくってきたウソはどうなるの?

 2010.10.18 江戸期の漁

 15年乗った愛車を車検に出した。前回の車検で、整備工場の兄ちゃんに「もう捨てなさい」と言われていた。
 モーターが壊れて、後ろの窓があかない。クーラーは効かない。トランクは錆ついて穴が開いている。中は雨漏りで酷いことになっていた。それでも駄々をこねて車検してもらったが、今回は交換部品がないという。さすがに廃車にするしかなかった。
 もちろん買った時も中古だから、製造から21年たっていた。でも、走行距離は15万キロ。倍の30万キロくらい走る人はざらだから、大したことはない。エンジンは快調そのもの。燃費も15キロを超していた。クーラーが効かなかろうが、窓を開ければ何の問題もなかった。
 代わりに兄ちゃんが用意してくれたのは、製造から8年、まだ5万キロしか走っていない普通車。しかも30万円でいいという。値段は需要と供給で決まるから、高く言えない兄ちゃんの人のよさを差し引いても、多くの人が中古より新車に目が向いているということなのだろう。
 部品供給を停止した自動車メーカーのあこぎな商法、私に言わせれば新車同然の車を捨ててまっさらを求める人々、さらにはエコカー減税という国のまやかし。何といういびつさよ。

 代わりの車を待つ間、代車の軽トラで、東京海洋大学の名誉教授、水口憲哉さんを笠沙まで案内した。
 水口さんは、薩摩半島と甑島の間の甑海峡から回遊性の魚、秋太郎(バショウカジキ)が消えた事実を調査している。川内原発の稼働とともに、温廃水を忌避して、漁場が大きく変わったというのだ。今では、甑島の西側まで行かねば獲れない。
 秋太郎だけではない。東シナ海を南下するヨコワ(クロマグロの幼魚)も、温廃水を嫌ってUターンしているという。稼働以降、枕崎、笠沙のヨコワの漁獲が激減していた。
 温廃水の問題は、熱だけではない。重金属、放射能、塩素を含む。敏感な魚が、そのうちのどれかを嫌って、いなくなったというのだ。

 それにしても、笠沙の海はすごい。大型の定置網が、眼下にきれいに敷かれていた。石油を使わずに漁ができる昔ながらの漁法だ。中尾組合長が、江戸期からの歴史を持つと説明してくれた。
 ナイロンの網などなかった時代、縄などでこさえた重い網を、どう扱ったのだろう。冷蔵庫もなかった。たくさん獲れた魚の保存は、どうしていたのか。
 人間の知恵が退化していく一方の世に、遥かなる知恵が呼び醒まされるのを待っている、そんな気がした。

 2010.9.17 奇跡の海

 日本の沿岸地域は、どこも見る影もない。
 長い豊かな砂丘が売り物だった東シナ海に面した吹上浜やフィリピン海に臨む志布志湾沿岸も、浜が細ってかつての面影はない。ちなみに小笠原、マリアナ諸島以西は、国際的にはフィリピン海。太平洋と呼ぶのは日本だけなのです。なぜ? この話は、また別の機会にしましょうね。
 日本の南の端っこ鹿児島でさえこの調子なのだから、工場や発電所が立ち並ぶ瀬戸内海なんて推して知るべし。そう思っていたら、意外にも西の端に周防灘という奇跡の海があった。
 日本中から姿を消したアオギスや、ハマグリがちゃんと生きている。いなくなったはずの生き物たちが、けなげに暮らしていたのだ。
 日本最小のクジラ類であるスナメリは、かつて群れをなして瀬戸内海中を泳ぎまわっていた。ほとんど消えてしまったと思われたが、周防灘にはまだまだ生きていた。カンムリウミスズメという世界で数千羽しかいない絶滅に瀕した鳥も、親子連れで姿を見せている。詳しく調べてみたら、貝やゴカイ類など新種がジャンジャン見つかった。
 まさに、瀬戸内海の生物多様性のホットスポット。
 愚かな人間が、行いを悔い改め自然とともに暮らす道を選択しても、その海域で種が絶滅していたら復元できない。しかし、周防灘が健全であれば、そこから卵や子どもたちが移動し、かつての瀬戸内海が甦ることも夢ではない。
 驚くなかれ、これほど貴重な生命の楽園が、悪党どもに狙われている。
 おなじみ、超迷惑施設・原発だ。広島に本社を置く中国電力が、周防灘の心臓部に上関原発を計画している。対岸の祝島の漁師たちは、計画浮上以来30年にわたって反対を貫いてきた。昨年の9月からは1年間、今も埋め立て着工を体を張って阻止し続けている。漁師たちはこの豊かな海でずっと命をつないできた。そして、原発から流される大量の温廃水が海を殺すことを知っている。
 日本生態学会、日本ベントス学会、日本鳥学会は、公式に反対を申し入れている。
 南方新社が9月下旬刊行予定の本は、そのものずばり『奇跡の海―瀬戸内海・上関の生物多様性―』である。生物学者たちの研究の成果が、詰まっている。
 川内原発の温廃水で、東シナ海を破壊されている鹿児島から、エールを込めて世に出す。
 ご注文は099-248-5455、ないしはinfo@nanpou.com 南方新社まで。

 2010.8.17 小さき者たちの戦争

 出版社をしていても、そうそういい原稿に出会えるものではない。
 文化向上に貢献、などと格好を付けた慈善事業では飯は食えないから、通常いい原稿というのは、売れる原稿ということである。16年も出版社をやっていれば、ちょっと読んだだけで、部数の読みはできるようになる。
 売れないと踏んだものは、まず売れない。これは、ほぼ100%の確率で当たる。売れると期待したものでも、意外と伸び悩むのが昨今だから、かつての読みの半分にすれば、これも当たる確率は高い。
 だが、まれに、売れそうもないけどすごくいい原稿もある。私たちは、第一読者として読む。その時にうならざるを得ないものである。
 先ほど刊行した『小さき者たちの戦争』がこれに当たる。著者は毎日新聞記者。新聞連載に加筆したものである。
 8月と言えば、原爆が落とされ、終戦記念日を迎えた月である。新聞には、これでもかというほど戦争がらみの記事が載る。そのなかに、どれだけ胸を打つ原稿があるだろうか。
 悲惨であればある程、安全地帯にいる私たちは、ああ、かわいそうに、と思うのが精いっぱいなのである。
 原爆資料館に足を向けた、国連事務総長は、核兵器の廃絶に向けた強い意志を表明した。それは、論理ではなく、展示されている数々の写真を、その目で見て抱いた、信念のようなものだっただろう。
 論理は反論を生み、さらに反論が続く。議論には終わりはない。だが、一番根っこの信念は一度作られれば揺るがない。
 米軍基地問題が浮上し、北朝鮮、中国の脅威に対する抑止論が声高に語られている。そうした国家論、戦争論とは一線を画し、弱く小さな誰でもが、銃を手にさせられ、残虐な行為を余儀なくされる、ときには快楽さえも覚える、それが戦争の本当の怖さ、私たちの弱さであると、本書は綴る。
 国家は巨大な力をもち、小さな個人は簡単に翻弄される。その恐怖こそが、戦争に向かわせないもう一つの力になるのかもしれない。
 マスコミの劣化が言われて久しい。本書の刊行を前に、これまでメール注文いただいた読者に案内をした。少なからぬ新聞記者からコメント付きの注文が来た。「福岡記者の連載は、毎回切り抜いてスクラップしていました。口先だけの平和論や戦争論を粉砕してしまう真実の重みがあり、感動でふるえながら読んでいました」。
 まだ、マスコミも捨てたものではない、と意を強くさせる注文だった。
 ご注文は099-248-5455、ないしはinfo@nanpou.com 南方新社まで。

 2010.7.20 合同合宿

 仕事をさぼっているつもりはない。スタッフの力量も上がっているはずなのに、ここ数年、売り上げは横ばいだ(白状すれば、ちょっと下向き)。
 ヤバイ。困った時は、他人に聞く。というわけで、南方新社が師と仰ぐ沖縄の出版社ボーダーインクの面々と2泊3日の合同合宿と相成った。
 合宿地は両社の中間、奄美大島は笠利町佐仁集落である。折よく紹介してくれる人がいて、空き家を会場にすることができた。
 行きの船上では東京のラグビーチームと合同飲み会。最後は恒例?のユニフォーム交換。私は一張羅のシャツだったのに、もらったのはどうも下着だと、翌日船を降りてから分かった。ちょっと後悔。
 ともあれ、無事に目的地に到着した。まずは海へ! 遊びではない。現在企画中の『海辺を食べる』の取材だ。小社の売れ筋に『野草を食べる』がある。タラの芽やフキノトウだけではない。手軽に食べられる野草はいっぱいある。身の回りの80種ほどを網羅した。2匹目のドジョウを目指して、海で食べられる物を紹介していこうという企画だ。
 海の生き物は、本当は食べられないものはほとんどないのだが、自分たちで、見つけて、採って、料理し、食べられることを確認して、本に掲載する。これを基準にしている。
 あるわあるわ、甘貝、皿貝、宝貝、シャコ貝も顔を見せる。シラヒゲウニも採った。こいつは、いま奄美大島では入漁料が必要だから写真を撮るだけにした。こっそり食べたら密猟になる。
 もらったチョウセンサザエも、自分たちで採ったことにしようというよこしまな気持ちも起こったが、議論の末、正直に書くことにした。宿の隣の海ンチュがリーフの外側で採ったものだった。
 2日目は、みっちり勉強会。それぞれの成功例、失敗例を持ち寄り、議論した。気がつけば深夜の1時。ボーダーインクの売れ筋の特徴は、沖縄のしきたり系の本。様々な儀礼、儀式の手順を解説した本が売れていた。核家族化が進んだせいか、きちんと教えてくれる人が身近にいないのだろう。そこに需要が生まれ、応えたものだ。
 鹿児島では、古いもの、不合理なもの、遅れたものとして積極的に消し去ってきたような気がする。
 3日目は、奄美の民俗研究の泰斗、故恵原義盛宅を訪問。4男義之さんによる根瀬部集落や、故義盛蔵書の説明など、奄美の聖地巡礼の趣。
 密度の濃い奄美行きだったが、4連続の飲み会で、肝臓はへとへと。完全復活にはまだまだ遠い。

 2010.7.21 新たな侵略の構図

 10年ほど前だろうか、鹿児島の中心部から離れた伊敷の古い街かどに、「沖縄そば」の暖簾を見かけた。駐車場のない小さな食堂である。
 地元の人しか行かないような所で「沖縄そば」が成り立つのかと、不思議に思いながら入ってみた。案の定、昼飯時にも関わらずガラーンとしている。ソーキそばを注文したが、売れないから麺を取り寄せていないと言う。がっくり。仕方なく定食を食べたが、ほどなく店は消えた。
 それから何年かたち、鹿児島一の繁華街、天文館に堂々たる「沖縄そば」の看板が登場した。ここなら人通りも多い。沖縄ファンなら放っておかないはずだと期待したが、1年たたずにこの店も消えた。
 今現在、鹿児島は「沖縄そば」の空白地帯だ、たぶん。
 ことほど左様に、鹿児島にとって沖縄は遠いところ、というわけだ。
 侵略と支配の歴史を、交流の歴史と置き換えて恥じない知事のいる鹿児島である。昨年、両県の交流宣言がなされたが、その行方も推して知るべしだろう。
 その鹿児島が、沖縄の米軍基地問題に直面することになった。普天間の徳之島移設である。
 5月、4500人の反対集会が鹿児島市内で開かれた。壇上の議員たちの威勢のよさに、あの党って昔から基地反対派だったっけ、と錯覚しそうになる。何のことはない。参院選をにらんだ与党批判が目的だった。
 そんなことにはお構いなく、奄美関係者の態勢作りは着々と進んでいる。
 つい先日は、大島で奄美群島島民大会が開催され、東京では徳之島出身者らが国会周辺や銀座でデモを行った。鹿児島では奄美関係者を中心に、徳之島と連帯する会の設立集会が間もなく開かれる。注目したいのは、沖縄にも基地はいらない、という理念を掲げていることだ。
 昨年は、琉球侵略400年。次の時代への最初の年に、沖縄に加えて奄美の米軍基地化という新たな琉球侵略の構図が描かれた。日米共同声明には、訓練移転の候補地として徳之島の名が明記されている。だが、単なる訓練移転として安心するほど、島の人はお人よしではない。基地そのものの候補地であることを見抜いている。
 今全国の奄美関係者が動き出している。この動きは、やがて鹿児島、日本を内側から揺るがせていく。
 日本にとって琉球とは何か。安保とは何か。国益とは誰の利益を指すのか。
 第2次琉球侵略元年。これまでじっと身を伏せていた奄美は、最大の危機を前に、自由と自立への第一歩を踏み出した。



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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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