2010.1.20〜2010.5.8


 2010.5.8 永久機関

 会社でニワトリを飼っているのだが、10日ほど前に異変が起こった。1羽のメスが産卵箱から出てこないのだ。
 卵を産むときは交代で箱の中に入り、無事産み終えるとすっきりした顔で出てくるのが常だった。ところが、その日は、一日中箱に入ったまま。具合が悪いのかと心配したが、まぶたはしっかり開けている。表情も元気そうだ。
 ひょっとして……、そうだ、卵を抱きに入ったのだ。
 うちのトリは産卵用に品種改良されている。卵を抱いてヒヨコにかえす母性は、とうの昔に忘れているはずだった。ところが、突然本能が甦った。
 物の本には、抱卵傾向のあるトリは駄鳥だから食べてしまえとある。抱卵に入ると、そのトリは卵を産まなくなるのだ。
 でも、卵をじっと抱いているメスドリの何と幸せそうなことよ。体温が上がり過ぎて辛いのか、時々箱から出て砂浴びをする。餌やりに行くと、いつもは早くくれとまとわりついていたのに、わずかに振り向くだけ。その代わり、他のトリが一段落して餌箱を離れたすきに、大急ぎで食事を済ませている。
 いま、自分の産んだ卵だけではなく、ほかのトリの産んだ卵まで合計12個を抱いている。トリ小屋にはメス5羽に加えてオスも2羽いる。有精卵だから、やがてヒヨコになる。
 じゃがいもは1個を4つに切って植える。それぞれが4個は芋を付けるから16倍になる。稲は1つの種から最低100粒の籾ができる。大根やチンゲン菜などは、ひと株で千粒くらいの種ができるだろうか。サツマイモは芋から伸びたツルを切って植えるから、無限に増える。
 農作物は、太陽と雨だけで何倍にも増える永久機関なのだが、トリも本能が甦れば、卵と肉をずっと未来永劫与えてくれる永久機関になると実感する。
 今日は、しとしと降り続く雨だった。それでも一日中、じっと抱き続けている。抱き始めて20日ほどでヒヨコになるという。予定日は5月18日。12羽のヒヨコが走り回る日は近い。
 編集の仕事は山積みだが、そろそろトリ小屋の増築にかからねば。
* * *
 毎日新聞の「平和をたずねて」という連載(2007.42010.2)をご存じだろうか。先の戦争の本当の姿を知らな過ぎたと気付かされる好企画だった。執筆は福岡賢正記者。
 南方新社から、6月刊行。基地、憲法に揺れる季節が訪れる。まぎれもない名著である。乞うご期待。

 2010.4.21 迷惑総大将オバマ

 米軍の普天間移設で大揺れに揺れた徳之島に決着がついた。小学校を過ごした島が舞台の大騒ぎだから、気が気でなかった。
 3月中旬に、出版の打ち合わせで徳之島に渡った。久しぶりに小学時代の同窓生と一杯、近況を語り合った。そこまでは良かったが、話はやがて米軍基地へ。
 私を除いて4人が集まり、2対2。世間の噂では反対、賛成の比率が9対1とか8対2だから、ミニ同窓会では賛成比率が高かったことになる。話が進むにつれて口論となり、最後は罵り合い。私がトイレに入っているうちに、反対の同窓生は消える始末。後味の悪いことと言ったらなかった。
 長引きでもしたら酷いことになると心配したが、4月18日、島民人口の半数を大きく超えた集会が持たれ、徳之島の線は消えた。
 金持ちの多い島であるはずもなく、伊藤祐一郎・鹿児島県知事が今回の絵を描いた小沢幹事長の元秘書だったことから、政府も簡単に転ぶと高をくくっていたのかもしれない。
 確かに、伊藤知事は反対を表明しているが、県議会も反対だし地元も反対だから反対と、自らの本心は隠したままだ。
 それにしても、マスコミの論調が床屋談義レベルなのが気にかかる。政府の足並みの乱れ、鳩山首相の指導力不足、手続きのまずさ……。鳩山氏が退陣しようが、参院選挙でどこが勝とうが私の知ったことではない。
 ただ、基地がたらい回しにされ、日本中でモグラ叩き大会が起きかねないこの状況はもどかしい。先の戦争や米軍統治で、日本という国と軍隊の非道を知りぬいている沖縄・奄美の人たちが、基地を日本本土に持っていけ、と言うのはよく分かる。だが、それではモグラ叩きは終わらないし、小金に踊らされて傷付く人たちが無残だ。
 やはり、嫌われ者の米軍基地は、アメリカに帰ってもらうほかない。こうしてみると、全ての迷惑の元は米軍であり、米軍トップのオバマ大統領であることに気付く。
 迷惑総大将オバマのずっと下に、代官鳩山以下の政府・財界の有力者が陣取る。いま、総大将オバマは、忠実な代官たちの働きを、高みの見物だ。
 代官たちが海の向こうでどんなヘマをしようが、総大将は痛くも痒くもない。怖いのは、総大将の正体が暴かれ、人々の目と声が向かうこと。さすれば、兵を引くしかない。
* * *
 奄美といえば、『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』出来。1,890円。江戸期の豊かな奄美世界を描きだすすぐれもの。ご一読あれ。  

 2010.3.17 失踪鶏のその後

 前回、失踪したメスの鶏の話を書いた。トリ小屋で、仲間のいじめにあい、会社の庭で放し飼いにしていたメス鶏のことだ。
 ひょんなことから、その後の足取りを掴むことができた。結論から言うと、メス鶏は、今この世にはいない。
 話はこうだ。
 会社は、稲荷川(下田辺りでは棈木川と名を変える)と甲突川水系の分水嶺の尾根上にある。敷地の一段下の森が1週間ほど前に突然皆伐された。
 森はタヌキやウサギのねぐらだった。トリ小屋を襲うタヌキはかわいげはないが、満月の深夜庭で踊っていたウサギがいなくなるのは寂しい。それに加えて、風がまともに当たるようになる。台風のときどうなるやら、困ったもんだと思っていたら、今度はユンボで何やら整地を始めている。
 どうするつもりかとユンボのじいさんに聞いたところ、物置小屋を造るという。他人の土地だから、どうこう言うことはできないが、「あたいげえは、風がまともに当たっどなあ」などと、婉曲に苦情をにおわせた。
 やがて、近所に住む雇われ人夫だと自己紹介をした。
 会社への通勤の途中、きれいに手を入れた畑がある。白菜やキャベツ、エンドウなどが整然と並んでいる様を見るにつけ、自分が鶏ならこの畑で菜っ葉をついばむだろうと目星をつけていた、その畑の持ち主だった。
 うちの鶏が悪さをしませんでしたか?と水を向けると、「そいで」とうなずき、事の顛末を語ってくれた。
 失踪の前日の日曜日、畑で遊んでいるトリを見つけた。捕まえて肥料袋に入れていたが、持主は分からない。餌や水もやらねばと途方に暮れた。まさか、本屋が鶏を飼っているとは思わないから、下の七窪集落の知り合いに預けた。トリ小屋で何羽も飼っていたからだ。でも、新参者はいじめられたのか、小屋から逃げ出し、探しているうちに車にひかれて死んでしまった。以上である。
 ひとしきりユンボの脇で世間話をしたあとで、会社に戻って「鶏が死んだ」とスタッフに告げた。
 一様に「ええっ」と目を見開き、顔を曇らせた。半泣きの女性もいた。私は聞いたままの鶏の最期を伝えた。それぞれが、しばし鶏の思い出を甦らせていた。
 実は、平日の餌やりはスタッフが交代で担当している。土日は私の係りである。失踪した日曜日は、都合で餌やりに行けなかった。小屋の鶏は我慢するが、放し飼いのメスは腹をすかせて遠征したのだろう。
 あの時ちゃんと餌をやっていれば、と悔いが残る。卵をありがとう。合掌

2010.2.18 只今失踪中

 今、南方新社は、ぽっかり穴があいたような寂しさに覆われている。人懐っこいメスの鶏が、姿を消してしまったのだ。

 スタッフも、いなくなった鶏の話をすると表情が曇る。

 これまでにも何回か、鶏の勢力争いの話を書いた。2代目が9羽入って、何匹かは私たちの腹の中に収まり、2代目のオス1羽、初代メス3羽、2代目メス3羽の平和な日々が、このところ続いていた。

 ところが、頂点に君臨していたはずの初代のメスが、10日ほど前に瀕死の重傷を負っていた。あたまを小屋の隅っこに突っ込んでいたから、何事だろうと出してやった。すると、やがて1歳になる2代目のオスがすぐさま飛びかかって、さんざんにつつきまくるではないか。オスは頭を狙う。トサカのすぐ後ろは血まみれだ。こら!と叱ろうが、きつく蹴ろうが、攻撃を止めることはない。

 そういえば、ここ数週間、そのメスの行動は異常だった。どの鶏も、いつも朝餌やりに行くと、腹が減っているから一生懸命まとわりついていた。ところが、そいつは入り口の隙間からすぐに逃げ出した。あの頃から、いじめは始まっていたのだろうか。

 ともかく、危険な小屋から出してやらないと死んでしまう。放し飼いにすることにして、急きょ、事務所の玄関脇に段ボールの箱を置き、ねぐらを作った。そいつのための水と餌を段ボールの前に置くのがスタッフの日課になっていた。

 玄関前の敷石にフンをするから掃除には手がかかったが、たまには玄関の中に入り込んだり、朝出勤すると出迎えてくれたり、結構人気者になっていた。

 メスだから、どこかの藪に卵を生んでいるはず。一度決めたら必ず同じところに産むから、見つけたもん勝ち。いつ発見できるかも楽しみだった。

 その愛すべきメスが、今週の月曜日、姿を消した。火曜になっても、水曜になっても、いない。郵便配達のおじさんまで、「いつも見かける鶏はどうしたの」と聞いてくれるが、首を振るしかない。

 失踪の原因は人間と同じだ。事件に巻き込まれたか、旅に出たか、である。

 事務所の周辺はタヌキの巣である。鶏小屋も2回襲われた。餌の乏しい冬である。腹をすかせた奴に捕まったかもしれない。鶏は木の枝に寝る。それでも安全ではない。タヌキも木に登る。

 今は祈るほかない。旅に出て、自由を満喫してくれ! そしていつか旅に飽いたら帰ってこいよ! そしてうちの庭でおいしいミミズをたんとお食べ。

2010.1.20 大雪とペンギン

 1月13日、14日、鹿児島は白銀の世界に一変した。何年ぶりだろうか。もっと降れ、もっと降れ、そう思ったのは私だけではあるまい。とりわけ、13日のほっこりした夜の雪明り。夢のようなあの光景は、当分忘れることは出来ないだろう。

 ここでとっておきの話をひとつ。新聞テレビでは報道されなかったが、とても面白い事件を耳にした。

 大雪に喜んだのは人間ばかりではなかった。平川動物園のペンギンたち、そう、南極育ちの血を引く彼らの喜びようといったらなかった。

 嬉しさの余り、飼育係がペンギン小屋の入り口をあけ、餌をやろうとしたすきに、わずかに開いていたドアをこじ開け、どやどやとペンギンたちが逃げ出したのである。

 その数およそ20匹。よちよち歩きのペンギンも意外や意外。手で捕まえようとしても素早く逃げ回る。捕まえる網もないからどうしようもない。あわてて事務所に駆け込み応援を頼んだが、戻って来たときは既にペンギンたちの姿はなかった。

 でも、足跡は残されていた。滑ったり転んだりしながら足跡を追うと、感心なことに海に向かっているではないか。ペンギンたちは本能に導かれ、きれいに一列になって、海へ一直線に走り抜けていった。

 危険この上ない国道も、車はスリップを気にしてのろのろ運転。運悪く2匹が車にはねられて大ケガをしたが、大方は無事に渡りきり、そして海へたどり着くことができた。

 平川の海で、ペンギンたちは夢に見た雪の岸壁からのダイビング。生きた魚を心ゆくまで追った。こりゃうまい! 動物園で生まれ育った彼らだから、魚の捕り方も自己流。幾世代か前の先祖が南極で追った魚とは違うが、どうにか捕まえことができると断然うまい! いつもの冷凍のサンマやイワシとは比べ物にならない。

 雪の降りしきる海で遊ぶこと3時間。いよいよ夢の覚めるときがきた。岸辺で動物園の職員達の見守る中、依頼された近所の漁師が船を繰り出してペンギンの群れを包囲した。船の数10数隻。

 必死に潜って逃げ回るが、潜水時間は3分が限度。浮上したペンギンたちは、一匹、また一匹と漁師のたも網におさまっていった。

 今では、2匹のケガも治り、何もなかったかのように、平川動物園でかつての平穏な暮らしに戻っている。

 ちなみに、平川動物園は近く大改装の予定。改装前の不祥事を知られては困ると、この事件は、職員の間では固く口止めされている。でも、話は広がって私のところまで来た。


スタッフからのお便り



 初孫が1歳となり、ヨチヨチ歩き。毎週1.2回預かるが、一時も目が放せない。母と妹の協力を得て対応中。幸いにも絵本がお気に入りらしい。目下ページめくりが大好きで、読み聞かせはアドリブでないと間に合わない。そういう私も読書中、次のページに移る瞬間と、そのめくる時に漂う匂いに喜びを感じる。やっぱり同じDNA?(笑)
 最近、デジタル図書とか電子本とか話題になっているが、本を手にする楽しみはない。やっと歩ける孫が絵本を手に、読んで頂戴と持ってくる。いつまでも残したい風景だ。(桑水流)

2010年の年明けも平安に迎えられ、至福の一時に感謝!
昨年の年賀の挨拶の中で、南方新社の2009年は「南日本の民俗文化全25巻」の刊行スタートと、担当の言葉を思い出しながらまさにその4巻目「写真集・トカラ列島」をご予約戴いた方々に届ける作業でした。今年も小社の出版物が多くの方に手にして愛読して頂ける事を願いつつ、元気に心豊かに暮らせるよう努力したいと思っております。2010年が皆様にとって良い年でありますように!(藤)

 昨年はイベントでの本の販売が多かった。毎回、厳選して持っていくのだが、一冊しかなくても必ず売れる本がある。それは『田の神図鑑』だ。「田の神さあ」の写真集なのだが、サイズがA4判と大きいため、大抵机の端に置いている。それなのに多くの人が見つけては手にとってくれる。
 昨年末から小社の玄関にも「田の神さあ」がある。そのおだやかな表情に毎日癒やされている。「神様」がついている今年、きっと良い年になるに違いない。(坂元)

そう遠くない昔、人々の暮らしと働くことはそう遠くなかった。山や森や川や海と共に生きる中で食べ物を作り、物を造り、生命を頂き、生命を育み、時々祭る。この土地でそうやって生きてきた先人の暮らしの知恵を、僕たちが繋いでゆけるような本を作りたい。大量にエネルギーを消費し進歩・発展するよりも持続・循環を。踊らされることなく自分のステップを踏みながら、ここで笑って生きていきましょう。2010年、がんばります。(鮫島亮二)

 2010年の幕開け。春が来れば、愛媛県は西条市で生まれ育った私が鹿児島に越してきて4年になる。
 昨年から「坂の上の雲」や「龍馬伝」など、メディアで愛媛や四国にまつわるものを目にする機会が増えた。映し出される映像や、人々の交わす言葉に、故郷への想いが増す。住んでいる時には思いもしなかったが、「あの祭りや行事にはどんな意味や由来があったのだろうか」と考えたりもする。
 日々、鹿児島を題材にした本作りに携わっているが、鹿児島の民俗や歴史を紐解き、そして未来に思いを馳せる多くの読者の方々の期待に応えられる本を多く出したいと思う。
 本年もよろしくお願いいたします。(梅北)

入社して三度目のお正月を迎えました。
月日が経つのは早いもので、今年次男が小学校へ入学します。一年で何の変化もない私と違い、子供は目に見えて成長し、同じ時間が過ぎているのが嘘のようです。子供に負けないよう、いつまでも素直さを忘れず、たくさんのことを吸収して、私も一緒に成長していきたいです。
今年も一年、初心に戻って頑張ります!(江並)

スタッフからのお便り



 初孫が1歳となり、ヨチヨチ歩き。毎週1.2回預かるが、一時も目が放せない。母と妹の協力を得て対応中。幸いにも絵本がお気に入りらしい。目下ページめくりが大好きで、読み聞かせはアドリブでないと間に合わない。そういう私も読書中、次のページに移る瞬間と、そのめくる時に漂う匂いに喜びを感じる。やっぱり同じDNA?(笑)
 最近、デジタル図書とか電子本とか話題になっているが、本を手にする楽しみはない。やっと歩ける孫が絵本を手に、読んで頂戴と持ってくる。いつまでも残したい風景だ。(桑水流)

2010年の年明けも平安に迎えられ、至福の一時に感謝!
昨年の年賀の挨拶の中で、南方新社の2009年は「南日本の民俗文化全25巻」の刊行スタートと、担当の言葉を思い出しながらまさにその4巻目「写真集・トカラ列島」をご予約戴いた方々に届ける作業でした。今年も小社の出版物が多くの方に手にして愛読して頂ける事を願いつつ、元気に心豊かに暮らせるよう努力したいと思っております。2010年が皆様にとって良い年でありますように!(藤)

 昨年はイベントでの本の販売が多かった。毎回、厳選して持っていくのだが、一冊しかなくても必ず売れる本がある。それは『田の神図鑑』だ。「田の神さあ」の写真集なのだが、サイズがA4判と大きいため、大抵机の端に置いている。それなのに多くの人が見つけては手にとってくれる。
 昨年末から小社の玄関にも「田の神さあ」がある。そのおだやかな表情に毎日癒やされている。「神様」がついている今年、きっと良い年になるに違いない。(坂元)

そう遠くない昔、人々の暮らしと働くことはそう遠くなかった。山や森や川や海と共に生きる中で食べ物を作り、物を造り、生命を頂き、生命を育み、時々祭る。この土地でそうやって生きてきた先人の暮らしの知恵を、僕たちが繋いでゆけるような本を作りたい。大量にエネルギーを消費し進歩・発展するよりも持続・循環を。踊らされることなく自分のステップを踏みながら、ここで笑って生きていきましょう。2010年、がんばります。(鮫島亮二)

 2010年の幕開け。春が来れば、愛媛県は西条市で生まれ育った私が鹿児島に越してきて4年になる。
 昨年から「坂の上の雲」や「龍馬伝」など、メディアで愛媛や四国にまつわるものを目にする機会が増えた。映し出される映像や、人々の交わす言葉に、故郷への想いが増す。住んでいる時には思いもしなかったが、「あの祭りや行事にはどんな意味や由来があったのだろうか」と考えたりもする。
 日々、鹿児島を題材にした本作りに携わっているが、鹿児島の民俗や歴史を紐解き、そして未来に思いを馳せる多くの読者の方々の期待に応えられる本を多く出したいと思う。
 本年もよろしくお願いいたします。(梅北)

入社して三度目のお正月を迎えました。
月日が経つのは早いもので、今年次男が小学校へ入学します。一年で何の変化もない私と違い、子供は目に見えて成長し、同じ時間が過ぎているのが嘘のようです。子供に負けないよう、いつまでも素直さを忘れず、たくさんのことを吸収して、私も一緒に成長していきたいです。
今年も一年、初心に戻って頑張ります!(江並)


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鹿児島市の郊外にある民家を会社にした「自然を愛する」出版社。自然や環境、鹿児島、奄美の本を作っています。

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